中世の
神道書をひらく
神道書から学ぶ神道
神道は、ひとりの開祖が説き起こし、ただ一つの経典に教えを定めた道ではございません。けれども、神々と人との関わりを言葉にして書き遺した書物は、数多く伝わっております。とりわけ鎌倉から南北朝にかけては、神々の御働きと天地の理を説く書が相次いで編まれました。今日「中世神道書」と呼ばれる一群の書物でございます。
一 神代を読み直す
中世の人々が重んじた最も古い書は、『日本書紀』の神代巻でございました。しかし彼らは、それを古い物語として読むだけではありませんでした。天地の初め、混沌のなかから清らかなものが昇って天となり、重く濁ったものが降って地となる——神代巻の冒頭に置かれたこの一節に、陰陽の理を読み、五行の巡りを読み、祈りの根拠を読みました。天と地が分かれ、四時が巡り、万物が生まれる。その大きな巡りのなかに、人の命と営みもある——そう観たのでございます。
二 伊勢の神道書——神道五部書
伊勢に生まれた一群の書に、『造伊勢二所太神宮宝基本紀』『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』『豊受皇太神御鎮座本紀』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第』、そして『倭姫命世記』がございます。あわせて「神道五部書」と申し、伊勢の外宮に仕えた度会(わたらい)の一族の手になるものと考えられております。
神道五部書は、外宮の豊受大神を、天之御中主神・国常立神に通じる根源の御神として説きました。伊勢の両宮にまします神々の御神徳を、天地生成の理のなかに位置づけたのでございます。
当宮におきましても、天之御中主神と国常立神とは同じ御神格と申し上げております。天の中心にまします根源の御神——すなわち太一でございます。伊勢の神職が外宮の御前で書き記した繋がりと、当宮に伝わるところとは、同じ一つのところを指しております。天の頂を仰ぐことと、日々の糧に手を合わせることとは、別々の営みではございません。天と人の暮らしとは、もともと一続きでございます。
『倭姫命世記』には、後の世に幾度となく引かれる一節がございます。倭姫命が神主部・物忌らを集め、太神の御託宣として告げられた言葉でございます。
心神は則ち天地の本基、身体は則ち五行の化生なり。
肆(かれ)、元元は元初に入り、本本は本心に任せよ。
神は垂るるに祈祷を以ちて先と為し、冥は加ふるに正直を以ちて本と為す。
心のうちに宿る神は天地の土台であり、この身は五行の巡りから生まれたものである——まず、そう申します。人と天地とは、もとより別のものではないという教えでございます。
ゆえに、元のまた元なるところ——天地の初めのその初めへ立ち返り、本のまた本なるおのれの心に任せよ、と続きます。「元元本本(げんげんほんぽん)」と呼び慣わされる、伊勢の教えの眼目でございます。
そのうえで、神が御力を垂れたまうにあたっては祈りが先であり、目に見えぬ加護がはたらくにあたっては正直が本である、と続きます。ここに申す正直(せいちょく)とは、嘘を言わぬという世の習いの意に留まりません。良い心でいようとする、その心のことでございます。人の心は、日々揺らぎもいたします。それでも良き方へ向き直ろうとする心がけを、古の人は浄く明く直き心と呼びました。目に見えぬ加護は、そこにはたらくのでございます。祈りをもって神々を仰ぎ、良い心でいようとする心を大切にして日々を過ごす。神道の要をこれほど短く言い表した言葉は、そう多くはございません。この一節はのちに江戸の垂加神道にも受け継がれ、いまなお引かれ続けております。
三 度会家行——『類聚神祇本源』と『神道簡要』
これら伊勢の教えを一つの体系にまとめあげたのが、南北朝の世に生きた度会家行(わたらい・いえゆき)でございます。元応二年(一三二〇)に成立した『類聚神祇本源』十五巻は、六十種を超える書物から神々にかかわる記事を集め、十五の部立てに整えた、中世神道の大成でございました。家行はまた、その要を説いた『神道簡要』を遺しております。
家行が重んじた言葉の一つに、「機前(きぜん)」がございます。天地がまだ分かれず、形も名も現れる前の根源を指す言葉です。家行は、それを遠い過去の一度きりの出来事ではなく、いまを生きる人の心にも通うものとして説きました。神の本質と人の本性とは、その根源において隔てがないという教えでございます。
凡そ神は、正直を以て先と為す。正直は、清淨を以て本と為す。
『神道簡要』は、神を敬う道の第一に正直を置き、その正直の本に清浄を置きます。同じ条は「萬事は、一心の作なり」と結びます。心を澄ますとは、何かを飾り加えることではなく、本来の正しさへ還ること。祓えとは、そのために身と心を調える道でございます。今日わたくしどもが祓えの前に居ずまいを正すとき、その所作の底には、この教えが流れております。
四 両部の神道——『中臣祓訓解』と『麗氣記』
いっぽう、真言密教の側からも、神々を説く書が生まれました。金剛界・胎蔵界の両部の曼荼羅になぞらえて神々を読み解くゆえに、「両部神道」と申します。神と仏、金剛界と胎蔵界——二つに見えるものも、その根源においては一つである。この「不二」の見方が、両部神道の骨格でございます。
その早い時期の一書とされるのが、鎌倉期の『中臣祓訓解』でございます。中臣祓——今日の大祓詞のもととなった祓えの詞——の一句一句を通して、神と仏、祓と清浄、人の心を説き明かしました。その序は、こう始まります。
夫れ、和光垂迹の起こり、國史家の條に載すと雖も、猶ほ遺す所あり、本意を識ること靡し。聊か覺王の密教に託し、略して心地の要路を示すのみ。
仏が光を和らげ、神の姿をとってこの国に現れる——和光垂迹(わこうすいじゃく)の本意は、国史に載るところだけでは、なお書き尽くされていない。ゆえに仏の密教に託して、「心地の要路」、心の本源へ至る道筋を示す、と申すのでございます。神々を説くことは、そのまま心の本源への道案内である。この書の眼目が、冒頭の一行に置かれております。
その本文には、伊勢太神の託宣として、こうございます。
日輪、無明煩惱の雲を掃ふ。日輪は、即ち天照皇太神なり。月輪は、則ち豊受皇太神なり。兩部不二、差別無し
日の輪は、無明と煩悩の雲を掃う。その日輪は天照皇太神であり、月輪は豊受皇太神である——内宮と外宮の御二方が、日と月として天に懸かり、二つにして隔てがない。冒頭に申しました「不二」が、伊勢の神々の御上で語られるのでございます。
のちに『麗氣記』が現れました。伊勢の神々をめぐる密教的な深秘の説を集めたもので、本文十四巻に図四巻を添えた大部でございます。中世の神道書のなかでも、とりわけ多くの写本と注釈を生み、後世の両部神道に大きな影響を与えました。
この書の説き方は、たとえばこのようでございます。
天神七葉とは、過去の七佛、轉じて天の七星を呈す
この一節では、神代七代の神々は過去七仏が姿を変えたものであり、それはまた天に懸かる七つの星——北斗七星——として現れる、と説きます。神と仏と星とを、一つの御働きの現れとして結ぶのでございます。今日の目には大胆に映りましょう。けれども、天を仰いで神を思い、星の巡りに暦を読んできた人々にとって、天と神とは切り離せないものでございました。
日と月、神と仏、天地と人。異なるものをただ並べて争わせるのではなく、それぞれの違いを保ったまま、互いに照らし合うものとして捉える。両部の書は、そのように神々を説いたのでございます。
五 いまへ続くもの
中世の神道書は、いずれも大部でございます。伊勢の五部書、家行の十五巻、密教の深秘の説——読み進めれば、天地の理も、曼荼羅の図も、神々の御名も、幾重にも折り重なってまいります。
けれども、幾万の言葉が指し示すところは、思いのほか簡素でございました。神々に祈ること。良い心でいようとする心を大切にすること。そして、本のまた本なる、おのれの心に立ち還ること。倭姫命の御託宣も、家行の機前も、両部の不二も、行き着く先は一つでございます。
七百年を隔てて、なお変わりません。朝に手を合わせ、良い心でいようと心がけて一日を過ごし、心を静めて夕べを迎える。その一日一日が、そのまま神代へ続いております。