
御祭神

泰山府君大神(太一)
ある一つの道でもっとも高く仰ぎ尊ばれる人を「泰斗」と申します。これは北斗七星と泰山を指し、天と地で最も優れ、揺るぎない二つを結びつけた言葉でございます。
泰山は「太山」「大山」「岱」とも表記され、中国の五つの聖山である五岳の一つ、すなわち東岳として、中国において最も崇敬される霊山でございます。そのため、秦の始皇帝をはじめ多くの帝が、天地の祭祀である「封禅」を執り行った聖域としても知られております。伝説では、伏犠や黄帝など歴代の聖王が泰山で封禅を行ったとも伝えられております。
(*秦の始皇帝は、天下統一後の紀元前219年、泰山で封禅の儀式を挙行したと記録され、これが歴史上初めて確実な封禅とされております。)
泰山は太陽の昇る東方に位置することから、生と死の境目であり、森羅万象の循環の起点と考えられております。そのため、泰山の神である泰山府君大神は、天界、地界、人界のみならず、冥界すなわち地獄をも司る、宇宙根源の最高神(太一)として、古来より崇められてまいりました。
今から千三百年前、遣唐使として唐に渡り、そこで暦術と泰山府君大神の神伝を学んだ安倍家の祖・安倍仲麻呂公(人皇八代第一の皇子、大彦命の御後胤)は、泰山府君大神の御神体(太一)を日本へ伝えるべく、吉備真備公に託し、我が国へ伝えたのでございます。加茂家は、その御神体を守り、のちに安倍晴明公の父・安倍保名へ伝え、以後、安倍家(土御門家)において大切にお祀りされてきたのでございます。
この尊い御神徳は、歴史の歩みにおいて幾多の偉人たちにより篤く信仰されてまいりました。歴代の天皇や将軍家など、我が国を導いてこられた方々は、国家安寧を祈願し、泰山府君大神の御加護を仰いでこられたのでございます。
また、仏道におきましては、冥界を司る泰山府君大神は、地獄の亡魂を救済し苦難から解放する存在として、閻魔大王の眷属(けんぞく)である、死後四十九日に魂を裁く泰山王とされ、また、地蔵菩薩や薬師如来としても崇められているのでございます。
さらに、暦におきましては、泰山府君大神は日月星辰の神々をお統べになる、皆様にも馴染みのある恵方の神(歳徳神)として顕現され、天地陰陽の理に則った生活を送ることで、人々に吉運をもたらすと伝えられております。
吉備大臣入唐絵巻(楼上では衣冠姿の赤鬼(=安倍仲麿公)が吉備大臣公と対面している)
ボストン美術館
十二将神
太一とは、宇宙の本源であり、森羅万象を起こす原動力でもある、混沌として無差別な“一気”を指すものでございます。そこから、軽く清浄で温かい気と、重く濁って冷たい気の二つに分かれ、前者を陽、後者を陰といたします。軽く清浄で温かい気は上昇して天となり、重く濁って冷たい気は沈んで地となりました。太陽は陽気の精が凝集したものであり、月は陰気の精が凝集して天に上ったものでございます。
最初の陰陽からあふれ出た神気は、やがて木・火・土・金・水という五行の神気に分かれ、その働きによって無数の恒星が生じました。そして、この五行の神気が凝集することで、木・火・土・金・水に相応する五つの惑星が形を成したのでございます。
そして、太一は北極星(静)と北斗七星(動)の御姿として化生し、時を刻み始め、日月星辰(陰陽五行)を統括し、森羅万象の循環・変化を司るのでございます。
これら天地創造の神気は、天神七代の十二柱の神々として御姿を現し、「十二将神」と称します。
暦においては、五つの惑星は、「八将神」として、時空間の吉凶を司るのでございます。
国常立尊・天御中主神(太一)
高皇産尊(陽神)神皇産尊(陰神)
国狭槌尊(水徳神・陽神)
豊斟渟尊(火徳神・陽神)
埿土煮尊・沙土煮尊(木徳神・陽神)
大戸之道尊・大苫邊尊(金徳神・陰神)
面足尊・惶根尊(土徳神・陰神)
伊弉諾尊(陰陽五行成就神・陽神)
伊弉冊尊(陰陽五行成就神・陰神)
◼️太一陰陽五行
五行とは、原初に生まれた陽と陰から展開した五種の神気(木・火・土・金・水)を指すものであり、陰陽と五行の神気が組み合わさることで、地上の万物が出現いたします。つまり、太一とは、神気に満ちた目に見える世界そのものでもあり、世界の背景にある御縁そのものでもございます。
陰陽五行の気は絶えず活動しており、固定されることはございません。陰が極まれば陽が起こり、陽が極まれば陰が起こるものでございます。陽は動、陰は静であり、動が極まれば静に転じ、静が極まれば再び動となります。
木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水はさらに木を生じる。こうした法則が果てしなく循環し続けるため、万物は発生・繁茂し、衰退・蔵(かく)されるのでございます。
人は、天と地が合成してできた存在でございます。精神は天から来て、肉体は地から来る。人が死ぬとき、精神は天に帰り、肉体は地に帰るのです。
精神は自由に行動する力をもち、人の聡明叡智は精神が自在に活動する状態を指し、そのときの行為は善へと向かいます。しかし、肉体は制約の多い活動しかできないため、ときに精神の自由な行動が阻まれることがございます。精神の自由が妨げられると、人間は暗愚となり、行いは悪へと傾くのです。
ゆえに、肉体の活動を適切に制御し、精神の自由を保たねばなりません。人間の中でもっとも優れた者を“聖人”といい、聖人は精神の最大限の自由を得つつ、肉体を完全に制御した存在でございます。
天の日月五星と、太一から生じた地における万物の陰陽五行とは密接に結びついております。太一から生じた星々と、同じく星から生じた私たちは、無関係ではなく、必然的な縁によって結びついてございます。
それゆえ、日月五星の光度や形状の変化、そして運行の状態を観察することで、地上の万物の盛衰・興亡や吉凶禍福を推測できる。これこそが暦の原理を成す所以でございます。
五行の「行」とは、星辰(せいしん)の運行を意味し、五つの“めぐるもの”を指すのです。五行を体系立てるためには、五つの星(五星)の運行に関する知識が不可欠でございました。太一・陰陽の概念は、五星の存在が明らかになる以前の時代でも考え得ましたが、太陰(=月)と太陽のみからは五行を導き出すには至らなかったのでございます。
暦術は五行運行の知識が生じ、木星(太歳神)の運行原理が確立されました、すなわち「太歳紀年法」が成立した前四世紀初め頃に本格的に整備されたものでございます。
また、五星のうち最も重視されたのは木星(太歳神)でございます、その十二年周期の移動から歳の十二支(えと)が生み出されました。日本書紀では、太歳紀年法による表記がされてございます。

鎮宅霊符尊神
鎮宅霊符尊神は、泰山府君大神に次ぐ陰陽道の主神の位を占める、至高にして尊き御神格にあらせられます。 天界にありては北極星(太一)として燦然と輝き、地上界にありては鎮宅霊符尊神として崇め奉られ、玄武神にお乗りになり、左右には八卦を象徴する抱卦子童子・持卦童子を従え、北斗七星と共に人々の運勢を司る大神として、荘厳なる御姿にて顕現なさると伝えられております。 古代中国の『太上洞淵神呪経』におきましては、北斗七星の運行と人間の生死・吉凶が連動するとされ、鎮宅霊符神は北極星として夜空の中心で天を支え、北斗七星と共に天地陰陽の調和を保つ神として位置づけられております。 そのため、北斗七星(泰山府君大神)と北極星(鎮宅霊符尊神)の二柱の神様に御祈願することで、吉運に恵まれた人生を歩むと伝えられております。また、北斗七星の描かれた太上神仙鎮宅七十二霊符をお祀りすることで、災禍を防ぐ結界が張られ、家内を守り、福運が運び込まれるとも伝えられております。 (安倍晴明公は、第六十四代・円融天皇の勅命により、鎮宅霊符尊神の尊像を造り、貴船神社奥の院に御所の守護神としてお祀り申し上げたとも伝えられております。) 当宮における鎮宅霊符尊神の御由緒は、遙か上古の世に遡るといわれます。土御門家文書『安倍晴明公八百五十年御神忌日記』によれば、鎮宅霊符尊神の御神体はおよそ千三百余年前より安倍家において篤く奉斎されてきた由が伝えられ、また、陰陽道の大成者である安倍晴明公による鎮宅霊符神法如伝は、代々土御門家によって継承されて参りました。
安倍晴明大神
安倍晴明公は、第八代・孝元天皇の御血脈を受け継がれし高貴なる御方にして、陰陽道の大成者として後世に名を遺される、誠に尊き御存在にあらせられます。幼き頃より天より授かりし比類なき才覚を遺憾なく発揮され、「太一陰陽五行」の深奥なる理を極め、天地陰陽の道を大成へと導かれました。 とりわけ、安倍家の御祖である遣唐使・安倍仲麿公に由来する泰山府君大神(太一)との尊き御縁を得られたことは、誠に意義深く、畏れ多きことでございます。晴明公は、この御縁によって陰陽道の神髄を広く世に知らしめられ、皆様にも馴染みのある週の曜日名や天体の惑星名はもとより、お正月や節分、端午の節句、七夕といった日本の年中行事にも深く影響を与えております。 また、京の都に架かる戻橋に伝わる逸話には、泰山府君大神の神法をもって死者の魂を蘇らせたと語り継がれ、さらには御母君が狐の化身であったとの神秘的な御出生の伝説も残されております。