五行大義

五行大義

隋の蕭吉が五行思想の諸説を集成した『五行大義』全五巻について、土御門文書編纂所による原文翻刻・句読・訓読・現代語訳を公開します。

土御門文書編纂所による公開校訂版です。元禄十二年刊本の画像を底本とし、原文翻刻、独自句読、独自訓読、独自現代語訳を分離して公開します。

自家翻刻・訓読・現代語訳

公開版 gogyo-taigi-20260818-g4-v2・全964単位・48 / 49頁

GT-500165・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

考異郵云雞火畜丑近寅寅陽有生火喜故鳴武事必有號令故在西方巽爲雞亦爲號令辰巳竝與酉合故在酉雉是火鳥爲武之威方伎傳云太白揚光則雞鳴熒惑流燿則雉驚易通卦驗云雉者是陽雄鳴則雌應陽唱陰和之義當時則雊亦號令之義烏者陰之禽而居日中

句読本文校了

考異郵云、雞火畜丑近寅寅陽有生火喜故鳴武事必有號令故在西方巽爲雞亦爲號令辰巳竝與酉合故在酉雉是火鳥爲武之威方伎傳云、太白揚光則雞鳴熒惑流燿則雉驚易通卦驗云、雉者是陽雄鳴則雌應陽唱陰和之義當時則雊亦號令之義烏者陰之禽而居日中。

訓読校了

『考異郵』に云く、雞は火畜なり。丑は寅に近く、寅は陽にして生火あり、喜ぶ故に鳴く。武事には必ず號令あり、故に西方に在り。巽は雞と爲し、亦た號令と爲す。辰・巳は竝びに酉と合す、故に酉に在り。雉は是れ火鳥にして、武の威を爲す。『方伎傳』に云く、太白光を揚ぐれば則ち雞鳴き、熒惑燿を流せば則ち雉驚く。『易通卦驗』に云く、雉は是れ陽なり。雄鳴けば則ち雌應ずるは、陽唱へ陰和するの義なり。時に當たれば則ち雊くも、亦た號令の義なり。烏は陰の禽にして、日中に居る。

現代語訳校了

『考異郵』は、鶏を火に属する家畜とする。丑は寅に近く、寅は陽に属して新たに生じる火気を含むので、鶏はこれを喜んで鳴く。武事には必ず号令が伴うため、鶏を西方に置く。巽も鶏を表すと同時に号令を表し、辰と巳はいずれも酉と合するので、鶏を酉に置く。雉は火の鳥で、武威を表す。『方伎伝』は、太白が光を放つと鶏が鳴き、熒惑が輝きを流すと雉が驚くと述べる。『易通卦験』は、雉を陽とし、雄が鳴けば雌が応じるのは陽が唱えて陰が和する意味だとする。雉が時に応じて鳴くことにも、号令の意味がある。烏は陰の鳥でありながら、太陽の中にいる。

GT-500166・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

元命苞云烏在日中象陽懷陰也以其在日中得陽氣故仁而能反哺在酉者春時日臨兌酉是二八之門日所入處取其終也故竝配酉又云暮爲死石者取其金氣衰也禽變曰暮爲死土者土至金末氣衰敗也本生經云暮爲鳶者亦迅擊有武用也無五德故在暮戌爲狗狼豺者

句読本文校了

元命苞云、烏在日中象陽懷陰也。以其在日中得陽氣故仁而能反哺在酉者春時日臨兌酉是二八之門日所入處取其終也。故竝配酉又云、暮爲死石者取其金氣衰也。禽變曰、暮爲死土者土至金末氣衰敗也。本生經云、暮爲鳶者亦迅擊有武用也。無五德故在暮戌爲狗狼豺者。

訓読校了

『元命苞』は日中の烏を陽が陰を懐く象とする。日中に陽気を得るため仁で反哺する。酉は春の日が兌酉に臨む二八の門で、日の入る所なので終りを取る。ゆえに酉へ配する。暮の死石は金気の衰え、『禽変』の死土は土が金末で衰敗するためである。『本生経』の暮の鳶は迅撃の武用があるが五徳がないので暮に置く。戌は狗・狼・豺である。

現代語訳校了

『元命苞』は、太陽の中にいる烏を、陽が陰を内に抱く象とする。烏は太陽の中で陽気を得るため仁の性質をもち、親に餌を返して養う反哺を行えるという。これらの鳥を酉に配するのは、春には太陽が兌・酉に臨み、酉が「二八の門」で、日の入る場所として終わりを表すからである。そのため三鳥をそろって酉に配する。別説が暮を「死石」とするのは金気が衰えるためであり、『禽変』が暮を「死土」とするのは、土の気が金の季節の末に至って衰えるためである。『本生経』が暮を鳶とするのは、鳶もすばやく襲いかかる武の働きをもつが、鶏の五徳は備えないからである。戌には狗・狼・豺を配する。

GT-500167・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

戌爲黃昏乾爲天門戌既屬乾昏闇之時以警備也京氏別對曰狗爲主行以防奸也易曰艮爲狗艮既是門闕狗以守防也家語云七九六十三三主斗斗主狗狗三月生辰衝戌寅戌合故在戌禮記月令云九月之時豺乃祭獸因候配之狼形相似說文云豺狼屬也故竝居戌一曰暮死金者金至戌衰敗故也

句読本文校了

戌爲黃昏乾爲天門戌既屬乾昏闇之時以警備也。京氏別對曰、狗爲主行以防奸也。易曰、艮爲狗艮既是門闕狗以守防也。家語云、七九六十三三主斗斗主狗狗三月生辰衝戌寅戌合故在戌禮記月令云、九月之時豺乃祭獸因候配之狼形相似說文云、豺狼屬也。故竝居戌一曰、暮死金者金至戌衰敗故也。

訓読校了

戌は黃昏たり。乾は天門たり。戌既に乾に屬すれば、昏闇の時、以て警備す。『京氏別對』に曰く、狗は行を主り、以て奸を防ぐ。『易』に曰く、艮は狗と爲す。艮既に是れ門闕なれば、狗以て守防す。『家語』に云く、七九は六十三、三は斗を主り、斗は狗を主る。狗は三月にして生ず。辰は戌と衝し、寅と戌は合す。故に戌に在り。『禮記』月令に云く、九月の時、豺乃ち獸を祭る。候に因って之を配す。狼は形相似たり。『說文』に云く、豺は狼の屬なり。故に竝びに戌に居る。一に曰く、暮を死金とするは、金が戌に至って衰敗する故なり。

現代語訳校了

戌は黄昏の時で乾に属し、乾は天門を表すため、犬は暗い時を警備する。『京氏別対』は、犬が通行を見張って邪悪な者を防ぐとし、『易』は艮を犬とする。艮は門を表すので、犬がこれを守る。『家語』の数では七掛ける九が六十三となり、その末尾の三は斗を、斗は犬をつかさどる。犬は三か月を経て生まれ、その三に当たる辰が戌と衝し、さらに寅と戌が合するため、犬を戌に置く。『礼記』月令は九月に豺が獣を祭ると述べ、その時候に基づいて豺を配する。狼も豺と姿が似ており、『説文』も豺を狼の類とするため、両者を戌に置く。異説が暮を死金とするのは、金が戌に至って衰えるためである。

GT-500168・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

禽變云暮爲死火者戌爲火墓也亥爲猪豕猚者拭經云亥爲雜水穢濁廁溷之象猪之所居猪色玄象水色也其蹄分者陰象也五更必起不失其常如水有潮不違期也家語云六九五十四四主時時主豕豕四月生也衝巳故在亥豕猪之小者猚亦取其類而好夜行以陰性也故竝在亥

句読本文校了

禽變云、暮爲死火者戌爲火墓也。亥爲猪豕猚者拭經云、亥爲雜水穢濁廁溷之象猪之所居猪色玄象水色也。其蹄分者陰象也。五更必起不失其常如水有潮不違期也。家語云、六九五十四四主時時主豕豕四月生也。衝巳故在亥豕猪之小者猚亦取其類而好夜行以陰性也。故竝在亥。

訓読校了

『禽變』に云く、暮を死火とするは、戌は火墓たるなり。亥を猪・豕・猚とするは、『式經』に云く、亥は雜水、穢濁・廁溷の象にして、猪の居る所なり。猪の色玄きは水色に象り、其の蹄分かるるは陰に象る。五更に必ず起きて其の常を失はざるは、水に潮あり期に違はざるが如し。『家語』に云く、六九は五十四、四は時を主り、時は豕を主る。豕は四月にして生ず。巳は亥と衝す。故に亥に在り。豕は猪の小なる者なり。猚も亦た其の類を取り、夜行を好むは陰性を以てなり。故に竝びに亥に在り。

現代語訳校了

『禽変』が暮を死火とするのは、戌が火の墓に当たるためである。亥に配する猪・豕・猚について、『式経』は亥を雑水とし、汚れた厠の象で、猪の居所に当たるとする。猪の黒い色は水の色を、二つに分かれた蹄は陰を表す。猪が五更になると必ず起きて時刻を違えないことは、潮が決まった時を違えないのに似る。『家語』の数では六掛ける九が五十四となり、その末尾の四は時を、時は豕をつかさどる。豕は四か月を経て生まれ、その四に当たる巳が亥と衝するため、豕を亥に置く。豕は小さな猪であり、猚も同類で夜に行動することを好む陰性の獣なので、いずれも亥に置く。

GT-500169・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

一云旦爲生木者木生於亥也暮爲蛦蝓者㺄應是𤠾恐字誤也又云旦爲㹠㹠豕同也一云暮爲朽木者木始生敷因水淹沒故腐朽也問曰禽蟲之例數多何故不取麟鳳爲屬乃取蚯蚓蛇鼠小蟲荅曰取十二屬者皆以其知時候氣或色或形竝應陰陽故也麟鳳已配五靈非是虛而不用

句読本文校了

一云、旦爲生木者木生於亥也。暮爲蛦蝓者㺄應是𤠾恐字誤也。又云、旦爲㹠㹠豕同也。一云、暮爲朽木者木始生敷因水淹沒故腐朽也。問曰、禽蟲之例數多何故不取麟鳳爲屬乃取蚯蚓蛇鼠小蟲荅曰、取十二屬者皆以其知時候氣或色或形竝應陰陽故也。麟鳳已配五靈非是虛而不用。

訓読校了

異説では朝の生木は木が亥に生ずるため、暮を蛦蝓と爲す者については、㺄は應に𤠾なるべく、恐らくは字の誤りなり。また朝を㹠とし、㹠は豕と同じとする。暮の朽木は木が生じ広がるところを水が沈め腐朽させるためである。では禽虫の類は多いのに、なぜ麟鳳を十二属に取らず、蚯蚓・蛇・鼠などの小虫を取るのか。答えて曰く、時候の気を知り、色や形が陰陽に応ずるものを取る。麟鳳はすでに五霊に配されており、空しく用いないのではない。

現代語訳校了

異説で朝を生木とするのは、木が亥に生じるためである。暮を蛦蝓とする説については、「㺄」は「𤠾」であるべきで、字の誤りと思われる。また朝を㹠とする説があり、㹠は豕と同じである。暮を朽木とするのは、木が生じ広がろうとするところを水が沈め、腐朽させるためである。では、禽虫の類は数多いのに、なぜ麒麟や鳳凰を十二属に採らず、蚯蚓・蛇・鼠などの小さな虫を採るのか。答えは次のとおりである。十二属には、時候の気を知り、色または形が陰陽に応じるものを採る。麒麟と鳳凰をまったく用いないわけではなく、すでに五霊に配している。

GT-500170・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

又問曰麟鳳已配五靈更不取者龍虎亦配何爲復用荅曰龍動雲興虎嘯風起此是應陰陽之氣所以須取麟鳳雖靈無所作動故不重用其十二屬竝是斗星之氣散而爲人之命係於北斗是故用以爲屬春秋運斗樞曰樞星散爲龍馬旋星散爲虎機星散爲狗摧星散爲蛇玉衡散爲雞兔鼠闔陽散爲羊牛

句読本文校了

又問曰、麟鳳已配五靈更不取者龍虎亦配何爲復用荅曰、龍動雲興虎嘯風起此是應陰陽之氣所以須取麟鳳雖靈無所作動故不重用其十二屬竝是斗星之氣散而爲人之命係於北斗是故用以爲屬春秋運斗樞曰、樞星散爲龍馬旋星散爲虎機星散爲狗摧星散爲蛇玉衡散爲雞兔鼠闔陽散爲羊牛。

訓読校了

さらに問ひて曰く、麟・鳳は已に五霊に配して更に取らずば、龍・虎も亦た配す。何為れぞ復た用ふる。答へて曰く、龍動けば雲興り、虎嘯けば風起こる。此れ是れ陰陽の気に応ずるものなれば、取るを須ふ所以なり。麟・鳳は霊なりと雖も、作動する所無きが故に重ねて用ひず。其の十二属は並びに是れ斗星の気、散じて人の命と為り、北斗に係る。是の故に用ひて属と為す。『春秋運斗枢』に曰く、枢星散じて龍・馬と為り、旋星散じて虎と為り、機星散じて狗と為り、摧星散じて蛇と為り、玉衡散じて鶏・兔・鼠と為り、闔陽散じて羊・牛と為る。

現代語訳校了

さらに、「麟と鳳はすでに五霊に配したため重ねて取らないというのに、同じく五霊に配した龍と虎はなぜ再び用いるのか」と問う。答えは次のとおりである。龍が動けば雲が起こり、虎が吼えれば風が起こる。このように龍と虎は陰陽の気に感応して現象を起こすため、再び採用する必要がある。麟と鳳は霊獣ではあるが、そのような働きを起こさないので重用しない。十二属はいずれも北斗の星々の気が散じて人の運命となったもので、北斗に結びつくため、十二属として用いる。『春秋運斗枢』によれば、枢星の気が散じると龍と馬に、旋星の気は虎に、機星の気は犬に、摧星の気は蛇に、玉衡の気は鶏・兎・鼠に、闔陽の気は羊・牛になる。

GT-500171・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

搖光散爲猴猿此等皆上應天星下屬年命也三十六禽各作方位爲禽蟲之長領三百六十十而倍之至三千六百竝配五行皆相貫領既非占候之用不復具釋五行大義卷第五

句読本文校了

搖光散爲猴猿此等皆上應天星下屬年命也。三十六禽各作方位爲禽蟲之長領三百六十十而倍之至三千六百竝配五行皆相貫領既非占候之用不復具釋五行大義卷第五。

訓読校了

搖光散じて猴・猿と為る。此等は皆、上は天星に応じ、下は年命に属す。三十六禽は各おの方位を作し、禽虫の長と為り、三百六十を領す。十にして之を倍し、三千六百に至る。並びに五行に配し、皆相ひ貫領す。既に占候の用に非ざれば、復た具さに釈せず。『五行大義』巻第五。

現代語訳校了

搖光の気が散じると猴と猿になる。これらは上では天の星々に対応し、下では人の年命に属する。三十六禽はそれぞれ一つの方位を占め、禽虫の長として三百六十種を統率する。それを十倍すると三千六百種に及び、いずれも五行に配され、相互に連結された統属関係をなす。ただし、これは占いや兆候の判断に用いる体系ではないので、これ以上詳しく説明しない。『五行大義』巻第五。

GT-500172
巻末 校了
原文翻刻校了

書五行大義後

句読本文校了

書五行大義後

訓読校了

五行大義の後に書す。

現代語訳校了

『五行大義』の後書き。

GT-500173
巻末 校了
原文翻刻校了

五行大義五巻隋城陽郡開國公蕭吉撰

句読本文校了

五行大義五巻隋城陽郡開國公蕭吉撰。

訓読校了

五行大義五巻は、隋の城陽郡開國公蕭吉の撰なり。

現代語訳校了

『五行大義』五巻は、隋の城陽郡開国公・蕭吉の著作である。

GT-500174
巻末 校了
原文翻刻校了

按隋書本傳云吉字文休梁武帝兄長沙宣武王懿之孫也博學多通尤精陰陽算術

句読本文校了

按隋書本傳云、吉字文休梁武帝兄長沙宣武王懿之孫也。博學多通尤精陰陽算術。

訓読校了

隋書本傳を按ずるに云く、吉、字は文休、梁の武帝の兄、長沙宣武王懿の孫なり。博學多通にして、尤も陰陽算術に精し。

現代語訳校了

『隋書』本伝によれば、蕭吉は字を文休といい、梁の武帝の兄である長沙宣武王蕭懿の孫で、博学多才、とりわけ陰陽術と算術に精通していた。

GT-500175
巻末 校了
原文翻刻校了

江陵陷遂歸于周爲儀同宣帝時吉以朝政日亂上書切諫不納及隋受禪進上儀同以本官太常考定古今陰陽書

句読本文校了

江陵陷遂歸于周爲儀同宣帝時吉以朝政日亂上書切諫不納及隋受禪進上儀同以本官太常考定古今陰陽書。

訓読校了

江陵陷り、遂に周に歸して儀同と爲る。宣帝の時、吉、朝政日に亂るるを以て上書して切諫するも納れられず。隋の受禪に及び、上儀同に進み、本官太常を以て古今の陰陽書を考定す。

現代語訳校了

江陵陥落後に北周へ帰属して儀同となった。宣帝期には政治の乱れを厳しく諫めたが受け入れられず、隋成立後は上儀同に進み、太常として古今の陰陽書を校定した。

GT-500176
巻末 校了
原文翻刻校了

吉性孤峭不與公卿相沈浮又與楊素不恊由是擯落於世欝欝不得志見上好徴祥之説欲乾没自進遂矯其迹爲悦媚焉

句読本文校了

吉性孤峭不與公卿相沈浮又與楊素不恊由是擯落於世欝欝不得志見上好徴祥之説欲乾没自進遂矯其迹爲悦媚焉。

訓読校了

吉の性、孤峭にして、公卿と相ひ沈浮せず、又楊素と恊はず。是に由り世に擯落せられ、欝欝として志を得ず。上の徴祥の説を好むを見て、乾没して自ら進まんと欲し、遂に其の迹を矯め悦媚を爲す。

現代語訳校了

蕭吉は孤高な性格で公卿と浮沈を共にせず、楊素とも不和だったため世に排斥され、鬱々として志を得られなかった。皇帝が徴祥の説を好むと知ると、手段を選ばず自ら進用されようとし、ついには振る舞いを作り替えて皇帝に媚びた。

GT-500177
巻末 校了
原文翻刻校了

及煬帝嗣位拜太府少卿加位開府嘗行經華陰見楊素冡上有白氣屬天密言於帝帝問其故吉曰其候素家當有兵禍滅門之象改葬者庶可免乎帝後從容謂楊玄感曰公家宜早改葬玄感亦微知其故以爲吉祥託以遼東未滅不遑私門之事未幾而玄感以反族滅帝彌信之後歲餘卒官

句読本文校了

及煬帝嗣位、拜太府少卿、加位開府。嘗行經華陰、見楊素冡上有白氣屬天、密言於帝。帝問其故。吉曰、其候素家當有兵禍滅門之象。改葬者、庶可免乎。帝後從容謂楊玄感曰、公家宜早改葬。玄感亦微知其故、以爲吉祥、託以遼東未滅、不遑私門之事。未幾而玄感以反族滅。帝彌信之。後歲餘卒官。

訓読校了

煬帝の位を嗣ぐに及び、太府少卿を拜し開府の位を加へらる。華陰を行經し楊素の冡上に白氣の天に屬するを見て、帝に密言す。帝其の故を問ふに、吉曰く、其の候、素家に兵禍滅門の象あり、改葬せば庶は免るべきか、と。帝、後に從容として楊玄感に家の早く改葬すべきを告ぐ。玄感も微かに其の故を知るも、吉祥なりとし、遼東未だ滅びず私門の事に遑あらずと託す。未だ幾ばくならず玄感、反を以て族滅し、帝彌々之を信ず。後一年餘にして官に卒す。

現代語訳校了

煬帝が即位すると、蕭吉は太府少卿に任じられ、開府の位を加えられた。かつて華陰を通った際、楊素の墓上から天に達する白気を見て密かに皇帝へ告げた。皇帝が理由を問うと、蕭吉は楊素の家に兵禍による滅門の兆しがあり、改葬すれば免れ得ると答えた。後に皇帝は楊玄感へ早く改葬するよう勧めたが、楊玄感は事情を薄々知りながら吉祥とみなし、遼東がまだ平定されず私家の事に暇がないことを口実にした。ほどなく楊玄感は反乱によって族滅し、皇帝はいっそう蕭吉を信じた。蕭吉はその一年余り後、在官のまま没した。

GT-500178
巻末 校了
原文翻刻校了

著金海三十巻相經要録一巻宅經八巻葬經六巻樂譜十二巻及帝王養生方二巻相手版要決一巻太一立成一巻竝行於世

句読本文校了

著金海三十巻相經要録一巻宅經八巻葬經六巻樂譜十二巻及帝王養生方二巻相手版要決一巻太一立成一巻竝行於世。

訓読校了

金海三十巻、相經要録一巻、宅經八巻、葬經六巻、樂譜十二巻、帝王養生方二巻、相手版要決一巻、太一立成一巻を著し、竝びに世に行はる。

現代語訳校了

著書には『金海』三十巻、『相経要録』一巻、『宅経』八巻、『葬経』六巻、『楽譜』十二巻、『帝王養生方』二巻、『相手版要決』一巻、『太一立成』一巻があり、いずれも世に行われた。

GT-500179
巻末 校了
原文翻刻校了

史傳所載如此其詳而言不及此書矣意者此書吉親所著者魏徴修史之時未行於世乎

句読本文校了

史傳所載如此其詳而言不及此書矣。意者、此書吉親所著者、魏徴修史之時未行於世乎。

訓読校了

史傳の載する所は此の如く詳らかなれども、此の書に言及せず。意ふに、此の書は吉の親しく著す所なるも、魏徴の史を修する時、未だ世に行はれざりしか。

現代語訳校了

史伝は蕭吉の事績を詳しく記すのに本書へ触れない。おそらく蕭吉自身の著作だが、魏徴が正史を編纂した時にはまだ世に流通していなかったのだろうか、と推測する。

GT-500180
巻末 校了
原文翻刻校了

夫兩漢以来作史者不得其人則雖其殊勲偉績非常之跡皆曖昧謬亂闇而不章者固不寡特今以史不載之故遽疑而廢之乎況文章古雅決非隋唐以下之作也仍加校定鏤版公天下

句読本文校了

夫兩漢以来作史者、不得其人則雖其殊勲偉績非常之跡皆曖昧謬亂闇而不章者、固不寡特今以史不載之故、遽疑而廢之乎況文章古雅決非隋唐以下之作也。仍加校定鏤版公天下。

訓読校了

兩漢以來、史を作る者其の人を得ざれば、殊勲偉績、非常の跡と雖も曖昧謬亂し、闇にして章らかならざる者固より寡からず。特に今、史に載せざる故を以て遽かに疑ひて之を廢せんや。況んや文章古雅にして決して隋唐以下の作に非ず。仍りて校定を加へ、版に鏤めて天下に公にす。

現代語訳校了

前漢・後漢以来、史書の編者が適任でなければ、殊勲・偉績・非常の事跡でさえ曖昧で誤乱し、明らかに記されない例は少なくない。したがって、ただ史書に載らないという理由だけで、にわかに本書を疑って捨てるべきではない。まして文章は古雅であり、隋・唐より後の作ではないことは明らかである。そこで校定を加え、版木に刻んで天下に公開した。

GT-500181
巻末 校了
原文翻刻校了

元本釋子所謄寫者出於相州鎌倉之古刹跋其書後云元弘三年癸酉書按元弘後醍醐帝之暦號紀元僅一年其歳帝蒙塵於芳野光嚴帝即位於長安改元正慶癸酉是當於正慶二年無所謂元弘三年者

句読本文校了

元本釋子所謄寫者、出於相州鎌倉之古刹跋其書後云、元弘三年癸酉書按元弘後醍醐帝之暦號紀元僅一年其歳帝蒙塵於芳野光嚴帝即位於長安改元正慶癸酉是當於正慶二年無所謂元弘三年者。

訓読校了

元本の釋子の謄寫する所は相州鎌倉の古刹より出づ。其の書後に跋して元弘三年癸酉に書すと云ふ。按ずるに元弘は後醍醐帝の暦號にして紀元僅か一年、其の歲、帝は芳野に蒙塵し、光嚴帝は長安に即位して正慶と改元す。癸酉は正慶二年に當り、所謂元弘三年なる者無し。

現代語訳校了

元本の僧が謄写した写本は、相州鎌倉の古刹から出たもので、その跋には「元弘三年癸酉に書す」とある。しかし元弘は後醍醐天皇の暦号で、その紀元はわずか一年であった。その年、後醍醐天皇は芳野に蒙塵し、光厳天皇が長安で即位して正慶と改元した。癸酉は正慶二年に当たるため、元弘三年という年は存在しない。

GT-500182
巻末 校了
原文翻刻校了

蓋此時天下瓜分南朝北朝各持衡軸之勢北朝改元南朝猶用元弘暦號乎

句読本文校了

蓋此時天下瓜分南朝北朝各持衡軸之勢北朝改元南朝猶用元弘暦號乎。

訓読校了

蓋し此の時、天下瓜分し、南朝北朝各々衡軸を持する勢なり。北朝は改元するも、南朝は猶ほ元弘の暦號を用ひしか。

現代語訳校了

おそらくこの時、天下は分裂し、南朝と北朝がそれぞれ政権の中枢を担う勢いにあった。北朝が改元しても、南朝はなお元弘の年号を用いていたのではないだろうか。

GT-500183
巻末 校了
原文翻刻校了

又檢國史此歳五月屬高時族滅之秋相州擾動道路梗塞壞亂之中倉皇之際退在僻境不聞改元襲書舊號乎皆不可知矣

句読本文校了

又檢國史此歳五月屬高時族滅之秋相州擾動道路梗塞壞亂之中倉皇之際退在僻境不聞改元襲書舊號乎皆不可知矣。

訓読校了

又國史を檢するに、此の歲五月は高時の族滅の秋に屬し、相州擾動し道路梗塞す。壞亂倉皇の際、僻境に退在して改元を聞かず、舊號を襲書せしか。皆知るべからず。

現代語訳校了

また国史を調べると、この年の五月は北条高時一族が滅亡した時に当たり、相州は騒乱し、道路も梗塞していた。破壊と混乱のただ中で、僻境に退いていた書写者が改元を知らず、旧年号をそのまま書き継いだのだろうか。真相はいずれも知ることができない。

GT-500184
巻末 校了
原文翻刻校了

尓来兵革相繼宮殿圖籍古器珍玩罹兵燹者不爲不多然而此書獨存上去隋一千八十餘年幸免蠧蝕又久不顯今再傳播於人間豈非遭遇固有時也哉

句読本文校了

尓来、兵革相繼、宮殿圖籍古器珍玩罹兵燹者、不爲不多。然而此書獨存、上去隋一千八十餘年、幸免蠧蝕。又久不顯、今再傳播於人間。豈非遭遇固有時也哉。

訓読校了

尓来兵革相繼ぎ、宮殿圖籍・古器珍玩の兵燹に罹る者多し。然れども此の書獨り存し、上は隋を去ること一千八十餘年、幸ひに蠧蝕を免れ、又久しく顯れずして今再び人間に傳播す。豈に遭遇固より時有るに非ずや。

現代語訳校了

それ以来、兵革が相次ぎ、宮殿・図籍・古器・珍玩のうち兵火に遭ったものは少なくなかった。しかしこの書だけは残り、隋から一千八十余年を経ても幸い虫害を免れた。しかも長らく世に現れなかったのに、今ふたたび人間の世に伝播する。書物が世に出る機会には、もとより時があるということではないだろうか。

底本影印

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