当宮は、安倍家(後の土御門家)に相伝されてきた大陰陽師(現代においては陰陽士)・安倍晴明公の祭祀を継承し、創造主たる太一大神(たいいつおおかみ)を中心に、天地開闢の天つ神々をお祀り申し上げてきた、日本唯一の天の社宮(あまつやしろのみや) でございます。
太一大神は、またの御名を泰山府君大神(太山・たいざんふくんおおかみ)と申し上げ、当宮の主祭神として代々護持し奉っております。
当宮の社格は一般の神社仏閣とは異なり、安倍晴明公の教えより、太一大神の御もとにて、星々の巡りから天意を読み解き、天地神々と人との巡り合わせを記す「安倍晴明暦」を作暦し、春日大社様・日吉大社様・三嶋大社様・伏見稲荷大社様をはじめ、全国の神社仏閣へ奉る、日本にただ一つの天社(あまつやしろ)にございます。
太一大神は、この世界の天地開闢(てんちかいびゃく)において万物を生み出された始原の創造主にして、陽なる太陽と陰なる月(太陰)をも産み出した、万物を統べる御存在(理・ことわり)でございます。
伊勢神宮様より天社宮に奉納されし書
ここで、太一大神がいかにして、この世界に顕れておられるかを、「 天・地・人・冥(みょう) 」の四界になぞらえて申せば、次のようになります。
天において、太一大神は、北の空で動かぬ北極星を中心に、北斗七星が巡る姿として顕れ、天の秩序、すなわち「天の道」を示されます。
この星々の巡りは、森羅万象を導く根本の理であり、太一大神はその御働きによって、「お天道様(おてんとうさま)」として人々に親しまれてきました。
江戸時代以降、「お天道様」は太陽を指す言葉として広まりましたが、本来は、太陽や月(太陰)をも生み出した、太一大神そのものを表す言葉でございます。
天道の図
地において太一大神は、「泰山(太山)府君大神」として、天より降りられ、天の意を地上に伝え、人々の寿命や運命を司り、国家の安泰を守ってこられました。
天の秩序を地に映し、目に見えぬ理を、人の世に行き渡らせる御存在でございます。
人は、天なる父――すなわち北極星と北斗七星を中心とした天の神々――より精神(陽の気)を受け、母なる大地より肉体(陰の気)を受けて生まれた、自然の神々の一部でございます。
天の星の巡りにより季節が生まれ、地に命の営みが巡る。
この自然の巡りの中で、ありのままに生きることを、陰陽道では「天地人が一つになる」と申します。
剣道・茶道・華道、そして日本の年中行事においても、この考え方は根底にあり、天と地の調和の中に身を置くことを善とする文化が、今も受け継がれております。
太一大神は、暦を通してその御心を顕されます。
一年の巡りの中で、「天道神(牛頭天王)」や「歳徳神(恵方)」として現れ、天の流れを人の暮らしに伝えられます。
暦は、天の巡り合わせを知り、これから先の天運をうかがうための道しるべとして、人々を導いてきました。
冥においては、中国・泰山の地下に広がる幽冥界、すなわち地府(ちふ)において、太一大神は「泰山王(たいざんおう)」として御座に坐し、冥界の主宰として万霊の行方を司られます。
人の魂は没後、七日ごとに審を受け、七度の審理を経て「四十九日」に至ります。
この最終の審こそ、泰山王の御座において執り行われるものでございます。
功徳あるものは天に還り、過ちあるものは火と水の浄めを経て、再び天へと導かれます。
また、「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」と伝えられる閻魔王は、五番目の審を司る王にして、泰山王の御命を受け、その役目を担う存在にございます。
木造泰山府君坐像 東大寺国宝・重要文化財
古来、歴代の天皇陛下もまた、太一大神の天意を仰ぎ、天とともに国を治め、民の安寧を太一大神に祈り伝えてこられました。
太一大神の陰陽の御神玉ならびに特別なる御神事は、今を去ること約千三百年前、
唐において皇帝にお仕えしていた阿倍仲麻呂公(安倍家の祖)より、
吉備真備公へと伝えられたことに始まります。

吉備大臣入唐絵巻 ボストン美術館
(楼上では衣冠姿の赤鬼(=阿倍仲麻呂)が吉備真備公と対面している)
この御伝は、やがて皇室ならびに時の為政者により秘して受け継がれ、
今日に至るまで、その法脈を絶やすことなく護り伝えられてまいりました。
天地開闢の大神、太一大神に祈願申し上げることは、すなわち国の命運をも左右する重大事にして、
古来より深く慎まれ、その御神事が公にされることはございませんでした。
ゆえに、その御存在は世に広く知られることなく、
いわば「秘神」として、静かに、しかし尊く崇め奉られてまいりました。
しかしながら、明治維新の変革により陰陽師の職が廃され、
天皇陛下と共に世の安寧を祈り続けてきた、
日本古来の信仰を守り伝えることが次第に困難となりました。
このとき、土御門家ならびに、土御門家縁戚の家臣藤田家、元伊勢神宮大宮司であられた三室戸家、そして京都をはじめ多くの社寺様のご尽力により、太一大神の御神体とその御神事は厳かに護られ、ここに初めて公に顕(あらわ)されることとなり、世の人々が再びその御光(みひかり)に浴することが叶ったのでございます。
管長 土御門範忠師、庁長 藤田乾堂師
古くより、次のように申されてまいりました。
「神は人の敬によってその威を増し、人は神の徳によって運を添う」
しかし、ただ祈りを捧げるのみでは、御神恩や吉日が授けられるものではございません。
まず求められるのは、神さまの御心(みこころ)に通じようとする 「誠(まこと)」の心 でございます。
誠の心とは、私たちが生まれながらにお天道様より授かった、嘘偽りのない清らかな魂のあり方にほかなりません。
そして、この誠の心からおのずと生まれる生き方こそが、「浄明正直(じょうめいせいちょく)」 でございます。
すなわち、
心身を浄く保ち、
明るく朗らかで、
嘘偽りなく誠実に生き、
素直に省みて、過ちを改める心。
この四つの徳を日々心がけ、誠の心を胸に歩むことで、神さまとの御縁(みえにし)は次第に深く結ばれてまいります。
それこそが、天の理(みち)に沿う神道の道でございます。
また、古くより「お天道様が見ている」と申します。
これは単なる戒めの言葉ではなく、人の心ひとつで、良き運もまた悪しき方へと傾くという、天の理を示した教えでございます。
たとえ今は災いのごとく見える出来事であっても、誠の心をもって臨めば、それもまた天の巡りの一つ。
やがては福へと転じてまいります。
されど、誠を離れ、ただ富や名のみを追い求めれば、一時は栄えたとしても、その陰に失うものが生じてまいりましょう。
誠をもって歩む者は、天地人が一つとなる道――すなわち天の理を進みます。
それは、太一大神(お天道様)の御心に沿う道であり、その道を進む者には、天地八百万の神々が寄り添い、運命をひらき、必ずや助け導いてくださるのでございます。
安倍晴明公より受け継がれてきた、当宮奉製の 「太一大神の天意を記した暦」 は、京都を中心に、多くの由緒ある神社様やお寺様にて用いられ、氏子・崇敬者の皆様を天運へと導き、日々の暮らしを今もお守りしております。
また皆様も、北天に坐します太一大神へお手を合わせ、日々の感謝とともに祈りを捧げていただくことが、御加護をいただく何よりのはじまりとなりましょう。
左手は陽にして天を、右手は陰にして地を表すとされ、両手を合わせる作法には、天地人が一つとなり、天地八百万の神々と共に生きる という意味が込められております。
天の大神・太一大神をはじめ、天地の神々と良き御縁を結ばれ、その御加護が皆々様の人生に豊かに注がれますように。
そして、苦しみのときには力となり、喜びのときにはその輝きをいっそう添えてくださいますよう、当宮、陰陽士一同、心よりお祈り申し上げます。
年中行事
当宮では、安倍晴明公より受け継ぎ、
永き歳月の中で大切に守り伝えてまいりました、
天なる神々への祭祀を、
今も古式ゆかしい作法に則り、
厳かに斎行いたしております。
お祓い・厄除け
古来より、
歴代天皇陛下の御代の安泰を祈り奉り、
また将軍家の御安泰を願い、
その災厄を祓い清め、
国家鎮護の大任を果たしてまいりましたのが、
当宮の歴代の陰陽師(現在は陰陽士)にございます。
ご祈祷
当宮のご祈祷は、
願主さまの願意を最高神太一大神を中心に、
願意を叶える神徳を司る神々に祈り重ね、
その御神徳をいただけるよう
陰陽士がお取り次ぎする神事でございます。
土御門文書編纂所
天社宮に設けられた「土御門文書編纂所」は、
当宮の陰陽士が所属し、陰陽道を研鑽し、
正統なる暦を編む部署でございます。