五行大義

五行大義

隋の蕭吉が五行思想の諸説を集成した『五行大義』全五巻について、土御門文書編纂所による原文翻刻・句読・訓読・現代語訳を公開します。

土御門文書編纂所による公開校訂版です。元禄十二年刊本の画像を底本とし、原文翻刻、独自句読、独自訓読、独自現代語訳を分離して公開します。

自家翻刻・訓読・現代語訳

公開版 gogyo-taigi-20260818-g4-v2・全964単位・45 / 49頁

GT-500105・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

負販市𨞬隨時鬵貨貴賤相易以資產業此商人也亦曰賈人也工人者雕斵伎巧備諸器用造新脩故以力貨財此曰工人下五衆人者凡雜云衆人豫讓曰范中行氏以衆人遇我也小人者卑鄙行惡此曰小人孔子曰桀紂雖帝王其猶小人也文子曰中繩謂之君子不中繩謂之小人

句読本文校了

負販市𨞬隨時鬵貨貴賤相易以資產業此商人也。亦曰、賈人也。工人者、雕斵伎巧備諸器用造新脩故、以力貨財此曰、工人下五衆人者、凡雜云、衆人豫讓曰、范中行氏以衆人遇我也。小人者、卑鄙行惡此曰、小人孔子曰、桀紂雖帝王其猶小人也。文子曰、中繩謂之君子不中繩謂之小人。

訓読校了

販を負ひ市𨞬し、時に隨ひ貨を鬵し、貴賤相易へて產業を資く。此れ商人、亦賈人と曰ふ。工人は雕斵の伎巧あり、諸器用を備へ、新を造り故きを脩め、力を以て財を貨す。此を工人と曰ふ。下五の衆人は、凡雜を衆人と云ふ。豫讓曰く、范・中行氏は衆人を以て我を遇せり。小人は卑鄙にして惡を行ふ。此を小人と曰ふ。孔子曰く、桀紂は帝王と雖も猶ほ小人なり。文子曰く、繩に中るを君子と謂ひ、繩に中らざるを小人と謂ふ。

現代語訳校了

商人は商品を背負って売り歩き、市場を巡り、時勢に応じて品を売買し、高い物と安い物を交換して生業の資とする。これを商人、または賈人という。工人は彫刻や加工の技を備え、さまざまな器物を作り、新しい物を作って古い物を修め、労力によって財を得る。これを工人という。最下位五種のうち衆人とは一般の雑多な人々である。豫譲は「范氏と中行氏は私を衆人として遇した」と述べた。小人とは卑しく悪を行う者である。孔子は、桀王や紂王も帝王ではあったが小人にほかならないと述べる。『文子』は、規準にかなう者を君子、かなわない者を小人という。

第二十三論諸人・第一者論人配五行

第5冊 第26画像を開く(新しいタブ)
GT-500106・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

君子雖死其名不滅小人雖得勢其罪不除駑人者駑鈍也亦罪隸爲名古者有罪爲奴尚書曰予則奴戮汝罪之也紂以箕子爲奴亦戮辱也馬有駑者以其鈍也愚人者嚚闇無知菽麥不辨謂之愚人孔子曰其知可及其愚不可及者以其稟昏濁之氣而生非學所得也亦曰

句読本文校了

君子雖死其名不滅小人雖得勢其罪不除駑人者、駑鈍也。亦罪隸爲名古者、有罪爲奴尚書曰、予則奴戮汝罪之也。紂以箕子爲奴亦戮辱也。馬有駑者、以其鈍也。愚人者、嚚闇無知菽麥不辨謂之愚人孔子曰、其知可及其愚不可及者、以其稟昏濁之氣而生非學所得也。亦曰。

訓読校了

君子は死すと雖も其の名滅びず、小人は勢を得ると雖も其の罪除かれず。駑人は駑鈍なり。亦罪隸を名と爲す。古は罪ある者を奴と爲す。尚書に曰く、予則ち汝を奴戮せん、之を罪するなり。紂、箕子を奴と爲すも亦戮辱なり。馬に駑なる者あるは其の鈍きを以てなり。愚人は嚚闇にして知無く、菽麥を辨ぜず。之を愚人と謂ふ。孔子曰く、其の知は及ぶべし、其の愚は及ぶべからずとは、昏濁の氣を稟けて生じ、學にて得る所に非ざるを以てなり。亦、

現代語訳校了

君子は死んでも名が滅びず、小人は勢力を得ても罪が消えない。駑人とは鈍い者であり、古く罪人を奴隷としたことにもその名を結びつける。『尚書』の「私はお前を奴として処刑しよう」という句は相手を罪する意味であり、紂王が箕子を奴としたことも処刑に等しい辱めである。馬を駑馬というのも鈍いからである。愚人は頑迷で暗く知識がなく、豆と麦さえ区別できない。孔子の「その知恵には及べても、その愚かさには及べない」という言葉について、これは生まれながらに昏濁の気を受けたもので、学んで得られるものではないと解する。愚人は庸人ともいう。

第二十三論諸人・第一者論人配五行

第5冊 第26画像を開く(新しいタブ)
GT-500107・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

庸人孔子曰心不存始終之規口不吐訓格之言又不擇賢以託身不力行以自定見小闇大而不知所傷從物如流而不知所仇此庸人也肉人者狂癡無識痛癢莫分雖能動靜與完不異是謂肉人此二十五等人由稟五行之氣各有優劣故

句読本文校了

庸人孔子曰、心不存始終之規口不吐訓格之言又不擇賢以託身不力行以自定見小闇大而不知所傷從物如流而不知所仇此庸人也。肉人者、狂癡無識痛癢莫分雖能動靜與完不異是謂肉人此二十五等人由稟五行之氣各有優劣故。

訓読校了

庸人と曰ふ。孔子曰く、心に始終の規を存せず、口に訓格の言を吐かず、又賢を擇びて身を託せず、力行して自ら定めず、小を見て大に闇く傷る所を知らず、物に從ふこと流れの如く仇する所を知らず。此れ庸人なり。肉人は狂癡にして識無く、痛癢を分たず、動靜すと雖も完と異ならず。是を肉人と謂ふ。此の二十五等の人は五行の氣を稟け、各々優劣ある故に、

現代語訳校了

庸人について孔子は、心に始終一貫した規準を持たず、口から模範となる言葉を発せず、賢者を選んで身を託すことも、力を尽くして自らを確立することもしない者だという。小さなことだけを見て大きなことに暗く、何が自分を損なうかを知らず、物事に流れのように従って、何に抗すべきかも知らない。これが庸人である。肉人は狂愚で知識がなく、痛みとかゆみの区別もつかない。動いたり静止したりはできても、底本にいう「完」と異ならない。これを肉人という。この二十五等の人は五行の気を受けて生まれ、それぞれ優劣がある。

GT-500108・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

有多等善惡不同今且分爲四品其神真道至聖德賢七者受王氣而生也善中辨仁禮信義智八者相氣而生也士庶農商工五者休氣而生也衆小駑愚完五者囚氣而生也王氣當其盛時故最靈聖相氣微劣於王故自善忠已下伏王政休氣已衰故當仕庶之例囚氣最劣故

句読本文校了

有多等善惡不同今且分爲四品其神真道至聖德賢七者、受王氣而生也。善中辨仁禮信義智八者、相氣而生也。士庶農商工五者、休氣而生也。衆小駑愚完五者、囚氣而生也。王氣當其盛時故、最靈聖相氣微劣於王故、自善忠已下伏王政休氣已衰故、當仕庶之例囚氣最劣故。

訓読校了

多くの等あり、善惡同じからず。今且く四品と爲す。神・真・道・至・聖・德・賢の七者は王氣を受けて生ず。善・中・辨・仁・禮・信・義・智の八者は相氣を受けて生ず。士・庶・農・商・工の五者は休氣を受けて生ず。衆・小・駑・愚・完の五者は囚氣を受けて生ず。王氣は其の盛時に當る故に最も靈聖、相氣は王より微かに劣る故に善忠より已下、王政に伏す。休氣は已に衰ふる故に仕庶の例に當り、囚氣最も劣る故に、

現代語訳校了

そのため、人には多くの等級があり、善悪も一様ではない。ここでは二十五種を四品に分ける。神・真・道・至・聖・徳・賢の七者は王気を受け、善・中・弁・仁・礼・信・義・智の八者は相気を受け、士・庶・農・商・工の五者は休気を受け、衆・小・駑・愚・完の五者は囚気を受けて生まれる。王気は盛んな時に当たるため、そこから生じる者は最も霊妙で聖明である。相気は王気よりわずかに劣るため、善・忠以下は王政に服する。休気はすでに衰えているため士・庶の類に当たり、囚気は最も劣るため、

第二十三論諸人・第一者論人配五行

第5冊 第27画像を開く(新しいタブ)
GT-500109・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

當衆小之流文子以上返下喻人比畜亦近之矣然此五氣有清有濁有正有邪有初有末若得正氣雖在卑劣方爲大善若受卑氣雖居尊勝衆興大惡至如桀覆夏宗紂亡殷族周衰幽厲漢滅桓靈此則處尊興惡者也

句読本文校了

當衆小之流文子以上返下喻人比畜亦近之矣。然此五氣有清有濁有正有邪有初有末若得正氣雖在卑劣方爲大善若受卑氣雖居尊勝衆興大惡至如桀覆夏宗紂亡殷族周衰幽厲漢滅桓靈此則處尊興惡者、也。

訓読校了

衆小の流に當る。文子の上を以て下に返し、人を畜に比する喻へも亦之に近し。然れども此の五氣には清濁・正邪・初末あり。正氣を得れば卑劣に在ると雖も大善と爲り、卑氣を受くれば尊勝に居ると雖も衆く大惡を興す。桀の夏宗を覆し、紂の殷族を亡ぼし、周の幽厲に衰へ、漢の桓靈に滅びしが如きは、尊に處り惡を興す者なり。

現代語訳校了

最下の衆人・小人の類に当たる。『文子』が上位と下位を対照し人を家畜にたとえることも、この分類に近い。ただし五気には清濁・正邪・初末がある。正気を得れば卑しい地位でも大善となり、卑しい気なら高位でも多くの大悪を起こす。桀が夏王朝、紂が殷王族を滅ぼし、周が幽王・厲王で衰え、漢が桓帝・霊帝で滅びたのは、高位で悪を起こした例である。

第二十三論諸人・第一者論人配五行

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GT-500110・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

負鼎於殷廟垂釣於磻溪商賈南陽飼牛車下當此之時其善未見及登師輔仁聖竝彰此豈非卑下而能宏濟其賢德已上氣正無邪故居最上然氣之初也齡齒終長氣之末也命相短促此四氣又有四別若上清秀靈智愈高上而濁汙乃須脩飭下而清秀琢磨方以爲器加之昏濁朽木不可復雕

句読本文校了

負鼎於殷廟垂釣於磻溪商賈南陽飼牛車下當此之時其善未見及登師輔仁聖竝彰此豈非卑下而能宏濟其賢德已上氣正無邪故、居最上然氣之初也。齡齒終長氣之末也。命相短促此四氣又有四別若上清秀靈智愈高上而濁汙乃須脩飭下而清秀琢磨方以爲器加之昏濁朽木不可復雕。

訓読校了

鼎を殷廟に負ひ、磻溪に釣を垂れ、南陽に商賈し、車下に牛を飼ひしは、其の時には善未だ見れず、師輔に登るに及び仁聖竝びに彰れたり。此れ豈に卑下にして能く宏濟するに非ずや。其の賢德已上は氣正しく邪無き故に最上に居る。然れども氣の初は齡齒終に長く、氣の末は命相短促なり。此の四氣に又四別あり。上にして清秀ならば靈智愈々高く、上にして濁汙ならば乃ち脩飭を須ひ、下にして清秀ならば琢磨して方に器と爲る。加之、昏濁ならば朽木の復た雕るべからざるが如し。

現代語訳校了

殷の宗廟で鼎を背負った者、磻渓で釣りをした者、南陽で商いをした者、車の下で牛を飼った者は、その時には善徳を認められなかったが、王の師・補佐役に登ると仁と聖徳がともに現れた。これは、低い境遇にありながら広く世を救った例ではないか。賢人・徳人以上は、気が正しく邪がないので最上に置かれる。気の初めを受ければ寿命が長く、気の末を受ければ寿命は短い。この四気にはさらに四つの差があり、上位の気で清秀なら霊知はいよいよ高く、上位でも濁っていれば修養が必要である。下位でも清秀なら磨いて初めて器となり、さらに昏濁なら、朽木を彫り直せないように矯正できない。

第二十三論諸人・第一者論人配五行

第5冊 第27画像を開く(新しいタブ)
GT-500111・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

兼貴賤富貧好醜善惡性情年命乃有萬途竝五行氣感所致今且就文子論其二十五等以爲階差自外諸徒難以具辨知人則哲惟帝其難非明聖者孰能辨識祿命決云王氣中生者其人王相宜爵祿相氣中生者其人多官死氣中生者其人多疾病短命

句読本文校了

兼貴賤富貧好醜善惡性情年命乃有萬途竝五行氣感所致今且就文子論其二十五等以爲階差自外諸徒難以具辨知人則哲惟帝其難非明聖者、孰能辨識祿命決云、王氣中生者、其人王相宜爵祿相氣中生者、其人多官死氣中生者、其人多疾病短命。

訓読校了

貴賤・富貧・好醜・善惡・性情・年命には萬途あり、竝びに五行の氣感の致す所なり。今且く文子に就き其の二十五等を論じて階差と爲す。自外の諸徒は具に辨ずること難し。人を知るは哲、惟れ帝すら其れ難し。明聖に非ざれば孰か能く辨識せん。祿命決に云く、王氣中に生るる者は其の人王相にして爵祿に宜しく、相氣中に生るる者は官多く、死氣中に生るる者は疾病多く短命なり。

現代語訳校了

貴賤・富貧・美醜・善悪・性情・年命には無数のあり方があり、いずれも五行の気の感応によって生じる。ここでは『文子』の二十五等だけを論じて段階としたが、その他の諸類を詳しく弁別するのは難しい。「人を知ることこそ哲であるが、帝王にさえ難しい」という。明知ある聖人でなければ、誰が見分けられるだろうか。『禄命決』によれば、王気の中に生まれた者は王相を備えて爵禄にふさわしく、相気の中に生まれた者は多く官位を得、死気の中に生まれた者は病が多く短命である。

GT-500112・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

此竝論其生月當五行氣盛衰時也況其稟受氣者其人形質情性骨肉藏府皆象五行相書云木人細長直身火人小頭豐下短小土人員面大腹金人方面兌口水人面薄身偏蛇行木人青色真有白是害氣火人赤色真有黑是害氣土人黃色真有青是害氣金人

句読本文校了

此竝論其生月當五行氣盛衰時也。況其稟受氣者、其人形質情性骨肉藏府皆象五行相書云、木人細長直身火人小頭豐下短小土人員面大腹金人方面兌口水人面薄身偏蛇行木人青色真有白是害氣火人赤色真有黑是害氣土人黃色真有青是害氣金人。

訓読校了

此れ竝びに其の生月が五行の氣の盛衰に當る時を論ず。況んや其の稟受する氣により、人の形質・情性・骨肉・藏府、皆五行に象る。相書に云く、木人は細長く直身、火人は小頭豐下にして短小、土人は員面大腹、金人は方面兌口、水人は面薄く身偏り蛇行す。木人の青色に真なるに白あれば害氣、火人の赤色に真なるに黑あれば害氣、土人の黃色に真なるに青あれば害氣、金人の、

現代語訳校了

これは出生月が五行の気の盛衰のどこに当たるかを論じる。受ける気は人の形質・性情・骨肉・臓腑にも現れ、すべて五行をかたどる。相書では、木人は細長い直身、火人は小頭で下部が豊かな短身、土人は丸顔で大腹、金人は四角い顔と尖った口、水人は薄い顔で体が偏り蛇のように歩く。木人の青に白が混じれば害気、火人の赤に黒、土人の黄に青、金人の、

第二十三論諸人・第一者論人配五行

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GT-500113・巻5
本文 校了
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白色真有赤是害氣水人黑色真有黃是害氣配日則甲乙爲皮毛丙丁爲爪筋戊己爲肉庚辛爲骨壬癸爲血脈配卦則乾爲頭離爲目坎爲耳兌爲口坤爲腹巽爲手艮爲股膝震爲足其藏府性情各有別解然人居天地之內在山川之中各隨方位形性不等所以東夷之

句読本文校了

白色真有赤是害氣水人黑色真有黃是害氣配日則甲乙爲皮毛丙丁爲爪筋戊己爲肉庚辛爲骨壬癸爲血脈配卦則乾爲頭離爲目坎爲耳兌爲口坤爲腹巽爲手艮爲股膝震爲足其藏府性情各有別解然人居天地之內在山川之中各隨方位形性不等所以東夷之。

訓読校了

白色に真なるに赤あれば害氣、水人の黑色に真なるに黃あれば害氣なり。日に配すれば甲乙は皮毛、丙丁は爪筋、戊己は肉、庚辛は骨、壬癸は血脈なり。卦に配すれば乾は頭、離は目、坎は耳、兌は口、坤は腹、巽は手、艮は股膝、震は足なり。其の藏府性情は各々別解あり。然れども人は天地の内、山川の中に居り、各々方位に隨ひ形性等しからず。所以に東夷の、

現代語訳校了

金人の本来の白色に赤が混じれば害気となり、水人の本来の黒色に黄が混じっても害気となる。十干では、甲・乙を皮毛、丙・丁を爪と筋、戊・己を肉、庚・辛を骨、壬・癸を血脈に配する。八卦では、乾を頭、離を目、坎を耳、兌を口、坤を腹、巽を手、艮を股と膝、震を足に配する。臓腑と性情にはそれぞれ別の解説がある。人は天地の内、山川の中に住み、方位によって形質と性質が異なるため、このあと東夷の人々から説明する。

第二十三論諸人・第一者論人配五行

第5冊 第28画像を開く(新しいタブ)
GT-500114・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

人其形細長脩眉長目衣冠亦尚狹長東海句麗之人其冠高狹加以鳥羽象於木枝長目者目主肝肝木也故細而長皆象木也南蠻之人短小輕躁高口少髪衣服亦尚短輕高口者口人中主心心火也火炎上故高炎上故少髮也西戎之人深目高鼻衣而無冠者鼻主肺肺金也

句読本文校了

人其形細長脩眉長目衣冠亦尚狹長東海句麗之人其冠高狹加以鳥羽象於木枝長目者、目主肝肝木也。故、細而長皆象木也。南蠻之人短小輕躁高口少髪衣服亦尚短輕高口者、口人中主心心火也。火炎上故、高炎上故、少髮也。西戎之人深目高鼻衣而無冠者、鼻主肺肺金也。

訓読校了

東夷の人は形細長く、脩眉長目にして、衣冠も亦狹長を尚ぶ。東海句麗の人は冠高狹にして鳥羽を加へ、木枝に象る。長目は目が肝を主り、肝は木なる故に細長く、皆木に象る。南蠻の人は短小輕躁、高口少髪にして、衣服も亦短輕を尚ぶ。高口は口の人中が心を主り、心は火なれば炎上する故に高く、炎上する故に少髮なり。西戎の人は深目高鼻、衣して冠無し。鼻は肺を主り、肺は金なり。

現代語訳校了

東夷の人は、細長い体、長い眉と目を持ち、狭く長い衣冠を好む。東海の高句麗人は高く狭い冠に鳥の羽を加え、木の枝をかたどる。目は肝をつかさどり、肝は木に属するため、その長い目をはじめ、細長い形はすべて木を表す。南蛮の人は背が低く小柄で、軽はずみで落ち着きがなく、口が高く髪が少なく、衣服も短く軽いものを好む。口の上部にある人中は心をつかさどり、心は火に属して上へ燃え上がるため口が高く、髪も少ないと説明する。西戎の人は目が深く鼻が高く、衣服は着ても冠を着けない。鼻は肺をつかさどり、肺は金に属する。

第二十三論諸人・第一者論人配五行

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GT-500115・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

故高目肝也肝爲木金之所制故深金主裁斷故髮斷無冠北狄之人高權被髪衣長者權主腎腎水也故高權被髪者象水流漫也衣長亦象水行也中夏之人容貌平整者象土地和平也其衣冠車服備五色者象土包含四行也孔子曰東僻之人曰夷精以僥南僻之人曰

句読本文校了

故、高目肝也。肝爲木金之所制故、深金主裁斷故、髮斷無冠北狄之人高權被髪衣長者、權主腎腎水也。故、高權被髪者、象水流漫也。衣長亦象水行也。中夏之人容貌平整者、象土地和平也。其衣冠車服備五色者、象土包含四行也。孔子曰、東僻之人曰、夷精以僥南僻之人曰。

訓読校了

故に鼻は高し。目は肝、肝は木にして金の制する所なる故に深し。金は裁斷を主る故に髮を斷ち冠無し。北狄の人は高權被髪衣長なり。權は腎を主り腎は水なる故に高權、被髪は水の流漫に象り、衣長も水行に象る。中夏の人の容貌平整なるは土地の和平に象る。衣冠車服に五色を備ふるは土が四行を包含するに象る。孔子曰く、東僻の人を夷と曰ひ精にして僥、南僻の人を、

現代語訳校了

そのため西戎の鼻は高い。目は肝をつかさどり、肝は木に属して金に制されるため、目は深くなる。金は切断をつかさどるので、髪を切り、冠を着けない。北狄の人は頬骨が高く、髪を垂らし、長い衣を着る。頬骨は腎をつかさどり、腎は水に属するため頬骨が高い。垂らした髪は水が広く流れる様子に、長い衣も水の運行にかたどる。中華の人の整った容貌は、中央の土地が平らで調和していることを表す。衣冠や車服に五色を備えるのは、土が他の四行を包み込むことを表す。孔子は、東方の辺境の人を夷といい、精明で敏捷であると述べる。南方の説明は次の単位へ続く。

GT-500116・巻5
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原文翻刻校了

蠻信以朴西僻之人曰戎頑以剛北僻之人曰狄肥以戾中國之人安居和味帝王世紀云堯流共工于幽州以竄北狄遷三苗于三危以竄西戎放驩兜于崇山以竄南蠻殛鯀於羽山以竄東夷春秋文耀鉤云氣隨人形故南方至溫其人大口象氣舒緩也

句読本文校了

蠻信以朴西僻之人曰、戎頑以剛北僻之人曰、狄肥以戾中國之人安居和味帝王世紀云、堯流共工于幽州以竄北狄遷三苗于三危以竄西戎放驩兜于崇山以竄南蠻殛鯀於羽山以竄東夷春秋文耀鉤云、氣隨人形故、南方至溫其人大口象氣舒緩也。

訓読校了

蠻と曰ひ信にして朴、西僻の人を戎と曰ひ頑にして剛、北僻の人を狄と曰ひ肥にして戾、中國の人は安居和味なり。帝王世紀に云く、堯は共工を幽州に流して北狄に竄し、三苗を三危に遷して西戎に竄し、驩兜を崇山に放ちて南蠻に竄し、鯀を羽山に殛して東夷に竄す。春秋文耀鉤に云く、氣は人形に隨ふ。故に南方至溫にして其の人大口、氣の舒緩に象るなり。

現代語訳校了

南方の僻地の人を蛮といい、信実で素朴、西方の人を戎といい、頑健で剛強、北方の人を狄といい、肥えて強情、中国の人は安住して味が調和するとする。『帝王世紀』は、堯が共工を幽州へ流して北狄に、三苗を三危へ移して西戎に、驩兜を崇山へ放って南蛮に、鯀を羽山で処刑して東夷に追いやったと記す。『春秋文耀鉤』は気が人の形に従うとし、温暖な南方の人の大きな口を、気がゆるやかに広がる形と説明する。

第二十三論諸人・第一者論人配五行

第5冊 第29画像を開く(新しいタブ)
GT-500117・巻5
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北方至寒其人短頸象氣急縮也東方川谷所經其人小頭兌形象木小上也西方高土日月所入其人面多毛象山多草木也中央四通雨露所施其人面大象土平廣也家語云孔子曰堅土之人剛弱土之人柔墟土之人大沙土之人細息土之人美耗土之人醜

句読本文校了

北方至寒其人短頸象氣急縮也。東方川谷所經其人小頭兌形象木小上也。西方高土日月所入其人面多毛象山多草木也。中央四通雨露所施其人面大象土平廣也。家語云、孔子曰、堅土之人剛弱土之人柔墟土之人大沙土之人細息土之人美耗土之人醜

訓読校了

北方至寒にして其の人短頸、氣の急縮に象る。東方は川谷の經る所にして其の人小頭兌形、木の上小なるに象る。西方は高土、日月の入る所にして其の人面に毛多く、山に草木多きに象る。中央は四通し雨露の施す所、其の人面大にして土の平廣に象る。家語に孔子曰く、堅土の人は剛、弱土の人は柔、墟土の人は大、沙土の人は細、息土の人は美、耗土の人は醜。

現代語訳校了

北方はきわめて寒いため、その地の人は首が短く、気が急に収縮する形を表す。東方は川や谷が通る所で、その地の人は頭が小さく上部のすぼまった形をし、木が上へ行くほど細くなる姿を表す。西方は土地が高く日月の沈む所で、その地の人の顔に毛が多いのは、山に草木が多い姿を表す。中央は四方へ通じ雨露の施される所で、その地の人の顔が大きいのは、土が平らで広い姿を表す。『家語』所載の孔子の説では、堅い土地の人は剛強、弱い土地の人は柔和、墟の土地の人は大きく、砂地の人は細く、息土の人は美しく、消耗した土地の人は醜い。

第二十三論諸人・第一者論人配五行

第5冊 第29画像を開く(新しいタブ)
GT-500118・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

南方有不死之草北方有不釋之冰東方有君子之國西方有刑殘之尸中土多聖人皆象其氣也故曰山氣多男澤氣多女水氣多瘖風氣多聾林氣多癃木氣多傴岸下溼氣多腫正氣多力

句読本文校了

南方有不死之草北方有不釋之冰東方有君子之國西方有刑殘之尸中土多聖人皆象其氣也。故、曰、山氣多男澤氣多女水氣多瘖風氣多聾林氣多癃木氣多傴岸下溼氣多腫正氣多力

訓読校了

南方に不死の草あり、北方に不釋の冰あり、東方に君子の國あり、西方に刑殘の尸あり、中土に聖人多し。皆其の氣に象る。故に曰く、山氣は男多く、澤氣は女多く、水氣は瘖多く、風氣は聾多く、林氣は癃多く、木氣は傴多く、岸下の溼氣は腫多く、正氣は力多く、

現代語訳校了

南方には不死の草、北方には溶けない氷、東方には君子の国、西方には刑罰で損なわれた死体があり、中央には聖人が多い。すべてその土地の気を表す。さらに、山の気には男、沢の気には女、水の気には声を発せない人、風の気には耳の聞こえない人、林の気には癃のある人、木の気には背の曲がった人、岸辺の低湿地の気には腫れ、正の気には力の強い人が多いとする。

第二十三論諸人・第一者論人配五行

第5冊 第29画像を開く(新しいタブ)
GT-500119・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

險阻之氣多癭寒氣多壽熱氣多夭谷氣多痺丘氣多狂衍氣多仁陵氣多貪輕土多利起重土多遲鈍急水人輕遲水人重此竝隨陰陽五行之氣故善惡斯別第二者論人遊年年立遊年凡有三名而爲二別三名者一遊年二行年三年立

句読本文校了

險阻之氣多癭寒氣多壽熱氣多夭谷氣多痺丘氣多狂衍氣多仁陵氣多貪輕土多利起重土多遲鈍急水人輕遲水人重此竝隨陰陽五行之氣故、善惡斯別第二者、論人遊年年立遊年凡有三名而爲二別三名者、一遊年二行年三年立

訓読校了

險阻の氣は癭多く、寒氣は壽多く、熱氣は夭多く、谷氣は痺多く、丘氣は狂多く、衍氣は仁多く、陵氣は貪多く、輕土は利起多く、重土は遲鈍多く、急水は人輕く、遲水は人重し。此れ竝びに陰陽五行の氣に隨ふ故に善惡斯く別る。第二、人の遊年・年立を論ず。遊年には凡そ三名ありて二別と爲す。三名とは一に遊年、二に行年、三に年立なり。

現代語訳校了

険阻の気は癭、寒気は長寿、熱気は夭折、谷気は痺れ、丘気は狂、衍気は仁、陵気は貪欲、軽土は俊敏、重土は遅鈍を多くし、急流の地の人は軽く、緩流の地の人は重い。これらは陰陽五行の気による善悪の差である。続いて第二段の人の遊年・年立に入り、三つの名称を遊年・行年・年立とする。

GT-500120・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

遊年之名皆以運動不住爲義以其隨歲行遊不定一所也年立卽是行年立者是住立爲義以其今年立於北辰也就人而論常行不息故謂曰行就歲而論今之一歲年住於此故謂之立二別者遊年從八卦而數年立從六甲而行六甲者

句読本文校了

遊年之名皆以運動不住爲義以其隨歲行遊不定一所也。年立卽是行年立者、是住立爲義以其今年立於北辰也。就人而論常行不息故、謂曰、行就歲而論今之一歲年住於此故、謂之立二別者、遊年從八卦而數年立從六甲而行六甲者。

訓読校了

名は皆運動して住まざるを義とし、歲に隨ひ行遊して一所に定まらざるを以てなり。年立は卽ち行年なり。立は住立を義とし、今年北辰に立つを以てなり。人に就きて論ずれば常に行き息まざる故に行と曰ひ、歲に就きて論ずれば今の一歲、年此に住する故に立と謂ふ。二別とは、遊年は八卦に從ひて數へ、年立は六甲に從ひて行く。六甲は、

現代語訳校了

遊年という名はいずれも、動いて留まらず、年ごとに巡って一か所に定まらないことを意味する。年立は行年でもあり、「立」はその年に北辰の位置へ留まることを意味する。人を基準にすれば常に巡って止まらないので「行」、歳を基準にすればその一年はその位置に留まるので「立」という。二つの方式とは、遊年を八卦の順で数え、年立を六甲の順で巡らせることである。続いて六甲の算法を説く。

第二十三論諸人・第二者論人遊年年立

第5冊 第30画像を開く(新しいタブ)
GT-500121・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

男從丙寅左行女從壬申右轉竝至其年數而止卽是行年所至立於其處也若欲算知之者男以實年加二算而左數女以實年加一算而右數竝從甲子旬始盡其算卽是立處也所以男從丙寅數何者日生於寅日爲陽精男從陽故取日丙爲太陽故取丙以配寅

句読本文校了

男從丙寅左行女從壬申右轉竝至其年數而止卽是行年所至立於其處也。若欲算知之者、男以實年加二算而左數女以實年加一算而右數竝從甲子旬始盡其算卽是立處也。所以男從丙寅數何者、日生於寅日爲陽精男從陽故、取日丙爲太陽故、取丙以配寅

訓読校了

男は丙寅より左行し、女は壬申より右轉し、竝びに其の年數に至りて止む。卽ち行年の至る所にして其の處に立つなり。算して之を知らんと欲せば、男は實年に二算を加へ左に數へ、女は實年に一算を加へ右に數へ、竝びに甲子旬の始めより其の算を盡くせば卽ち立處なり。男が丙寅より數ふは、日が寅に生じ日を陽精とし男が陽に從ふ故に、日の丙を太陽として丙を寅に配す。

現代語訳校了

男は丙寅から左回り、女は壬申から右回りに年数分進み、その到達点を行年の立つ所とする。計算では、男は実年に二を加えて左へ、女は実年に一を加えて右へ、いずれも甲子旬の初めから加算数だけ数える。男を丙寅から数えるのは、日が寅に生じ、日が陽精で男が陽に従うためであり、丙を太陽として寅に配するからである。

第二十三論諸人・第二者論人遊年年立

第5冊 第30画像を開く(新しいタブ)
GT-500122・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

女從壬申數何者月生於申月爲陰精女從陰故取月壬爲太陰故取壬以配申陽故左行陰故右轉孔子元辰經云若甲子旬男從丙寅女從壬申甲戌旬男從丙子女從壬午甲申旬男從丙戌女從壬辰甲午旬男從丙申女從壬寅甲辰旬男從丙午女從壬子甲寅旬男從丙辰女從壬戌皆曰

句読本文校了

女從壬申數何者、月生於申月爲陰精女從陰故、取月壬爲太陰故、取壬以配申陽故、左行陰故、右轉孔子元辰經云、若甲子旬男從丙寅女從壬申甲戌旬男從丙子女從壬午甲申旬男從丙戌女從壬辰甲午旬男從丙申女從壬寅甲辰旬男從丙午女從壬子甲寅旬男從丙辰女從壬戌皆曰。

訓読校了

女が壬申より數ふは、月が申に生じ月を陰精とし女が陰に從ふ故に、月の壬を太陰として壬を申に配す。陽なる故に左行し、陰なる故に右轉す。孔子元辰經に云く、甲子旬は男丙寅、女壬申より。甲戌旬は男丙子、女壬午。甲申旬は男丙戌、女壬辰。甲午旬は男丙申、女壬寅。甲辰旬は男丙午、女壬子。甲寅旬は男丙辰、女壬戌より。皆行年と曰ふ。

現代語訳校了

女が壬申から数えるのは、月が申に生じ、月を陰精とし、女は陰に従うため、月の干である壬を太陰として申に配する。陽は左回り、陰は右回りする。『孔子元辰経』によれば、甲子旬は男が丙寅・女が壬申、甲戌旬は丙子・壬午、甲申旬は丙戌・壬辰、甲午旬は丙申・壬寅、甲辰旬は丙午・壬子、甲寅旬は丙辰・壬戌から始め、すべて行年という。

第二十三論諸人・第二者論人遊年年立

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GT-500123・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

行年此竝候病之法非通常用遊年者男一歲數從離起左行八卦二則在坤三則在兌四則在乾五則在坎六則在艮七則在震八則在巽巽不受八進而就離離則是八坤卽九兌卽十以次而數一若至坤坤不受一還退就離故至十數皆在正方也

句読本文校了

行年此竝候病之法非通常用遊年者、男一歲數從離起左行八卦二則在坤三則在兌四則在乾五則在坎六則在艮七則在震八則在巽巽不受八進而就離離則是八坤卽九兌卽十以次而數一若至坤坤不受一還退就離故、至十數皆在正方也。

訓読校了

行年は竝びに病を候ふる法にして通常の用に非ず。遊年は男一歲、離より數へ起こして八卦を左行し、二は坤、三は兌、四は乾、五は坎、六は艮、七は震、八は巽に在る。巽は八を受けず進みて離に就く。離は則ち八、坤は九、兌は十なり。次いで一を數へ、坤に至れば坤は一を受けず還り退いて離に就く。故に十數は皆正方に在る。

現代語訳校了

この行年は病気を占う方法であり、通常用いる遊年とは別である。男性の遊年は、一歳を離から始めて八卦を左回りに数え、二歳を坤、三歳を兌、四歳を乾、五歳を坎、六歳を艮、七歳を震とする。八歳は巽に至るが、巽は八を受けないので一つ進めて離を八とし、坤を九、兌を十とする。次の一を数えて坤に至る場合も、坤は一を受けないので、戻って離に置く。このため十までの数は、いずれも正方の卦に位置する。

第二十三論諸人・第二者論人遊年年立

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GT-500124・巻5
本文 校了
原文翻刻校了

女年一從坎右行亦如離法艮不受八乾不受一皆歸於坎所以巽不受八坤不受一者坤巽依位竝夾離宮巽是陽位有進義而無終義八是卦之終數故不受之前以付離坤是陰位

句読本文校了

女年一從坎右行亦如離法艮不受八乾不受一皆歸於坎所以巽不受八坤不受一者、坤巽依位竝夾離宮巽是陽位有進義而無終義八是卦之終數故、不受之前以付離坤是陰位。

訓読校了

女は一歲、坎より右行し、亦離の法の如し。艮は八を受けず、乾は一を受けず、皆坎に歸す。巽が八を受けず坤が一を受けざる所以は、坤巽が位に依りて竝びに離宮を夾むからなり。巽は陽位にして進む義あり終る義無し。八は卦の終數なる故に之を受けず、前みて離に付す。坤は陰位なり。

現代語訳校了

女性は一歳を坎から右回りに数え、離の場合と同じ規則を用いる。艮は八を、乾は一を受けず、いずれも坎へ戻す。巽が八を、坤が一を受けないのは、坤と巽が位置上ともに離宮を挟むからである。巽は陽位で、進む意味はあるが終わる意味はない。八は卦の終数なので巽は受けず、一つ前へ進めて離に置く。坤は陰位である。

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