御祭神
泰山府君大神(太一)
泰山府君大神は、悠久の時を遡ること凡そ千三百余年前、天平七年(735年)の頃、我が国の文化を大いに興隆せしめし遣唐使の使命を帯びられし方、すなわち人皇八代の第一皇子たる大彦命の尊き血脈を受け継ぎ、従一位左右大臣の高き位に在られた安倍仲麿公が、同じく遣唐使として名高き吉備真備公に託し、遥か唐の地より我が国へ伝来せしめられた、比類なき神格を有する崇高なる御神にあらせられます。 その神道は、陰陽の妙なる理を極めし法により、我が国に伝来した秘法のものとして、古来より、「太一」として崇め奉られてまいりました。 「太一」とは、万物の源にして、宇宙を統べる至高の神であられます。その神聖なる姿は、天空の北極に輝く北極星(静)を中心として、北斗七星(動)が荘厳なる運行を繰り広げる様に象徴されております。この神秘的な北斗七星の調べこそが、森羅万象を生み出す、「太一」の神意が顕現した崇高なる摂理なのでございます。 「泰山北斗」という古より伝わる尊き言葉は、泰山府君大神と北斗七星の間に織りなされる、神秘にして深遠なる御縁を象徴するものにして、両者の不可分の関係を物語るものでございます。 泰山府君大神(太一)の御神徳は、誠に広大無辺にして、天にありては日月星辰を統べ、地にありては名山大川を司ります。その御加護により、宝祚長久(ほうそちょうきゅう)・文運隆盛・四海昇平・万民快楽(ばんみんけらく)の御恵みが齎(もたら)されるのです。 この尊き御神徳は、歴史の中で幾多の偉人たちにより篤く信仰されてまいりました。源頼朝公、足利氏、織田氏、徳川氏など、我が国を導いた将軍家の方々が、泰山府君大神への崇敬を欠かさず、その御加護を仰いでこられたことは、誠に意義深く、感銘深いことと存じ上げます。 鎌倉の世には、泰山府君大神を奉じる数多の神事や祭礼が執り行われ、その結果として、多くの奇跡と恩恵が人々にもたらされたことが伝えられております。これらの神秘なる出来事は、泰山府君大神の御威光の証左として、今なお語り継がれております。 天社宮におきましては、千年以上の長きに亘り、この尊き泰山府君大神を奉斎し続けてまいりました。古今を通じて、国家安穏と万民の幸福を祈念し続けてきた天社宮の営みは、多くの記録に残されており、その歴史の重みと共に、変わらぬ御神徳への感謝の念を新たにいたしております。 泰山府君大神(太一)の御神徳に触れ、その御加護を賜りますことは、誠に有り難きことと存じます。皆様におかれましても、この比類なき御神の御威光に触れ、御加護を受けられんことを、心よりお祈り申し上げます。
鎮宅霊符尊神
鎮宅霊符尊神は、泰山府君大神に次ぐ陰陽道の主神の位を占める至高にして尊き神格にて在せられます。 その御由緒は遙か上古の世に遡り申し、土御門家文書、就中「安倍晴明公八百五拾年御神忌日記」の記すところによれば、鎮宅霊符尊神は、凡そ千三百余年の昔より、安倍家において篤く奉斎されし由が伝えられております。 天界にありては北辰尊星(北極星)として燦然と輝き、地上界にありては鎮宅霊符尊神として崇め奉られ、左右には抱卦子、持卦童子を従えられし荘厳なる御姿にて顕現なさるとの伝えは、誠に畏れ多き次第にて御座います。 その神威の尊さは、土御門家に代々相伝わる「霊符尊神之御縁起」に委細に記されし通りにて、幾星霜を経るも、その霊験あらたかなることは、人々の口碑に上り、絶えることなく称えられ来たりし次第にて御座います。 当宮におきましては、鎮宅霊符尊神の神法如伝が、陰陽道の大成者たる安倍晴明公の尊き御伝として、代々の土御門家により厳かに継承されて参りました。 推古天皇の御世、我が国へ伝来されし由緒正しき神法は、安倍家に伝わりし時期とほぼ時を同じくして広まり申した。これより拝察するに、鎮宅霊符尊神の御神徳が、我が国の陰陽道の発展に、計り知れぬ深遠なる影響を及ぼされし事は、疑うべくもない真実にて御座います。 かくの如く、鎮宅霊符尊神は、陰陽道の泰山府君大神に次ぐ陰陽道の主神として、その神格の高さと霊験の深さを今に伝え給うております。鎮宅霊符尊神の御神徳は脈々と受け継がれ、人々の生活に安寧と調和をもたらし続け給うているのでございます。 どうか皆様方におかれましても、鎮宅霊符尊神の深遠にして尊き御神徳に触れ、心身の安らぎと御家内安全の恩恵に浴されんことを、謹んでお願い申し上げる次第にて御座います。
安倍晴明大神
安倍晴明公は、第八代孝元天皇の御血脈を受け継がれし高貴なる御方にして、陰陽道の泰斗として後世に燦然と名を遺される、誠に尊き御方にあらせられます。 幼き頃より天より授かりし比類なき才覚を遺憾なく発揮され、「太一陰陽五行」の深奥なる理を究め、陰陽道の極意を悉く極められました。とりわけ、安倍家の御祖神にして、遣唐使として名高き安倍仲麿公に由来する、泰山府君大神(太一)との深く神秘なる御縁を得られしことは、誠に意義深く、かつ畏れ多きことにて存じ上げます。 晴明公は、この尊き御縁により、泰山府君大神(太一・北斗七星)の神伝を我が国に広められ、もって陰陽道の神髄を広く民に知らしめられました。この御功績は、我が国の精神文化の発展に多大なる影響を与え、今なお脈々と受け継がれております。 京の都に架かる戻橋にまつわる伝説には、晴明公が泰山府君大神の神秘なる法を用いて、死者の魂を蘇生させられたという逸話が残されております。これは、晴明公が泰山府君大神の御神力を借りて人々の命を救い、災厄を祓われたことの証左であり、その御徳の高さを物語るものでございます。 また、晴明公の御母君が狐の化身であられたという伝説も伝わっております。この神秘的な御出生は、晴明公の並々ならぬ御器量を予見するものであったと拝察いたします。 晴明公は、はるか唐の地にまで渡られ、道教や陰陽道の深奥なる教えを学ばれました。そして、それらを我が国固有の思想と融合させ、独自の陰陽道を確立されたのです。御帰国後は、村上帝、冷泉帝、円融帝、花山帝、一条帝と、実に五代もの天皇に仕えられ、朝廷の陰陽師として比類なき名声を全国に轟かせられました。 安倍晴明公は、泰山府君大神の崇高なる御神徳を広められ、平安の世における王朝政治の根幹を形作られました。さらには、我が国における陰陽道を完成せしめられた、誠に尊き御方でいらっしゃいます。 天社宮では、安倍晴明公の神秘なる教えと、泰山府君大神の御神徳を、今日に至るまで脈々と受け継ぎ、崇敬し続けております。この千年の時を超えて受け継がれし尊き伝統を守り、皆様に御神徳をお伝えすることが、我々の使命であると心得ております。