天社宮
お知らせ背景

当宮は、根源神・太一大神(たいいつおおかみ)、またの御名を泰山(太山)府君大神(たいざんふくんおおかみ)をはじめ、天の神々をお祀り申し上げる、日本にただ一つの天社の宮(あまつやしろのみや)でございます。

太一大神は、この世界の天地開闢(てんちかいびゃく)において万物を生み出された始原の大神にして、陽なる太陽と陰なる月(太陰)をも産み出し、陰陽二元を超えて、万物を統べる御存在(理・ことわり)でございます。

ここで、太一大神がいかにしてこの世界に顕れておられるかを、「 天・地・人・冥(みょう) 」の四界になぞらえて申せば、次のようになります。

天において、太一大神は北斗七星として宇宙の秩序(天の道)を示し、森羅万象を導く「 お天道様(おてんとうさま) 」として顕れます。 江戸時代以降、「 お天道様 」は太陽を指す言葉として親しまれておりますが、もともとは太陽や月(太陰)をも生み出された太一大神そのものを表す言葉でございます。

地においては、「 泰山(太山)府君大神 」として姿を現され、人の寿命や運命を司り、国家の安泰を守ってこられました。

人においては、太一大神は暦を通してその御心を顕され、「 天道神(牛頭天王) 」や「 歳徳神(恵方) 」として一年の巡りのうちに示されます。暦は、天の巡り合わせを伝え、これより先の天運をうかがう道しるべでございます。

人は、天なる父(北斗七星)から精神(陽の気)を受け、母なる地(北極星)から肉体(陰の気)を受けて生まれた「 小さな宇宙 」であり、天と地を結び、その調和を現す存在として、この世に秩序と文化をもたらします。

冥においては、中国の泰山の地下に広がる幽界――すなわち地獄(地府)において、太一大神は「泰山王(たいざんおう) 」として冥界の主宰となられます。

魂は没してより七日ごとに審理を受け、七度の審を経て四十九日に至ります。この四十九日目の最終審判こそ、泰山王の御座において行われるものであり、閻魔王(えんまおう)はその御命を奉じて魂の審判を執行いたします。功徳あるものは天に還り、過ちあるものは浄化の火と水を経て、再び天へと導かれます。

古来、歴代の天皇陛下もまた、太一大神の天意を仰ぎ、天とともに国を治め、民の安寧を太一大神に祈り伝えてこられました。(土御門家のみ、太一大神をお祀りすることが許されたため、当宮は唯一無二の存在として「 日本一社 」と称されております。)


伊勢神宮より天社宮に奉納されし書




太一大神の御神体と特別たる御神事は、今から約千三百年前、吉備真備公が唐より将来し、以後、皇室と時の為政者により秘して伝えられてまいりました。太一大神に祈願することは、すなわち国の命運を左右する重大事であったからでございます。ゆえにその御存在は、世に広く知られることなく、いわば「秘神」として尊ばれてまいりました。

しかしながら、明治維新の変革により陰陽師の職が廃され、 長らく秘された信仰を守ることが困難となりました。 このとき、土御門家ならびに元伊勢神宮大宮司であられた三室戸家、そして京都を中心とする多くの社寺様のご尽力により、 太一大神の御神体とその御神事は初めて公に顕され、 世の人々が再びその御光に浴することが叶ったのでございます。

古くより、「 神は人の敬によってその威を増し、人は神の徳によって運を添う 」と申されております。 しかし、ただ神に祈るのみでは、御神徳も吉日も得られません。 求められるは「 浄明正直(じょうめいしょうじき) 」──清く明らかにして、正しく素直なる心でございます。

また、昔より「 お天道様が見ている 」とも申します。 それは単なる戒めではなく、人の心ひとつで、良き運勢もまた悪しき方へと傾くという、天の御理(みち)を示す言葉でございます。 ゆえに、心を正して歩むことこそ、天の御理にかなう生き方であり、福徳を得る道でございます。

たとえ今は災いのごとく見ゆる時も、誠をもって臨めば、それもまた天の御理のめぐりとなり、やがて福へと転じてまいります。誠を持って歩む者を、太一大神(お天道様)は決して見捨てることはございません。その御力をもって天地の神々に働きかけ、運命を拓き、必ず助け導いてくださいます。

安倍晴明公より続く、当宮が奉製する「 太一大神の天意を記した暦 」は、京都を中心に多くの由緒ある神社やお寺にて用いられ、氏子・崇敬者の皆様の暮らしを今もお守りしております。

始原の大神、太一大神(お天道様)と御縁を結び、その御加護が皆々様の人生に豊かに注がれ、苦しみのときには支えとなり、喜びのときにはさらに輝きを添えてくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。



暦の読み方


安倍晴明暦