現図麗気記
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現圖麗氣記十三 十八卷内 現圖麗氣記
句読本文 校了
現圖麗氣記十三 十八卷内 現圖麗氣記
訓読 校了
現図麗気記 十三 十八巻の内 現図麗気記
現代語訳 校了
『現図麗気記』第十三 十八巻の内 『現図麗気記』
『麗氣記(れいきき)』は、伊勢両宮の神々を密教的な世界観から説く中世神道書です。本文十四巻と神体図四巻からなる「十八巻」として伝えられ、後世の両部神道に大きな影響を与えました。
本頁は、土御門文書編纂所が国文学研究資料館鵜飼文庫所蔵の写本を底本として、新たに本文を読み取り、句読点・訓読・現代語訳・注釈を独自に作成する自家翻刻資料です。近現代の校訂本・書き下し文・現代語訳を転載せず、原画像との照合を終えた区分から順次掲載します。
ここでいう原文翻刻は、著者自筆原本を復元したという意味ではありません。オンラインで全冊を確認できる近世写本のうち、慶安二年と承応二年の識語をもつ鵜飼文庫本を作業底本とし、その本文を可能な限り底本どおりに翻刻します。伝本間の異同から祖本の本文を考える作業は、底本翻刻とは分けて校異・編纂注に記します。
原文翻刻、句読本文、訓読、現代語訳は混在させず、共通の区分番号で対応させます。底本に付された返り点・仮名・朱筆は歴史資料として尊重しますが、土御門文書編纂所版の句読・訓読・現代語訳は独自に作成します。
鵜飼文庫本では、「天地麗氣記」が最初に置かれ、次に「二所太神宮麗氣記」が続きます。本版では既成の刊本配列へ並べ替えず、まず底本の物理的な配列どおりに翻刻します。
下の「底本影印」には、鵜飼文庫本二冊の全九十八画像を収めています。「前へ」「次へ」、または画像下のつまみで画像を送れます。画像を押すと、CODHが配信する高精細の原画像を別画面で開きます。
本頁は土御門文書編纂所による編纂中の作業稿です。原文翻刻、独自句読、独自訓読、独自現代語訳を分離し、各単位の校合状態を明示して公開します。
公開版 reikiki-20260807-full-v5・ 全276単位・ 11 / 14頁
現圖麗氣記十三 十八卷内 現圖麗氣記
現圖麗氣記十三 十八卷内 現圖麗氣記
現図麗気記 十三 十八巻の内 現図麗気記
『現図麗気記』第十三 十八巻の内 『現図麗気記』
天禮以後可傳之
天禮以後、可傳之。
天礼以後、これを伝うべし。
天礼の後に、これを伝えるべきである。
无始无終種々形像最初一顆之玉者法界元初一水國常立尊心月輪也大空无相妙體也 二珠並座者國狹槌尊與豐斟渟尊日珠月鏡也 天地日月二變水火圓滿摩訶摩尼珠如々平等妙體也 一柄三靈天叢雲劔者從第六天大自在天王受持之三戟利劔也立劔三峯六龍神出生七種玉破六道邪見垂一字慈悲
无始无終、種々形像。最初一顆之玉者、法界元初一水、國常立尊心月輪也。大空无相妙體也。 二珠並座者、國狹槌尊與豐斟渟尊、日珠月鏡也。 天地日月二變、水火圓滿、摩訶摩尼珠、如々平等妙體也。 一柄三靈、天叢雲劔者、從第六天大自在天王受持之三戟利劔也。立劔三峯、六龍神出生、七種玉、破六道邪見、垂一字慈悲。
始め無く終わり無く、種々の形像あり。最初の一顆の玉は、法界元初の一水、国常立尊の心月輪なり。大空無相の妙体なり。 二珠並び座すは、国狭槌尊と豊斟渟尊、日珠・月鏡なり。 天地・日月の二変、水火円満、摩訶摩尼珠、如々平等の妙体なり。 一柄三霊、天叢雲剣は、第六天大自在天王より受持するところの三戟利剣なり。剣を立つれば三峰あり、六龍神出生す。七種の玉、六道の邪見を破り、一字の慈悲を垂る。
本文では、始めも終わりもない種々の形像について説き、最初の一つの玉を、法界の初めにある一水であり、国常立尊の心月輪であり、大空無相の妙体であるとする。並んで座す二つの珠は国狭槌尊と豊斟渟尊、また日珠と月鏡であるとする。さらに、天地と日月の二つの変化、水火の円満、摩訶摩尼珠、如々平等の妙体であると説く。天叢雲剣については、一柄三霊と記し、第六天の大自在天王から受持した三戟利剣であるとする。続いて、立てた剣の三峰、六龍神の出生、七種の玉、六道の邪見を破ること、一字の慈悲を垂れることを記す。
有二輪大自在天兩眼也 九葉蓮華得自性清淨法性如來化九界迷情也 自地大之穴出六龍自舎互尾成六輪留六道凡夫生死結縛也 現六波羅密六輪光明則法身表德也 天瓊杵玉者爰云獨股大日本國心御量柱也 重如月横立者薩羅沙縛曰羅文武二道定慧横竪妙體國中安寂吉瑞也 此三種神寶者上三柱尊三昧耶妙體也 亦天瓊杵金剛寶柱者從天地兩盤中出生諸法實相法言利益諸品物天御量柱天地開闢歟 法界法身心王心數大曼荼羅一心无作本妙藏天地和合蓮華金剛 无始无終從本地垂跡也 已上三種神財惡魔降伏戰具貴賤上下守護文也
有二輪、大自在天兩眼也。 九葉蓮華、得自性清淨、法性如來、化九界迷情也。 自地大之穴出六龍、自舎互尾、成六輪、留六道凡夫生死結縛也。 現六波羅密、六輪光明、則法身表德也。 天瓊杵玉者、爰云獨股、大日本國心御量柱也。 重如月横立者、薩羅沙縛曰羅、文武二道、定慧横竪妙體、國中安寂吉瑞也。 此三種神寶者、上三柱尊三昧耶妙體也。 亦天瓊杵金剛寶柱者、從天地兩盤中出生、諸法實相法言、利益諸品物、天御量柱、天地開闢歟。 法界、法身、心王、心數、大曼荼羅、一心无作本妙藏、天地和合、蓮華金剛。 无始无終、從本地垂跡也。 已上三種神財、惡魔降伏戰具、貴賤上下守護文也。
二輪有り、大自在天の両眼なり。 九葉蓮華は自性清浄を得、法性如来は九界の迷情を化すなり。 地大の穴より六龍を出だし、自舎互尾して六輪を成し、六道の凡夫を生死の結縛に留むるなり。 六波羅密を現じ、六輪の光明は、すなわち法身の表徳なり。 天瓊杵玉は、ここに独股と云い、大日本国の心御量柱なり。 月のごとく重なり横に立つものは、薩羅沙縛曰羅、文武二道、定慧横竪の妙体、国中安寂の吉瑞なり。 此の三種神宝は、上の三柱尊の三昧耶の妙体なり。 また天瓊杵・金剛宝柱は、天地両盤の中より出生し、諸法実相の法言、諸品物を利益する天御量柱、天地開闢か。 法界、法身、心王、心数、大曼荼羅、一心無作の本妙蔵、天地和合、蓮華金剛。 始め無く終わり無く、本地より垂跡するなり。 以上の三種神財は、悪魔降伏の戦具にして、貴賤上下を守護する文なり。
本文では、二つの輪を大自在天の両眼とする。九葉の蓮華は自性清浄を得るもの、法性如来は九界の迷いの心を教化するものとする。地大の穴から六龍を出し、続けて「自舎互尾」と記し、六輪を成して、六道の凡夫を生死の束縛に留めると説く。さらに、六つの波羅蜜を現し、その六輪の光明を法身に現れた徳とする。天瓊杵玉については、ここで独股と呼び、大日本国の心御量柱であるとする。月のように重なって横に立つものについては、薩羅沙縛曰羅という音写語を掲げ、文武の二道、定と慧の横竪の妙体、国中安寂の吉兆であると説く。この三種の神宝を、先に挙げた三柱の尊の三昧耶の妙体とする。また、天瓊杵・金剛宝柱は天地の二つの盤の中から生じるとし、その後に「諸法実相の法言」「諸品物を利益する」「天御量柱」「天地開闢か」と続ける。ただし、この部分の語分けと相互関係は確定しない。続いて、法界、法身、心王、心数、大曼荼羅、一心無作の本妙蔵、天地和合、蓮華金剛を列挙し、始めも終わりもなく本地から垂跡するとする。以上の三種神財は、悪魔を降伏させる戦具であり、貴賤・上下の人々を守護する旨の文であると結ぶ。
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一
一
一(いち)。
「一」と記す。番号または図中の標識とみられるが、機能は確定できない。
年月者八坂瓊曲玉本有於生二重八重晦月輪形也三鈷者胎藏界三部諸尊八咫鏡内宮御勝内侍所是也故半月外宮三鈷内宮也
年月者、八坂瓊曲玉。本有於生、二重八重、晦月輪形也。三鈷者、胎藏界三部諸尊、八咫鏡、内宮御勝内侍所、是也。故、半月外宮、三鈷内宮也。
年月は、八坂瓊曲玉なり。本有において生じ、二重八重、晦の月輪の形なり。三鈷は、胎蔵界三部の諸尊、八咫鏡、内宮御勝内侍所、これなり。故に、半月は外宮、三鈷は内宮なり。
本文では、年月を八坂瓊曲玉に対応させ、それは本有において生じ、二重・八重で、晦の月輪の形であるとする。さらに三鈷について、胎蔵界三部の諸尊、八咫鏡、「内宮御勝内侍所」を列挙して「これなり」とし、半月を外宮、三鈷を内宮に配する。
現圖麗氣記十三
現圖麗氣記十三
現図麗気記 十三
『現図麗気記』第十三
佛法神道麗氣記十四 十八巻内
佛法神道麗氣記十四。 十八巻内。
仏法神道麗気記、十四。 十八巻の内。
『仏法神道麗気記』第十四。全十八巻のうち。
以前條々以降化緣起明和光利物本誓次於佛語甚深顯己心神祇傳中聞神明垂跡昔閻浮下化時授神璽魔王以還呈形白靈鏡照通法界入衆生心地住不生妙理乘神通寶輅至三藐三佛陀不隔神與王天地則不離仁與法色心則和合妄心從本无自性悟即眞如佛種從緣起不可得佛語餘八萬八千方權實區大小實語不二源如來一口也難分凡聖宜顯有憚唯願大悲方便御靈宿
以前條々、以降化緣起、明和光利物本誓。次、於佛語甚深、顯己心。神祇傳中聞、神明垂跡、昔閻浮下化時、授神璽。魔王以還、呈形白靈鏡、照通法界、入衆生心地、住不生妙理、乘神通寶輅、至三藐三佛陀。不隔神與王、天地則不離、仁與法、色心則和合。妄心從本无自性、悟即眞如。佛種從緣起、不可得。佛語餘八萬八千方、權實區大小、實語不二源、如來一口也。難分凡聖、宜顯有憚。唯願、大悲方便御靈宿。
以前の条々、以降の化縁起、和光利物の本誓を明かす。次に、仏語の甚深なるにおいて、己が心を顕す。神祇伝の中に聞く。神明、垂跡して、昔、閻浮に下化する時、神璽を授く。魔王以還、形を白霊鏡に呈し、法界を照通し、衆生の心地に入り、不生の妙理に住し、神通の宝輅に乗り、三藐三佛陀に至る。神と王とを隔てず、天地はすなわち離れず、仁と法、色と心とはすなわち和合す。妄心は本より自性無く、悟ればすなわち真如なり。仏種は縁より起こり、得べからず。仏語の「余八万八千方」、権実は大小を区かち、実語は不二の源、如来の一口なり。凡聖を分かち難く、顕すに憚り有るべし。ただ願わくは、大悲方便の御霊、宿したまえ。
前の各条に続き、ここからは化縁起を述べ、神仏が光を和らげて世の人々を利益するという和光利物の本誓を明らかにする。仏の言葉の深遠さに続いて、自らの心を示すという。神祇の伝承には、神明が垂跡し、かつて閻浮に下って教化した時に神璽を授けたとある。魔王以下に対しても白霊鏡に姿を現し、法界を照らし、衆生の心に入り、不生の妙理に住し、神通の宝車に乗って「三藐三佛陀」に至ると説く。そこでは神と王を隔てず、天地は離れず、仁と法、物質と心が和合する。迷いの心には本来固定した自性がなく、悟れば真如である。仏となる種は縁によって起こり、固定したものとして得ることはできない。仏語には「余八万八千方」とされる多くの方便があり、権教と実教、大小の区別があっても、真実の言葉の源は二つではなく、如来の一つの口から出るという。凡夫と聖者を分けることは難しく、明らかにするにも慎みが要る。最後に、大悲の方便として御霊が宿るよう願う。
天相鏡矣 諸教大綱只以一心神躰爲宗旨然而小乘之所談且不宣之法相大乘之心立四分三性之法門明唯識中道之觀門遮人法二執之迷倒顯二空詮門之眞理同位修行教門隨他利物談也大乘甚深眞理以言不可宣以心難量知以智不可顯言語道斷心行寂滅唯佛與佛之境界而知見之爰佛住不二門示无相鏡明神道其威利益衆生是唯識中道觀門三世常住法也 三輪宗意者明獨空畢竟之理説八不中道之旨依世諦立諸法依眞諦不留一法常住不變也是本地垂跡无二平等心平等心者三世融通本來本有成道法爾眼前靈威也 天台宗意者明四教五時之法門以法華爲眞實以前教爲方便迹門中説十如實相理宣開示悟入四句明三乘成佛之儀是則唯一實相之法位法華一乘之妙躰也本門者述久遠實成之旨廢始覺始成之談宣十界常住之理顯三身无作本
天相鏡矣。 諸教大綱、只以一心神躰爲宗旨。然而、小乘之所談、且不宣之。法相大乘之心、立四分三性之法門、明唯識中道之觀門、遮人法二執之迷倒、顯二空詮門之眞理。同位修行教門、隨他利物談也。大乘甚深眞理、以言不可宣、以心難量知、以智不可顯。言語道斷、心行寂滅、唯佛與佛之境界、而知見之。爰佛住不二門、示无相鏡、明神道其威、利益衆生。是唯識中道觀門、三世常住法也。 三輪宗意者、明獨空畢竟之理、説八不中道之旨。依世諦立諸法、依眞諦不留一法、常住不變也。是本地垂跡、无二平等心。平等心者、三世融通、本來本有成道、法爾眼前靈威也。 天台宗意者、明四教五時之法門、以法華爲眞實、以前教爲方便。迹門中、説十如實相理、宣開示悟入四句、明三乘成佛之儀。是則唯一實相之法位、法華一乘之妙躰也。本門者、述久遠實成之旨、廢始覺始成之談、宣十界常住之理、顯三身无作本。
天相の鏡なり。 諸教の大綱は、ただ一心の神体をもって宗旨と為す。しかれども、小乗の談ずる所は、しばらくこれを宣べず。法相大乗の心は、四分三性の法門を立て、唯識中道の観門を明らかにし、人法二執の迷倒を遮して、二空詮門の真理を顕す。同位修行の教門、随他利物の談なり。大乗甚深の真理は、言をもって宣ぶべからず、心をもって量り知り難く、智をもって顕すべからず。言語道断、心行寂滅、ただ仏と仏との境界にして、これを知見す。ここに仏、不二門に住し、無相の鏡を示し、神道のその威を明らかにして、衆生を利益す。これ唯識中道の観門、三世常住の法なり。 三輪宗の意は、独空畢竟の理を明らかにし、八不中道の旨を説く。世諦に依りて諸法を立て、真諦に依りて一法をも留めず、常住不変なり。これ、本地垂跡、無二平等の心なり。平等の心とは、三世融通、本来本有の成道、法爾眼前の霊威なり。 天台宗の意は、四教五時の法門を明らかにし、法華をもって真実と為し、以前の教えを方便と為す。迹門の中に十如実相の理を説き、開示悟入の四句を宣べ、三乗成仏の儀を明らかにす。これすなわち唯一実相の法位、法華一乗の妙体なり。本門は久遠実成の旨を述べ、始覚始成の談を廃し、十界常住の理を宣べ、三身無作の本を顕す。
天相の鏡である。 本文では、諸教の大要は一心の神体を宗旨とすると述べる。ただし、小乗が論ずる内容はここでは述べない。法相大乗については、四分・三性の教えを立て、唯識中道の観法を明らかにし、人と法への二つの執着による迷いを遮って、人空・法空を説く門の真理を示すものとする。これは同位修行の教門であり、相手に応じて人々を利益する説である。大乗の深い真理は、言葉で説き尽くせず、心で測り知ることも難しく、知によって表し尽くすこともできない。言葉の道は断え、心の働きも静まり、ただ仏と仏との境界として知見される。そこで仏は不二の門に住して無相の鏡を示し、神道の威力を明らかにして衆生を利益する。本文では、これを唯識中道の観門であり、三世に常住する法とする。 「三輪宗〔三論宗の意か〕」については、独空畢竟の理を明らかにし、八不によって示す中道の趣旨を説くとする。世俗の真理によって諸法を立て、究極の真理によっては一つの法も留めず、その理は常住不変である。これは、本地と垂跡とが二つではない平等の心である。その平等の心とは、過去・現在・未来に通じ、本来そなわる成道であり、おのずからそうである眼前の霊威である、と本文は述べる。 天台宗については、四教五時という教えの分類を明らかにし、法華を真実、それ以前の教えを方便とする。迹門では十如実相の理を説き、仏の知見を開き、示し、悟らせ、入らせるという開示悟入の四句を述べ、三乗が成仏するあり方を明らかにする。これは唯一実相の法位、法華一乗の妙体である。本門では久遠実成の趣旨を述べ、始覚・始成の説を退け、十界が常住する理を説き、三身無作の根本を示す、と本文は続ける。
論
論。
論。
「論」の一字。
是隨類變化形色心具足妙文也一乘實相地躰者衆生自性妙法段間不生心蓮本來清淨妙理一也虚空无邊心相常住不變眞如也佛界生界本妙藏三世諸佛神珠也昔法華梵士行一乘理法開心地蓮華成諸佛共正覺以往神躰八葉蓮華也是則三世常住理躰也法華眞實心文也 惣持教者自性法身大日如來於金剛法界宮與自眷屬共爲自受法樂各説内證果海之法門即六大四曼三密本有法身摩尼珠也金剛薩埵結集加持法門也此教意者以即身成佛爲宗旨於即身成佛有三種謂理具加持顯得也 六大无礙常瑜伽 四種曼荼各不離 三密加持速疾顯 重重帝網名即身 法然具足薩般若 心數心王過刹塵 各具五智无際智 圓鏡力故實覺智 六大无礙常瑜伽者是有三種六大者地水火風空識方
是隨類變化形、色心具足妙文也。一乘實相地躰者、衆生自性妙法、段間不生、心蓮本來清淨妙理一也。虚空无邊、心相常住不變眞如也。佛界生界、本妙藏、三世諸佛神珠也。昔、法華梵士、行一乘理法、開心地蓮華、成諸佛共正覺。以往神躰、八葉蓮華也。是則三世常住理躰也。法華眞實心文也。 惣持教者、自性法身大日如來、於金剛法界宮、與自眷屬共、爲自受法樂、各説内證果海之法門。即六大四曼三密、本有法身摩尼珠也。金剛薩埵、結集加持法門也。此教意者、以即身成佛爲宗旨。於即身成佛、有三種。謂理具加持顯得也。 六大无礙、常瑜伽。 四種曼荼、各不離。 三密加持、速疾顯。 重重帝網、名即身。 法然具足薩般若。 心數心王、過刹塵。 各具五智无際智。 圓鏡力故、實覺智。 六大无礙常瑜伽者、是有三種。六大者、地水火風空識。方。
これ、類に随って形を変化し、色心具足する妙文なり。一乗実相の地体とは、衆生自性の妙法、段間不生、心蓮本来清浄の妙理一なり。虚空無辺にして、心相は常住不変の真如なり。仏界・生界は本妙蔵、三世諸仏の神珠なり。昔、法華の梵士、一乗の理法を行じ、心地の蓮華を開き、諸仏共の正覚を成ず。以往の神体は八葉蓮華なり。これすなわち三世常住の理体なり。法華真実の心の文なり。 惣持教とは、自性法身大日如来、金剛法界宮において自らの眷属と共に、自受法楽のため、各々内証果海の法門を説く。すなわち六大・四曼・三密、本有法身の摩尼珠なり。金剛薩埵、加持の法門を結集するなり。この教えの意は、即身成仏をもって宗旨と為す。即身成仏に三種有り。いわく理具・加持・顕得なり。 六大は無礙にして、常に瑜伽す。 四種の曼荼は、各々離れず。 三密の加持は、速疾に顕る。 重重帝網を、即身と名づく。 法然として薩般若を具足す。 心数・心王は、刹塵に過ぐ。 各々五智・無際智を具す。 円鏡力の故に、実覚智なり。 「六大無礙、常に瑜伽す」とは、これに三種有り。六大とは、地・水・火・風・空・識なり。「方」〔以下、次の単位へ続く〕。
これは、相手の種類に応じて姿を変え、物質と心をともに備えることを述べる妙文である。本文では、一乗実相の根本とは、衆生の自性である妙法、「段間不生」、心の蓮華が本来清浄である一つの妙理だとする。虚空は果てしなく、心の相は常住不変の真如である。仏の世界と衆生の世界は本来の妙なる蔵であり、三世の諸仏の神珠である。かつて法華の梵士は一乗の理法を行じ、心地の蓮華を開いて、諸仏と共に正覚を成じた。「以往の神体」を八葉の蓮華とする。これは三世に常住する理の体であり、法華真実の心を述べた文である。 惣持教、すなわち陀羅尼を中心とする教えについて、本文は、自性法身の大日如来が金剛法界宮で自らの眷属とともに、自ら法の喜びを受けるため、それぞれ内証果海、すなわち仏の内なる悟りの境地の法門を説くものとする。それは六大・四曼・三密であり、本有の法身の摩尼珠である。金剛薩埵が、加持の法門を結集した。この教えは、現在のこの身のまま仏となる即身成仏を宗旨とし、その即身成仏に理具・加持・顕得の三つがある、と述べる。 偈は、六大は互いに妨げず常に相応し、四種の曼荼羅は互いに離れず、三密の加持は速やかに現れる、と説く。重なり合う帝釈天の網を即身と名づけ、本然として「薩般若」を具え、心の諸作用と中心となる心は刹土の塵の数を超え、それぞれ五智と限りない智を具え、円い鏡のような智慧の働きによって真実に覚る智となる、と述べる。続いて「六大は妨げなく、常に瑜伽する」という句には三種があるとし、六大とは地・水・火・風・空・識であると説く。「方」の一字でこの単位は終わり、文は次に続く。
圓三角半月圓形等五智五佛海會諸佛是也无礙者虚空无邊越身意色情量无量无數法界自在身意也瑜伽者一切諸天善神身心平等相應心相也四種曼荼各不離者有差別无差別大三法羯平等等各具五智如々也各不離者兼一身四智合一法界也三密者身口意煩惱不淨身依加持成佛身也 重重帝網者如羅網幢一々成其身也法然具足薩般若者大慈悲心上具足一切森羅萬像平等照也心數心王過刹塵者一切諸佛菩薩及明王諸天善神等也圓鏡力故實覺智者三密无相本性一心无礙鏡也心水湛然不動波浪以鏡喩之神明佛陀本誓願本覺眞如也 此文意者自法然具足薩般若至各具五智无際智者理具即身也從六大无礙至名即身者加持即身也圓鏡力故實覺智者顯得即身也 理具者一切衆生自心品本來法然而具足過恒沙心王心數以心王爲大日以心數名諸尊是名心王心數薩般若智是爲无邊滿徳本圓滿也聞此理如實知自心名理具即身成佛但如實知自心有重々此上修三密行分々勝進名加持即身觀行圓滿名顯得於六大重
圓三角半月圓形等、五智五佛海會諸佛、是也。无礙者、虚空无邊、越身意色情量、无量无數、法界自在身意也。瑜伽者、一切諸天善神、身心平等相應心相也。四種曼荼各不離者、有差別、无差別、大、三、法、羯、平等等、各具五智如々也。各不離者、兼一身四智、合一法界也。三密者、身口意、煩惱不淨身、依加持成佛身也。 重重帝網者、如羅網幢、一々成其身也。法然具足薩般若者、大慈悲心上、具足一切森羅萬像、平等照也。心數心王過刹塵者、一切諸佛菩薩及明王諸天善神等也。圓鏡力故實覺智者、三密无相本性、一心无礙鏡也。心水湛然、不動波浪、以鏡喩之、神明佛陀本誓願、本覺眞如也。 此文意者、自法然具足薩般若、至各具五智无際智者、理具即身也。從六大无礙、至名即身者、加持即身也。圓鏡力故實覺智者、顯得即身也。 理具者、一切衆生自心品、本來法然、而具足過恒沙心王心數。以心王爲大日、以心數名諸尊。是名心王心數薩般若智。是爲无邊滿徳、本圓滿也。聞此理、如實知自心、名理具即身成佛。但、如實知自心、有重々。此上修三密行、分々勝進、名加持即身。觀行圓滿、名顯得。於六大重
圓・三角・半月・圓形等は、五智・五佛・海會の諸佛、是れなり。无礙とは、虚空无邊にして、「越身意色情量」、无量无數、法界自在の身意なり。瑜伽とは、一切の諸天善神の身心平等に相應する心相なり。四種曼荼の各々離れざるとは、差別・无差別あり、大・三・法・羯は平等等にして、各々五智を具すること如々なり。各々離れざるとは、一身に四智を兼ね、合して一法界なるなり。三密とは身・口・意にして、煩惱不淨の身は加持に依りて成佛の身となるなり。 重重帝網とは、羅網の幢の如く、一々その身を成すなり。法然具足薩般若とは、大慈悲心の上に一切森羅萬像を具足し、平等に照らすなり。心數・心王、刹塵に過ぐとは、一切諸佛菩薩及び明王・諸天善神等なり。圓鏡力故實覺智とは、三密无相の本性、一心无礙の鏡なり。心水湛然として波浪を動かさず、鏡を以て之れを喩うるは、神明佛陀の本誓願、本覺眞如なり。 此の文の意は、「法然具足薩般若」より「各具五智无際智」に至るまでは理具即身なり。「六大无礙」より「名即身」に至るまでは加持即身なり。「圓鏡力故實覺智」は顯得即身なり。 理具とは、一切衆生の自心品に、本來法然として、恒沙に過ぐる心王・心數を具足することなり。心王を以て大日と爲し、心數を以て諸尊と名づく。是れを心王心數薩般若智と名づく。是れ无邊滿徳にして、本より圓滿なるなり。此の理を聞き、如實に自心を知るを理具即身成佛と名づく。但し、如實に自心を知るにも重々あり。此の上に三密行を修し、分々に勝進するを加持即身と名づく。觀行圓滿するを顯得と名づく。六大に於いて重――
円・三角・半月・円形などは、本文では五智・五仏と海会の諸仏を表すものとされる。「無礙」は、虚空のように限りがなく、「越身意色情量」と記される範囲を越え、数量を超えて法界に自在な身と心であると説く。「瑜伽」は、一切の諸天善神の身と心が平等に相応する心のあり方であるという。四種曼荼羅は差別と無差別を保ちながら、大曼荼羅・三昧耶曼荼羅・法曼荼羅・羯磨曼荼羅のそれぞれが平等に五智を具えるとする。また、一身に四智を兼ね、それらが一つの法界に合するという。三密は身・口・意であり、煩悩に汚れた身が加持によって仏身となると説く。 重重帝網とは、網状の幢のように一つ一つがその身を成すことだという。「法然具足薩般若」は、大慈悲心のうえに一切の森羅万象を具え、それらを平等に照らすこととされる。刹塵を超える心数と心王とは、一切の仏・菩薩・明王・諸天善神などをいう。「円鏡力故実覚智」は、相をもたない三密の本性であり、一心の無礙なる鏡だという。静かに澄んで波立たない心を鏡にたとえ、それを神明と仏陀の本誓願、本覚真如とする。 本文自身の説明によれば、「法然具足薩般若」から「各具五智无際智」までが理具即身、「六大无礙」から「名即身」までが加持即身、「圓鏡力故實覺智」が顕得即身に当たる。 理具とは、あらゆる衆生の心に、恒河の砂を超えるほどの心王と心数が本来おのずから具わることだという。心王を大日とし、心数を諸尊と名づけ、これを心王心数薩般若智と呼ぶ。それは限りない徳を具え、本来円満であるとされる。この理を聞いて自らの心をありのままに知ることを理具即身成仏と名づける。ただし、その知り方にも段階があり、さらに三密の行を修してしだいに進むことを加持即身、観行が円満となることを顕得と名づける。末尾は「六大において重ねて」と続く未完の句である。
重々地水火風空識四曼者一法曼荼羅即諸字種子也二三昧耶曼荼羅即五輪等并諸所持標幟等物也三大曼荼羅尊形即六根具足佛形也四羯磨曼荼羅即諸威儀屈申等也 三密者身口意三以六大爲能生之躰以四曼爲所生之相亦以三密爲所生之用以六大遍法界故四曼遍法界四曼遍法界故三密遍法界此躰相用三法躰圓融即能所平等非一非異非實非虚而法然本有通達三世是神明神通和光垂跡本道也 加持門中所説詮要由何二字可爲觀行躰凡此教者建立阿字大空三昧之上故名三摩地教立即身成佛故名凡身即佛觀自心明珠故名般若實相 實相者我身神形形者顯心物神也心者以何阿字本有躰也阿字者以何衆生心品也亦段間八葉白蓮諸法實相心理也心理者以何无念无執大空无相之極理也此名阿字言語最頂諸法心地萬行源也諸法无願无染淨以何法无語顯以言之阿字本不生故自心本不生
重々、地水火風空識。四曼者、一法曼荼羅、即諸字種子也。二三昧耶曼荼羅、即五輪等、并諸所持標幟等物也。三大曼荼羅、尊形、即六根具足佛形也。四羯磨曼荼羅、即諸威儀屈申等也。 三密者、身口意三。以六大爲能生之躰、以四曼爲所生之相、亦以三密爲所生之用。以六大遍法界故、四曼遍法界。四曼遍法界故、三密遍法界。此躰相用三法躰圓融、即能所平等、非一非異、非實非虚、而法然本有、通達三世。是神明神通、和光垂跡本道也。 加持門中所説詮要、由何二字可爲觀行躰。凡此教者、建立阿字大空三昧之上、故名三摩地教。立即身成佛、故名凡身即佛。觀自心明珠、故名般若實相。 實相者、我身神形。形者、顯心物神也。心者、以何、阿字本有躰也。阿字者、以何、衆生心品也。亦段間八葉白蓮、諸法實相心理也。心理者、以何、无念无執、大空无相之極理也。此名阿字、言語最頂、諸法心地、萬行源也。諸法无願、无染淨。以何法、无語顯。以言之、阿字本不生故、自心本不生。
重々、地・水・火・風・空・識なり。四曼とは、一には法曼荼羅、即ち諸字の種子なり。二には三昧耶曼荼羅、即ち五輪等、並びに諸々の所持する標幟等の物なり。三には大曼荼羅、尊形、即ち六根具足の仏形なり。四には羯磨曼荼羅、即ち諸の威儀・屈申等なり。 三密とは身・口・意の三なり。六大を以て能生の体と為し、四曼を以て所生の相と為し、また三密を以て所生の用と為す。六大、法界に遍ずるを以ての故に、四曼、法界に遍ず。四曼、法界に遍ずるが故に、三密、法界に遍ず。この体・相・用の三法は円融し、即ち能所平等、非一非異、非実非虚にして、法然本有、三世に通達す。これ、神明の神通、和光垂跡の本道なり。 加持門中に説く所の詮要は、何の二字に由りて観行の体と為すべきか。凡そこの教えは、阿字大空三昧の上に建立するが故に三摩地教と名づく。即身成仏を立つるが故に凡身即仏と名づく。自心の明珠を観ずるが故に般若実相と名づく。 実相とは我が身の神形なり。形とは心を顕す物神なり。心とは何を以てするか、阿字本有の体なり。阿字とは何を以てするか、衆生の心品なり。また段間の八葉白蓮は、諸法実相の心理なり。心理とは何を以てするか、無念無執、大空無相の極理なり。これを阿字と名づけ、言語の最頂、諸法の心地、万行の源なり。諸法は願無く、染淨無し。何の法を以て、語無く顕すか。これを言えば、阿字は本不生なるが故に、自心も本不生なり。
前単位から続き、地・水・火・風・空・識の六大を挙げる。四曼の第一は諸字の種子である法曼荼羅、第二は五輪や諸尊の持物・標幟などである三昧耶曼荼羅、第三は六根を具えた仏の姿である大曼荼羅、第四はさまざまな威儀や身体の屈伸などである羯磨曼荼羅だという。 三密は身・口・意の三つである。本文は、六大を生み出す側の体、四曼を生み出される相、三密を生み出される働きとする。六大が法界に遍満するため四曼も遍満し、四曼が遍満するため三密も遍満するという。この体・相・用は円融し、能と所は平等で、一でも異でもなく、実でも虚でもなく、本来そのように存在して三世に通じる。本文は、これを神明の神通、和光垂跡の本来の道とする。 続いて、加持門で説く要点は何の二字によって観行の本体となるのか、と問い、この教えは阿字大空三昧の上に立てられるため三摩地教、即身成仏を立てるため凡身即仏、自心の明珠を観ずるため般若実相と名づけられると説く。 実相は自らの身の神形であり、その形は心を顕す「物神」だという。心を阿字本有の体、阿字を衆生の心品とし、字面どおりの「段間八葉白蓮」を諸法実相の心理とする。その心理は無念無執・大空無相の究極の理で、阿字は言語の最上、諸法の心地、万行の源であるという。末段は、諸法について「无願、无染淨」と記し、何の法によって「无語顯」、すなわち言葉なく顕すのかと問い、阿字が本来不生であるため自心も本来不生であると結ぶ。
本不生故諸法本不生諸法本不生故以阿字爲諸法種子是法曼荼羅身付此字有遮情表徳二義名有非有二種中道 遮情者百非洞遣四句皆亡然大般若經曰如此字門是悟入法空无邊際如此字表諸法空諸法空更不可得文是則空諸法不留一法也 表徳者无邊徳海本來圓滿无所闕滅三部諸尊曼荼羅色心一法无不具足六大四曼三密智印本有生所妙徳也此心自性清淨故譬蓮華萬徳圓滿故譬滿月无礙自在故譬大空摧破惑障故譬金剛 如此无量无數此教意自本談法喩一躰故於自心觀滿月自身即圓明月輪也觀蓮華自身即蓮華也觀金剛自身即金剛也觀寶珠自身即寶珠也如是无邊形色等亦如是 亦問以何爲觀行要樞凡答所詮以觀阿字本不生之義爲觀最頂付不生義顯密小異顯意一切諸法從妄想生自性空故本不生文密教意萬法從阿字生還歸阿字阿字生一切字能生阿字所生一躰不動實際故
本不生故、諸法本不生。諸法本不生故、以阿字爲諸法種子。是法曼荼羅身。付此字、有遮情表徳二義、名有非有二種中道。 遮情者、百非洞遣、四句皆亡。然、大般若經曰、如此字門、是悟入法空无邊際。如此字、表諸法空。諸法空、更不可得、文。是則、空諸法、不留一法也。 表徳者、无邊徳海、本來圓滿、无所闕滅。三部諸尊、曼荼羅色心、一法无不具足。六大四曼三密智印、本有生所妙徳也。此心自性清淨故譬蓮華、萬徳圓滿故譬滿月、无礙自在故譬大空、摧破惑障故譬金剛。 如此、无量无數。此教意、自本談法喩一躰。故、於自心觀滿月、自身即圓明月輪也。觀蓮華、自身即蓮華也。觀金剛、自身即金剛也。觀寶珠、自身即寶珠也。如是无邊形色等、亦如是。 亦問、以何爲觀行要樞。凡答、所詮、以觀阿字本不生之義、爲觀最頂。付不生義、顯密小異。顯意、一切諸法從妄想生、自性空故、本不生、文。密教意、萬法從阿字生、還歸阿字。阿字生一切字。能生阿字、所生一躰、不動實際故
本不生なるが故に、諸法も本不生なり。諸法本不生なるが故に、阿字を以て諸法の種子と爲す。是れ法曼荼羅身なり。此の字に付き、遮情・表徳の二義あり、有・非有の二種中道と名づく。 遮情とは、百非を洞遣し、四句皆亡ずるなり。然るに『大般若經』に曰く、「此の如き字門は、是れ法空无邊際に悟入す。此の如き字は諸法空を表す。諸法空は更に得べからず」と。是れ則ち諸法を空じて、一法をも留めざるなり。 表徳とは、无邊の徳海、本來圓滿にして、闕滅する所无きことなり。三部諸尊、曼荼羅の色心、一法として具足せざる无し。六大・四曼・三密・智印は、本有生所の妙徳なり。此の心、自性清淨なるが故に蓮華に譬え、萬徳圓滿なるが故に滿月に譬え、无礙自在なるが故に大空に譬え、惑障を摧破するが故に金剛に譬う。 此の如きもの、无量无數なり。此の教の意は、本より法と喩とを一躰と談ず。故に自心に滿月を觀ずれば、自身は即ち圓明の月輪なり。蓮華を觀ずれば、自身は即ち蓮華なり。金剛を觀ずれば、自身は即ち金剛なり。寶珠を觀ずれば、自身は即ち寶珠なり。是の如く、无邊の形色等もまた是の如し。 また問う、何を以て觀行の要樞と爲すか。凡そ答う、所詮、阿字本不生の義を觀ずるを以て、觀の最頂と爲す。不生の義に付き、顯密に小異あり。顯の意は、一切諸法は妄想より生じ、自性空なるが故に本不生なり、と。密教の意は、萬法は阿字より生じ、還りて阿字に歸す。阿字は一切字を生ず。能生の阿字と所生とは一躰にして、不動の實際なるが故に――
阿字が本来不生であるため、あらゆる存在も本来不生であり、そのため阿字を諸法の種子とする。本文はこれを法曼荼羅身とし、阿字には遮情と表徳の二つの意味があり、「有」と「非有」の二種中道と名づける。 遮情とは、あらゆる否定的な分別を退け、四句の分別も消えることだという。本文は『大般若経』を引き、この字門によって限りない法空へ悟入し、この字が諸法の空を表し、その空もさらに得ることができないと説く。そして、諸法を空じて一法も残さないことだと説明する。 表徳とは、限りない徳の海が本来円満で、何も欠け滅することがないという側面である。三部の諸尊、曼荼羅の色と心を含め、具わらない法は一つもなく、六大・四曼・三密・智印を「本有生所妙徳」と記す。心の自性が清浄であるため蓮華に、万徳が円満であるため満月に、妨げなく自在であるため大空に、惑いの障りを砕くため金剛にたとえる。 このようなたとえは無量無数にあり、本文では法と比喩が本来一体だと説く。そのため、自心に満月を観ずれば自身が円明の月輪となり、蓮華・金剛・宝珠を観ずれば自身がそれぞれ蓮華・金剛・宝珠となるという。そのほかの限りない形や色も同様だとする。 観行の要は何かとの問いに、阿字本不生の意味を観ずることが観行の最上であると答える。不生の説明には顕教と密教でわずかな違いがあるとし、顕教では諸法は妄想から生じ、自性が空であるため本来不生だと説明する。密教では万法が阿字から生じ、阿字へ帰り、阿字が一切の字を生むとする。能生の阿字と所生のものは一体で、動かない真実の際であるため――と、文は次単位へ続く。
不生不滅也又因緣生法離因緣見之時即法界也因緣亦法界故所生法是法界也因果共法界故本來不動實際大論云大乘因者諸法實相大乘果者亦諸法實相 夫此本不生之所本來具足過恒沙心王心數是云薩般若智是則阿字躰以成萬法之性名阿字理阿字智躰成諸法種子名爲阿字智故阿字只衆生一心上二徳也云智時萬法皆阿字云理時萬法皆阿字理智一時通法界備此二字徳名阿字 是則地居天種子也一切執金剛神及三世護法善神等種子色相莊嚴也阿字自住梵字阿字自住文字理智不二共諸佛菩薩種子也 既云住此地者初發心時即成正覺不動生死而至涅槃故心自證心亦云不受而受不到而到文无苦无樂眞實樂也无垢无淨眞實淨土也是則己心之淨土地阿字徳用也 衆生自性之種子諸佛滿徳之心水也定慧色心二法也開此知見之時十界依正六大四曼三密輪壇具足法文也森羅萬像法
不生不滅也。又、因緣生法、離因緣見之時、即法界也。因緣亦法界故、所生法是法界也。因果共法界故、本來不動實際。大論云、大乘因者諸法實相、大乘果者亦諸法實相。 夫、此本不生之所、本來具足過恒沙心王心數。是云薩般若智。是則、阿字躰以成萬法之性、名阿字理。阿字智躰成諸法種子、名爲阿字智。故、阿字只衆生一心上二徳也。云智時、萬法皆阿字。云理時、萬法皆阿字。理智一時通法界、備此二字徳、名阿字。 是則、地居天種子也。一切執金剛神及三世護法善神等種子、色相莊嚴也。阿字自住梵字、阿字自住文字、理智不二、共諸佛菩薩種子也。 既云、住此地者、初發心時、即成正覺。不動生死、而至涅槃。故、心自證心。亦云、不受而受、不到而到、文。无苦无樂、眞實樂也。无垢无淨、眞實淨土也。是則、己心之淨土地、阿字徳用也。 衆生自性之種子、諸佛滿徳之心水也。定慧色心二法也。開此知見之時、十界依正、六大四曼三密輪壇具足法、文也。森羅萬像法
不生不滅なり。また、因緣生の法を因緣を離れて見る時は、即ち法界なり。因緣もまた法界なるが故に、所生の法も是れ法界なり。因果ともに法界なるが故に、本來不動の實際なり。『大論』に云く、「大乘の因は諸法實相、大乘の果もまた諸法實相なり」と。 夫れ、此の本不生の所には、本來、恒沙に過ぐる心王・心數を具足す。是れを薩般若智と云う。是れ則ち、阿字の躰を以て萬法の性と成すを阿字理と名づけ、阿字の智躰が諸法の種子と成るを阿字智と名づく。故に阿字は、ただ衆生の一心の上の二徳なり。智と云う時は萬法皆阿字、理と云う時も萬法皆阿字なり。理智一時に法界へ通じ、此の二字徳を備うるを阿字と名づく。 是れ則ち地居天の種子なり。一切の執金剛神及び三世の護法善神等の種子は、色相莊嚴なり。阿字自住の梵字、阿字自住の文字、理智不二にして、ともに諸佛菩薩の種子なり。 既に云く、「此の地に住する者は、初發心の時、即ち正覺を成じ、生死を動かずして涅槃に至る」と。故に心、自ら心を證す。また「受けずして受け、到らずして到る」と云う。无苦无樂にして眞實の樂なり。无垢无淨にして眞實の淨土なり。是れ則ち己心の淨土地、阿字の徳用なり。 衆生自性の種子は、諸佛滿徳の心水なり。定慧・色心の二法なり。此の知見を開く時、十界の依正、六大・四曼・三密・輪壇を具足する法なり、と。森羅萬像の法――
前単位から続き、能生と所生が一体であるため不生不滅だと説く。また、因縁によって生じる法を因縁から離れて見る時、それは法界であるという。因縁そのものも法界であるため、生じた法も法界であり、因と果がともに法界であるため、本来動かない真実の際だとする。『大論』を引き、大乗の因も果も諸法実相であると述べる。 この本不生の場には、恒河の砂を超えるほどの心王と心数が本来具わり、これを薩般若智と呼ぶという。阿字の体が万法の性となる側面を阿字理、阿字の智慧の体が諸法の種子となる側面を阿字智と名づける。したがって阿字は衆生の一心に具わる二つの徳であり、智慧として見ても理として見ても万法はすべて阿字だとする。理と智が同時に法界へ通じ、「二字徳」を備えるものを阿字と名づける。 さらに、これを地居天の種子とし、一切の執金剛神や三世の護法善神などの種子を色相荘厳とする。「阿字自住梵字」「阿字自住文字」と記し、理と智は二つでなく、ともに諸仏・菩薩の種子だと説く。 引用文では、この地に住する者は発心したその時に正覚を成し、生死を動くことなく涅槃へ至るという。そのため心が自ら心を証し、「受けずして受け、到らずして到る」とされる。苦も楽もない真実の楽、汚れも清浄もない真実の浄土であり、それが自心の「淨土地」と阿字の働きであると述べる。 衆生の自性の種子を諸仏の満徳の心水とし、定と慧、色と心の二法とする。この知見が開かれる時、十界の依報・正報、六大・四曼・三密・輪壇を具足する法となるという。末尾の「森羅万象の法」は次単位へ続く。
塵則法性塔婆躰法爾成道通相也亦云一切衆生色心實相從本際已來常是毘盧遮那平等智身非是得菩提時強空諸法便成法界也文 經云舌相言語皆是眞言身相擧動皆是密印妄念邪念皆是三摩地密觀文故以三密觀行入一尊三摩地之時自身則本尊本尊則自身也擧六種妙供時其身則其菩薩也亦結三部五部等印誦明時自身則其尊也 又父母所生之肉身與法性微細色心融即故一物无隔論微細者暫約迷悟故疏云生死老病死流轉之法彼即自生不生是阿字也文 亦見青黄赤白等諸色皆是阿字觀一切聲即眞言故五音五字成立五佛三密成就一心上三部諸尊具身即其尊也文諸尊三摩地亦復如是況一尊之三摩地哉 自身則阿字也法性阿字也世界從本阿字也故天地開闢自昔至今以法爲神奉始伊勢内外大神三界六欲三十三天及大日本國大小神祇冥道諸尊神兩部界會塵刹聖衆現在生前大利益廣大无邊大身量神通自在本三摩耶長陀羅尼加持三昧一切如來本地心三世諸佛心神珠
塵、則法性塔婆躰、法爾成道通相也。亦云、一切衆生色心實相、從本際已來、常是毘盧遮那平等智身。非是得菩提時、強空諸法、便成法界也、文。 經云、舌相言語、皆是眞言。身相擧動、皆是密印。妄念邪念、皆是三摩地密觀、文。故、以三密觀行、入一尊三摩地之時、自身則本尊、本尊則自身也。擧六種妙供時、其身則其菩薩也。亦、結三部五部等印、誦明時、自身則其尊也。 又、父母所生之肉身與法性微細色心、融即故、一物无隔。論微細者、暫約迷悟故。疏云、生死老病死流轉之法、彼即自生不生、是阿字也、文。 亦、見青黄赤白等諸色、皆是阿字。觀一切聲、即眞言故、五音五字、成立五佛。三密成就、一心上三部諸尊具、身即其尊也、文。諸尊三摩地、亦復如是。況一尊之三摩地哉。 自身則阿字也。法性阿字也。世界從本阿字也。故、天地開闢、自昔至今、以法爲神奉始、伊勢内外大神、三界六欲三十三天、及大日本國大小神祇、冥道諸尊神、兩部界會塵刹聖衆、現在生前大利益、廣大无邊大身量、神通自在、本三摩耶、長陀羅尼、加持三昧、一切如來本地心、三世諸佛心神珠
塵は、則ち法性塔婆の躰、法爾成道の通相なり。また云く、「一切衆生の色心實相は、本際より已來、常に是れ毘盧遮那の平等智身なり。是れ菩提を得る時に、強いて諸法を空じ、便ち法界と成るには非ざるなり」と。 經に云く、「舌相の言語は皆是れ眞言、身相の擧動は皆是れ密印、妄念・邪念は皆是れ三摩地の密觀なり」と。故に三密觀行を以て一尊の三摩地に入る時、自身は則ち本尊、本尊は則ち自身なり。六種の妙供を擧ぐる時、その身は則ちその菩薩なり。また三部・五部等の印を結び、明を誦する時、自身は則ちその尊なり。 また、父母所生の肉身と法性微細の色心とは融即するが故に、一物として隔つる无し。微細を論ずるは、暫く迷悟に約するが故なり。『疏』に云く、「生死老病死流轉の法、彼は即ち自ら生じて不生、是れ阿字なり」と。 また青・黄・赤・白等の諸色を見れば、皆是れ阿字なり。一切の聲を觀ずれば、即ち眞言なるが故に、五音・五字は五佛を成立す。三密成就すれば、一心の上に三部諸尊具わり、身は即ちその尊なり、と。諸尊の三摩地もまた復た是の如し。況んや一尊の三摩地をや。 自身は則ち阿字なり。法性も阿字なり。世界も本より阿字なり。故に天地開闢より昔から今に至るまで、「以法爲神奉始伊勢」、内外大神、三界六欲三十三天、及び大日本國の大小神祇、冥道の諸尊神、兩部界會の塵刹聖衆、現在生前の大利益、廣大无邊の大身量、神通自在、本三摩耶、長陀羅尼、加持三昧、一切如來の本地心、三世諸佛の心神珠――
前単位の「森羅万象の法」に続く「塵」は、法性の塔婆の本体であり、自然のままに成道することに共通する相だとされる。また本文は、あらゆる衆生の色と心の実相は本初以来つねに毘盧遮那の平等智身であり、悟りを得る時になって無理に諸法を空じ、そこで初めて法界となるのではない、と説く。 経典の言葉として、舌による言語はすべて真言、身体の動作はすべて密印、妄念や邪念もすべて三摩地の密観であると引く。そのため、三密の観行によって一尊の三摩地へ入る時、自身が本尊であり、本尊が自身であるという。六種の妙供を行う時はその身がその菩薩となり、三部・五部などの印を結んで明を誦する時は自身がその尊となると説く。 また、父母から生まれた肉身と法性の微細な色心とは溶け合って一体であり、何ものにも隔たりがないという。「微細」と説くのは、ひとまず迷いと悟りの区別に即して述べたものとする。『疏』を引き、生死・老・病・死として流転する法は、自ら生じながら不生であり、それが阿字であると記す。 青・黄・赤・白などの色はすべて阿字であり、あらゆる声は真言であるため、五音・五字が五仏を成立させるという。三密が成就すれば、一心の上に三部の諸尊が具わり、その身がその尊となるとする。諸尊の三摩地も同様であり、一尊の三摩地はなおさらだと述べる。 自身も法性も世界も、本来阿字であるとする。続いて、天地開闢以来の神々・諸尊・聖衆と、利益・神通・三摩耶・陀羅尼・三昧・如来の本地心・諸仏の心神珠などを連続して列挙する。ただし「以法爲神奉始伊勢」の語分節は未決であり、列挙は次単位へ続く。
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