昼夜長短
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物理論云夏則陽盛而陰衰故晝長而夜短冬則陰盛而陽衰故晝短而夜長
句読本文校了
物理論云夏則陽盛而陰衰故晝長而夜短冬則陰盛而陽衰故晝短而夜長。
訓読校了
物理論に云はく、夏は則ち陽盛んにして陰衰ふ。故に晝長く夜短し。冬は則ち陰盛んにして陽衰ふ。故に晝短く夜長し。
現代語訳校了
『物理論』は、夏は陽が盛んで陰が衰えるため昼が長く夜が短く、冬は陰が盛んで陽が衰えるため昼が短く夜が長いと説明する。
隋の蕭吉が五行思想の諸説を集成した『五行大義』全五巻について、土御門文書編纂所による原文翻刻・句読・訓読・現代語訳を公開します。
土御門文書編纂所による公開校訂版です。元禄十二年刊本の画像を底本とし、原文翻刻、独自句読、独自訓読、独自現代語訳を分離して公開します。
公開版 gogyo-taigi-20260818-g4-v2・全964単位・32 / 49頁
物理論云夏則陽盛而陰衰故晝長而夜短冬則陰盛而陽衰故晝短而夜長
物理論云夏則陽盛而陰衰故晝長而夜短冬則陰盛而陽衰故晝短而夜長。
物理論に云はく、夏は則ち陽盛んにして陰衰ふ。故に晝長く夜短し。冬は則ち陰盛んにして陽衰ふ。故に晝短く夜長し。
『物理論』は、夏は陽が盛んで陰が衰えるため昼が長く夜が短く、冬は陰が盛んで陽が衰えるため昼が短く夜が長いと説明する。
行陽道長出入卯酉之北行陰道短出入卯酉之南春秋陰陽等故行中道晝夜等也
行陽道長出入卯酉之北行陰道短出入卯酉之南。春秋陰陽等故行中道晝夜等也。
陽道を行けば長く、卯酉の北に出入す。陰道を行けば短く、卯酉の南に出入す。春秋は陰陽等し。故に中道を行き、晝夜等しきなり。
太陽が陽道を行く期間は昼が長く、卯・酉の方位線の北側から出入りし、陰道を行く期間は短く、その南側から出入りする。春と秋は陰陽が等しいため太陽は中道を進み、昼夜の長さも等しくなる。
考靈曜云春一日日出卯入酉昴星一度中而昏斗星十二度中而明仲夏一日日出寅入戌心星五度中而昏營室十度中而明
考靈曜云春一日日出卯入酉昴星一度中而昏斗星十二度中而明。仲夏一日日出寅入戌心星五度中而昏營室十度中而明。
考靈曜に云はく、春の一日、日卯に出で酉に入り、昴星一度、中して昏れ、斗星十二度、中して明く。仲夏の一日、日寅に出で戌に入り、心星五度、中して昏れ、營室十度、中して明く。
『考霊曜』によれば、春のある一日には太陽が卯から昇り酉へ沈み、夕方に昴宿一度が南中し、明け方に斗宿十二度が南中する。仲夏のある一日には太陽が寅から昇り戌へ沈み、夕方に心宿五度、明け方に営室十度が南中する。
秋一日日出卯入酉須女四度中而昏東井十一度中而明仲冬一日日出辰入申奎星一度中而昏氐星九度中而明
秋一日日出卯入酉須女四度中而昏東井十一度中而明。仲冬一日日出辰入申奎星一度中而昏氐星九度中而明。
秋の一日、日卯に出で酉に入り、須女四度、中して昏れ、東井十一度、中して明く。仲冬の一日、日辰に出で申に入り、奎星一度、中して昏れ、氐星九度、中して明く。
秋のある一日には太陽が卯から昇り酉へ沈み、夕方に須女宿四度、明け方に東井宿十一度が南中する。仲冬のある一日には太陽が辰から昇り申へ沈み、夕方に奎宿一度、明け方に氐宿九度が南中する。
卯酉陰陽交會日月至此爲中道萬物盛衰出入之所故號二八之門以當二八月也
卯酉陰陽交會日月至此爲中道萬物盛衰出入之所故號二八之門以當二八月也。
卯酉は陰陽交會す。日月此に至りて中道と爲る。萬物盛衰出入の所、故に二八の門と號し、以て二八月に當つるなり。
卯と酉は陰陽が交会し、日月がここに至ると中道となる。万物が盛衰し出入りする位置なので二八の門と呼び、二月と八月に対応させる。
故詩推度交云卯酉之際爲改政漢書天文志云日者君之象君行急則日行疾君行緩則日行遲遲疾失其常則蝕蝕在交道也蝕者陰侵陽臣凌君之象也
故詩推度交云卯酉之際爲改政。漢書天文志云日者君之象君行急則日行疾君行緩則日行遲遲疾失其常則蝕蝕在交道也蝕者陰侵陽臣凌君之象也。
故に詩推度交に云はく、卯酉の際を改政と爲す。漢書天文志に云はく、日は君の象なり。君の行ひ急なれば、則ち日行くこと疾し。君の行ひ緩なれば、則ち日行くこと遲し。遲疾其の常を失へば、則ち蝕す。蝕は交道に在るなり。蝕は陰の陽を侵し、臣の君を凌ぐ象なり。
このため『詩推度交』は、卯・酉の時を政令が切り替わる時とする。『漢書』天文志は太陽を君主の象とし、君主の行動が急なら日も速く、緩ければ日も遅く進むとする。その遅速が常度を失うと交道で日食が起こり、陰が陽を侵し臣下が君主を凌ぐ象となる。
故日蝕修德以禳之月者春秋元命苞云月者陰精爲言闕也中有蟾蜍與兔者陰陽兩居相附託抑詘合陽結治其內光炬中氣似文耳
故日蝕修德以禳之。月者春秋元命苞云月者陰精爲言闕也。中有蟾蜍與兔者陰陽兩居相附託抑詘合陽結治其內光炬中氣似文耳。
故に日蝕すれば德を修めて以て之を禳ふ。月について、春秋元命苞に云はく、月は陰精なり。言たる闕なり。中に蟾蜍と兔と有るは、陰陽兩つながら居り相附託し、抑詘して陽に合し、其の內に結治すればなり。光炬の中氣、文に似たるのみ。
したがって日食が起きたときは、徳を修めてその災いを祓う。月について、『春秋元命苞』は月を陰の精とし、その語義を欠けることとする。月の中に蟾蜍と兎がいるとされるのは、陰陽がともに宿って付着し、抑え屈して陽と合し、内部で凝結して形を成すためで、光の中の気が模様のように見えるにすぎない。
兔善走象陽動也兔之言僖僖呼呼溫煖名也月水之精故內明而氣冷陰生不滿者詘於君也
兔善走象陽動也兔之言僖僖呼呼溫煖名也。月水之精故內明而氣冷陰生不滿者詘於君也。
兔は善く走り、陽の動に象るなり。兔の言は僖僖呼呼、溫煖の名なり。月は水の精、故に內明らかにして氣冷ゆ。陰生じて滿たざるは、君に詘するなり。
兎はよく走るため陽の動きを象徴する。また兎という語を「僖僖呼呼」と説明し、温暖さを表す名とする。月は水の精なので内に明るさをもち、気は冷たい。陰が生じても満ちないのは、君主である太陽に屈するためである。
至望而盈者氣事合也盈而缺者詘嚮尊也其氣卑卑故脩表成緯陰受陽精故精在內
至望而盈者氣事合也盈而缺者詘嚮尊也。其氣卑卑故脩表成緯陰受陽精故精在內。
望に至りて盈つるは、氣事合するなり。盈ちて缺くるは、尊に嚮ひて詘するなり。其の氣卑し。卑し、故に表を脩め緯を成す。陰は陽精を受く。故に精は內に在り。
望の日に満ちるのは、気と事とが合するためであり、満ちた後に欠けるのは尊者である太陽へ向かって屈するためである。月の気は卑位にあり、それゆえ外形を整えて緯を成す。陰は陽の精を受けるため、その精は内側にある。
所以金水內景內景故陰精沈執不動月爲陰精體自無光藉日照之乃明猶如臣自無威假君之勢乃成其威
所以金水內景。內景故陰精沈執不動。月爲陰精、體自無光、藉日照之乃明、猶如臣自無威、假君之勢乃成其威。
金水內景なる所以なり。內景なるが故に、陰精沈執して動かず。月は陰精たり、體自ら光無し。日の照らすを藉りて乃ち明らかなり。猶ほ臣自ら威無く、君の勢を假りて乃ち其の威を成すが如し。
これが、金と水では光が内にあるとされる理由である。光が内にあるため、陰の精は沈み固着して動かない。月は陰の精で、それ自体には光がなく、太陽が照らす光を借りて初めて明るくなる。それは、臣下が自ら威をもたず、君主の勢威を借りて初めてその威を成すようなものである。
月初未政對日故無光缺月半而與日相對故光滿十六日已後漸缺亦漸不對日也
月初未政對日故無光缺月半而與日相對故光滿十六日已後漸缺亦漸不對日也。
月初、未だ正しく日に對せず、故に光無く缺く。月半ばにして日と相對す、故に光滿つ。十六日已後、漸く缺け、亦た漸く日に對せざるなり。
月初はまだ太陽と正面から向き合わないので光がなく欠け、月半ばには太陽と相対して満月となる。十六日以後は次第に欠け、太陽との正対からも外れていく。
漢書天文志云月日行十三度四分度之一立春春分東從青道立秋秋分西從白道立冬冬至北從黑道立夏夏至南從赤道季夏行中道
漢書天文志云月日行十三度四分度之一。立春春分東從青道立秋秋分西從白道立冬冬至北從黑道立夏夏至南從赤道季夏行中道。
漢書天文志に云はく、月は日に十三度四分度の一を行く。立春・春分は東のかた青道に從ひ、立秋・秋分は西のかた白道に從ひ、立冬・冬至は北のかた黑道に從ひ、立夏・夏至は南のかた赤道に從ひ、季夏は中道を行く。
『漢書』天文志によれば、月は一日に十三度四分の一度進む。月は立春・春分には東の青道、立秋・秋分には西の白道、立冬・冬至には北の黒道、立夏・夏至には南の赤道を通り、季夏には中道を進む。
赤青出陽道白黑出陰道晦而見西方謂之朓朔而見東方謂之朒若君舒緩臣驕慢故日行遲而月行疾君肅急則臣恐懼故日行疾而月行遲不敢迫近君位也
赤青出陽道白黑出陰道。晦而見西方謂之朓朔而見東方謂之朒若君舒緩臣驕慢故、日行遲而月行疾。君肅急則臣恐懼、故日行疾而月行遲、不敢迫近君位也。
赤青は陽道に出で、白黑は陰道に出づ。晦にして西方に見ゆる、之を朓と謂ふ。朔にして東方に見ゆる、之を朒と謂ふ。若し君舒緩なれば、臣驕慢なり。故に、日行遲くして月行疾し。君肅急なれば則ち臣恐懼す。故に日行疾くして月行遲く、敢へて君位に迫近せざるなり。
赤道と青道は陽道側に、白道と黒道は陰道側に位置する。月末の晦に月が西方で見えることを朓といい、月初の朔に月が東方で見えることを朒という。君主がゆるやかなら臣下が驕り慢心するという関係にたとえ、太陽の運行が遅ければ月の運行は速いとする。君主が厳しく急なら臣下は恐れるという関係にたとえ、太陽の運行が速ければ月は遅く進み、臣下に当たる月は君位に当たる太陽へ近づこうとしない。
其行遲疾失度亦蝕蝕者當日之衝有闇虛闇虛當月則月蝕當星則星亡
其行遲疾失度亦蝕。蝕者、當日之衝有闇虛。闇虛當月、則月蝕;當星、則星亡。
其の行の遲疾、度を失ふも亦た蝕す。蝕とは、日の衝に當たりて闇虛有り、闇虛、月に當たれば則ち月蝕し、星に當たれば則ち星亡ぶ。
月の運行の遅速が度を失っても食が起こる。食とは太陽の向かいに暗虚があり、それが月に当たれば月食となり、星に当たれば星が見えなくなることである。
月蝕者陽侵陰也董仲舒云於人妃后大臣諸公之象月爲刑故月蝕脩刑以禳之
月蝕者陽侵陰也。董仲舒云、於人妃后大臣諸公之象。月爲刑、故月蝕脩刑以禳之。
月蝕は陽の陰を侵すなり。董仲舒云ふ、「人に於いては妃后・大臣・諸公の象なり」と。月は刑を爲す。故に月蝕すれば刑を脩めて以て之を禳ふ。
月食は陽が陰を侵す現象である。董仲舒によれば、人事では后妃・大臣・諸公を象徴する。月は刑罰をつかさどるため、月食の際には刑を整えて災いを祓う。
五星者說文云星者萬物之精或曰日分爲星故其字日下生史記云星金之散精星隕爲石此金是也
五星者、說文云、星者萬物之精。或曰、日分爲星、故其字日下生。史記云、星金之散精、星隕爲石、此金是也。
五星とは、『說文』に云はく、「星は萬物の精なり」と。或いは曰はく、「日分かれて星と爲る。故に其の字、日の下に生なり」と。『史記』に云はく、「星は金の散精なり。星隕ちて石と爲る。此れ金是れなり」と。
五星について、『説文』は星を万物の精とする。また日が分かれて星になるので、字形を「日」の下に「生」とするという。『史記』は、星を金の散じた精とし、星が落ちると石となり、その石こそ金であるという。
春秋云隕石于宋隕星也又云星者陰精金亦陰也列而言之各配五行不獨主金
春秋云、隕石于宋、隕星也。又云、星者陰精、金亦陰也。列而言之、各配五行、不獨主金。
『春秋』に云ふ、「石、宋に隕つ」と。隕星なり。又た云ふ、「星は陰精なり。金も亦た陰なり」と。列ねて之を言へば、各々五行に配し、獨り金を主とせず。
『春秋』の「宋に石が落ちた」とは隕星である。また星は陰の精で金も陰に属するという。ただし五星を個別に論じると各々が五行に配され、金だけを主とするのではない。
歲星木之精其位東方主春蒼帝之子人主之象五星之長司農之官主福慶凡有六名一名攝提二名重華三名應星四名纏星五名紀星六名脩人星
歲星木之精、其位東方、主春、蒼帝之子、人主之象、五星之長、司農之官、主福慶。凡有六名、一名攝提、二名重華、三名應星、四名纏星、五名紀星、六名脩人星。
歲星は木の精、其の位は東方、春を主り、蒼帝の子、人主の象、五星の長、司農の官にして、福慶を主る。凡そ六名有り。一に攝提、二に重華、三に應星、四に纏星、五に紀星、六に脩人星と名づく。
歳星は木の精で東方に位置し、春をつかさどる。蒼帝の子、君主の象、五星の長、司農の官に当たり、福と慶びをつかさどる。別名は摂提・重華・応星・纏星・紀星・脩人星の六つである。
其所主國曰吳齊超舍而前爲盈退舍爲縮行邪則主邪行正則主正政急則行疾政緩則行遲酷則行陰和則行陽
其所主國曰吳齊。超舍而前爲盈、退舍爲縮。行邪則主邪、行正則主正。政急則行疾、政緩則行遲。酷則行陰、和則行陽。
其の主る所の國は吳・齊と曰ふ。舍を超えて前むを盈と爲し、舍を退くを縮と爲す。行邪なれば則ち主邪、行正なれば則ち主正。政急なれば則ち行疾く、政緩なれば則ち行遲し。酷なれば則ち陰を行き、和なれば則ち陽を行く。
その分野は呉と斉である。星宿を越えて進むのを盈、退くのを縮という。その運行が邪なら君主も邪、正なら君主も正であり、政治が急なら速く、緩やかなら遅い。苛酷なら陰道を、穏和なら陽道を行く。
行陽則旱行陰則水治則順度亂則逆行以其主歲故名歲星
行陽則旱、行陰則水。治則順度、亂則逆行。以其主歲、故名歲星。
陽を行けば則ち旱し、陰を行けば則ち水あり。治まれば則ち度に順ひ、亂るれば則ち逆行す。其の歲を主るを以て、故に歲星と名づく。
陽道を運行すれば旱魃、陰道なら水害が起こる。世が治まれば規定の度に従い、乱れれば逆行する。歳をつかさどるので歳星という。
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