元号と
神々の繋がり
元号と神々の繋がり
明治改元の詔(一世一元の詔、明治元年九月八日)は、天皇の御位について、冒頭にこう宣言しています。
體太乙而登位、膺景命以改元太乙を体して位に登り、景命を膺けて以て元を改む。
太乙とは、太一(たいいつ)の別表記です。「一」を音通の「乙」に記したもので、太一・太乙・泰一はいずれも、天地万物の根源にして、陰陽を分かち、五行を巡らせ、日月星辰と四時を統べる、一なる神理を表します。
すなわち天皇陛下とは、太一の御神威と秩序を御身に体し、皇祖皇宗の神統を承け、天命によって皇位に立たれる御方と、当宮は拝しております。
天皇陛下が太一を体して改元されるとは、単に年の呼び名を変えることではありません。新たな御代に流れる天の時を定め、国民とともに天地の秩序を一新されることです。明治改元の詔が、改元を「聖代の典型にして、万世の標準」としたのも、そのためです。
ゆえに元号とは、単なる年代の記号ではございません。元号の「元」は、おおもとを表す字。太一のまたの御名を、大元尊神と申し上げます。元号とは、その御代に太一が顕される御名であり、天皇陛下を通して地上に示される、時の神名と拝することができます。
天皇陛下とは、皇祖の神統を継ぎ、祭祀によって天・地・人を結び、太一の御名を元号として掲げ、日本の祈りと時の中心に立たれる御方——それが、当宮の仰ぐ天皇陛下の御姿でございます。
そして、この太一と時と皇統との結びは、明治に始まったものではありません。遠く、建国の紀元にまで遡ります。
天の中心には、太一——動かぬ北極星と、そのまわりを巡る北斗七星——がおられます。古代中国では、この天のめぐりを干支(えと)の暦に写しとり、辛酉(しんゆう)の年には天命が改まり、世が革(あらた)まると考えられていました。
この天の理を、国の柱に据えられたのが天武天皇です。みずから天文遁甲を能くされた天皇は、天を読む役所・陰陽寮(おんみょうりょう)を朝廷に置き、あわせて日本書紀の編纂を命じられました。その書紀は、神武天皇の御即位を、あえて辛酉の年に定めています。天を観て時を定めることは、古来、大王の祭祀でございます。これは、たんなる年代の作為ではなく、「建国は天(太一)の御意(みこころ)による」という祈りを、暦の言葉で書き記した、一つの祭祀でした。
天を読み、暦をつくり、皇統をお守りする——陰陽寮の役目は、こうして建国の物語とともに始まったのです。
明治から令和へ——元号に顕れる太一の御働き
明治以降の元号を、その出典に沿って読み解くと、そこには明・正・和・成・令という、一筋の秩序が見えてきます。
これは、それぞれの元号が初めから一つの文章として計画されていたという意味ではありません。しかし、元号を「その御代に顕れる太一の御名」として拝するならば、明治から令和までの御代は、太一の神理が地上に展開していく一つの道として読むことができます。
明治——明に向かいて治む
「明治」の出典は、『易経』説卦伝の、
聖人南面而聴天下、嚮明而治聖人、南面して天下を聴き、明に向かいて治む。
という言葉です。
「明」とは、単なる光ではありません。天地を照らして万物の道理を明らかにする、太一の神明です。「治」とは、その明らかな天理に従い、国と民の秩序を整えることです。
ゆえに明治とは、太一の明を仰ぎ、その光に向かって国を治める御代と拝することができます。明治改元の詔が「太乙を体して位に登る」と宣言したことも、この意味と深く重なります。
なお「明治」の御名は、いくつかの候補の中から、明治天皇御自身が宮中の賢所にて鬮(くじ)を引かれて定まったと伝えられております。時の名は、人が選ぶのではなく、神前にて定まる——それを物語る逸話でございます。
大正——正しきは天の道なり
「大正」の出典は、『易経』彖伝・臨卦の、
大亨以正、天之道也大いに亨りて、もって正しきは、天の道なり。
という言葉です。
「正」とは、人間の都合によって定められる正しさではありません。太一を中心として、陰陽が位を得、五行が正しく巡る、天道の正しさです。
明治において天の明に向かい、次の大正において、その明の中に示された天道の正しい位置に立つ。大正とは、万事が大いに通じるためには、まず天の正しさに立たなければならないことを示す御名です。
昭和——人々を明らかにし、万邦を和す
「昭和」の出典は、『書経』堯典の、
百姓昭明、協和萬邦百姓昭明にして、万邦を協和す。
という言葉です。
「昭」は、内にあるものが明らかに顕れること。「和」は、すべてを同じにすることではなく、異なるものがそれぞれの位を得て、ともに調和することです。
太一の明によって天道の正しさが定まれば、人々の徳と役割は明らかとなり、国々は和することができます。
昭和とは、天の明を一人ひとりの内に顕し、その光によって人々と万国を和する御代と拝することができます。
平成——天地を平らかにして成す
「平成」の出典は、『史記』五帝本紀の、
内平外成内平らかに、外成る。
および『書経』大禹謨の、
地平天成地平らかに、天成る。
という言葉です。
内と外、天と地が争うことなく、それぞれの位に安んじるとき、天地の業は成就します。
明に向かい、正に立ち、和を成した先に、天地と国の内外が平らかに整う。平成とは、太一のもとに天・地・人の三才が調い、その働きが成就する御代と拝することができます。
政府も、「平成」には国の内外にも天地にも平和が達成されるとの意味が込められていると説明しています。
令和——時令が整い、天地の気が和す
「令和」の出典は、『万葉集』巻第五、梅花の歌三十二首の序にある、
初春令月、気淑風和初春の令月にして、気淑く風和ぎ。
という言葉です。
ここでいう「令」は、命令の令ではなく、善き時、麗しき時節を表します。「和」は、天地の気が互いに調い、生命が伸びやかに花開く状態です。
その上で当宮は、太一が時を令する——時の秩序を定める——御働きを、この一字に重ねて拝しております。太一は時を定め、その時に応じて陰陽を巡らせ、四季を生じさせるからです。
令和とは、太一の定める時令が正しく巡り、天地の気と風が和らぎ、人々の心と文化が花開く御代と拝することができます。
政府の改元談話においても、「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ、との意味が込められています。
五つの元号が示す道
明治から令和までの元号を、一つの神理の流れとして結ぶならば、次のようになります。
明に向かいて治め、
天道の正しさに立ち、
人々と万邦を和し、
天地を平らかにして成し、
時令を整えて、気を和す。
すなわち、明治は、太一の明を仰ぐ御代。大正は、太一の正しき軸に立つ御代。昭和は、太一の光を人々に顕し、万邦を和する御代。平成は、太一のもとに天地を平らかに成す御代。令和は、太一の時令に従い、天地の気を和する御代です。
ここに一貫しているのは、人が天地を支配するという思想ではありません。
天地万物の根源である太一の御心を天皇陛下が御身に体し、祭祀によって天・地・人を結び、その御代に顕れるべき神理を、元号の二文字によって国民に示されるという、日本独自の時の道です。
元号とは、年を数えるためだけの言葉ではございません。天皇陛下を通して、その御代に顕された、太一の御名——当宮はそのように拝しながら、今日も暦を編み、天の巡りを人の世に伝えております。