方位と
神々の繋がり
方位と神々の繋がり
家に神棚をお祀りするとき、仏壇を据えるとき、私たちは今も、その向きを選びます。なぜ、向きが大切なのでしょうか。
その答えは、暦と同じところにございます。暦が、神々の気の巡りを「時」の上に写した目盛りであるように、方位は、同じ巡りを「場」の上に読むものでございます。
吉凶方位とは、天の星々の配置をもとに、神々の気がどの方向へ巡っているのかを示すものでございます。その大切さは、古くから神社の御社殿が、方位を重んじて据えられてきたことからも読み取ることができます。
古の都もまた、方位の理に則って築かれました。北に玄武、東に青龍、南に朱雀、西に白虎。四方を神々に守られる「四神相応(しじんそうおう)」の地に平安の都は定められ、御所は北に据えられて南に面し、鬼門にあたる北東には、王城鎮護として比叡山延暦寺が仰がれました。
人々もまた、方位とともに暮らしてまいりました。『源氏物語』や『枕草子』には、天一神(てんいちじん)のおられる方角を避け、前夜を別の場所で過ごしてから目的の地へ向かう「方違え(かたたがえ)」の場面が描かれています。良き方位から歩み始めることが、それほどまでに日々の作法として大切にされていたのでございます。
では、吉方位とは何でございましょうか。
吉方位とは、その時その方位に巡る神々のお働きと歩調を合わせ、その神祐(しんゆう)をいただきながら歩むことでございます。節分に恵方を向くのは、その年の徳を司る歳徳神、すなわち太一が、その方位におられるとされるためでございます。吉神のおられる方位へ、誠の心をもって歩むとき、神々の神祐は、人の歩みを助ける良き気や運として顕れると受け継がれております。
一方、凶方位とは、その時の気の巡りとの調和を得にくいとされる方位でございます。その方位へ赴く際には、いつも以上に慎み、予定や身支度を丁寧に調え、不測のことにも備えて歩むことが大切とされてまいりました。
安倍晴明暦が天一神のおられる方角を記し、その方角への急な出立を避け、時には日を改めるよう示しているのも、この理によるものでございます。やむを得ず凶方位へ歩むときには、ただ恐れるのではなく、道中の平安と災いのないことを神々に祈り、ご守護をいただきながら慎んで赴くことが大切でございます。
だからこそ、古の人々は、祠や家宅を建てるとき、必ず方位を択んでまいりました。都の鬼門に護りが置かれ、家相が語り継がれてきたのも、神々の巡りを重んじ、住まう人々の平安を願ってのことでございます。
太一の気の流れは、古来より留まることなく、今も天地の間を巡り続けております。暦や方位の作法には、その巡りを畏れ敬い、神々と歩調を合わせながら暮らそうとしてきた古人の心が込められております。その意味を知り、大切に受け継ぐことは、日本の神々とともに生きてきた先人の心に触れることでもございます。
明日の運勢がどのようなものであるのか。歩む方位の先に、どのようなご縁が待っているのか。そのすべてを、人の知恵だけで前もって知り尽くすことはできません。人の目には計り知れないご縁や巡りも、古くから神々のお図りとして受け止められてまいりました。
されど、いたずらに案ずることはございません。日々の暮らしの中で神々に心を向け、折々にお近くの社へ参り、感謝を捧げるならば、私たちはすでに神々の巡りの中を歩んでいるのでございます。そのうえで、何かを始める前に暦を開き、時と方位を伺いながら歩むならば、自らの歩みをより丁寧に調えることができます。
暦や方位は、人の行動を縛り、恐れによって支配するためのものではございません。神々のお働きに心を向け、進む時、慎む時、調える時を知るためのものでございます。吉凶方位とは、神々の巡りと歩調を合わせながら進む人の道行きを、静かに照らす道しるべでございます。