学問の本末
第1冊 第4画像を開く(新しいタブ)原文翻刻校了
根本之書不足枝條之學斯盛
句読本文校了
根本之書不足枝條之學斯盛。
訓読校了
根本の書足らず、枝條の學、斯に盛んなり。
現代語訳校了
根本となる書物は十分でなくなり、枝葉にすぎない学問がここに盛んとなった。
隋の蕭吉が五行思想の諸説を集成した『五行大義』全五巻について、土御門文書編纂所による原文翻刻・句読・訓読・現代語訳を公開します。
土御門文書編纂所による公開校訂版です。元禄十二年刊本の画像を底本とし、原文翻刻、独自句読、独自訓読、独自現代語訳を分離して公開します。
公開版 gogyo-taigi-20260818-g4-v2・全964単位・3 / 49頁
根本之書不足枝條之學斯盛
根本之書不足枝條之學斯盛。
根本の書足らず、枝條の學、斯に盛んなり。
根本となる書物は十分でなくなり、枝葉にすぎない学問がここに盛んとなった。
虚談巧筆競功於一時碩學經邦弃
虚談巧筆競功於一時碩學經邦弃、
虚談巧筆、功を一時に競ひ、碩學經邦の學は、弃てられ……
空疎な議論と巧みな文章は一時の評判を競い、深い学問で国を治める道は捨てられ……。
之於万古
之於万古。
之を万古に於いて弃つ。
それを永遠に捨ててしまった。
末代踵習風軌遂成
末代踵習風軌遂成。
末代には風軌を踵み習ひ、遂に定着す。
後世の人々はその風潮と慣行を踏襲し、ついにそれが定着した。
雖復占候之術尚行皆從左道之説
雖復占候之術尚行皆從左道之説。
雖も復た占候の術尚ほ行はるるも、皆左道の説に從ふ。
占候の術はなお行われているとはいえ、そのすべてが正道から外れた説に従っている。
卜筮之法恒在爻象之理莫分
卜筮之法恒在爻象之理莫分。
卜筮の法恒に在るも、爻象の理分かるる莫し。
卜筮の方法は常に存続しているが、爻と象の道理を理解する者はいない。
月令靡依時制必爽
月令靡依、時制必爽。
月令に依ること靡く、時制は必ず爽ふ。
月令に依拠しないため、時の制度は必ず食い違う。
失之毫髪千里必差
失之毫髪千里必差。
之を毫髪に失すれば、千里に必ず差ふ。
ごくわずかな狂いでも、結果は必ず千里も隔たるほどの誤差となる。
水旱興而不辨其由妖祥作而莫知其趣
水旱興而不辨其由妖祥作而莫知其趣。
水旱興れども其の由を辨ぜず、妖祥作れども其の趣を知る莫し。
水害や旱魃が起こってもその原因を判別できず、妖異や吉祥が現れてもその意味するところを知る者がいない。
非因形像罕徵究者觀其謬惑歎其學人皆信其末而忘本並舉其麤而漏細
非因形像、罕徵究者。觀其謬惑、歎其學人。皆信其末而忘本、並舉其麤而漏細。
形像に因るに非ざれば、徵究する者罕なり。其の謬惑を觀、其の學人を歎く。皆其の末を信じて本を忘れ、並びに其の麤を舉げて細を漏らす。
形や象を手がかりとしなければ、深く調べ究める者はまれである。その誤りと迷いを見、その学ぶ人々を嘆く。彼らはみな末端だけを信じて根本を忘れ、粗略な事柄を挙げる一方で細密な事柄を漏らしている。
古人有云登山始見天高臨壑方覺地厚
古人有云登山始見天高臨壑方覺地厚。
古人有りて云ふ、「山に登りて始めて天の高きを見、壑に臨みて方に地の厚きを覺る」と。
古人は、「山に登ってはじめて天の高さを知り、深い谷に臨んではじめて大地の厚さを知る」と言った。
不聞先聖之道無以知學者之大
不聞先聖之道無以知學者之大。
先聖の道を聞かざれば、以て學の大なるを知る無し。
先の聖人の道を学ばなければ、学問の大きさを知る手立てはない。
況乃五行幽邃安可斐然
況乃五行幽邃、安可斐然。
況んや、乃ち五行は幽邃なり。安くんぞ斐然たる可けんや。
まして五行の理は奥深い。どうして容易に文章として表し得ようか。
今故博採經緯搜索簡牒略談大義
今故博採經緯搜索簡牒略談大義。
今故に經緯を博く採り、簡牒を搜り索め、略して大義を談ず。
そこで今、経書と緯書から広く資料を取り、竹簡や書物を探し求め、その大要を簡潔に述べる。
凡二十四段別而分之合四十段
凡二十四段別而分之合四十段。
凡そ二十四段、別にして之を分かつに、合して四十段なり。
全体は二十四の大項目とし、それをさらに分けると合計四十項目となる。
二十四者節數之氣總四十者五行之成數
二十四者節數之氣總四十者五行之成數。
二十四は節數の氣、總じて四十は五行の成數なり。
二十四は節気の数に対応し、総数四十は五行それぞれの成数を合わせた数に対応する。
始自釋名終于蟲鳥凡配五行皆在茲義
始自釋名、終于蟲鳥、凡配五行、皆在茲義。
釋名より始め、蟲鳥に終る。凡そ五行に配するものは、皆茲の義に在り。
名称の解説から始まり、虫と鳥の論に至る。およそ五行に配当されるものは、すべてこの『大義』に収められている。
庶幾使斯道不墜知其始焉
庶幾使斯道不墜知其始焉。
庶幾はくは、斯の道をして墜ちざらしめ、其の始めを知らん。
どうかこの道が失われず、その根源が知られることを願う。
若能治心靜志研其微者豈直怡神養性保德全身亦可弼諸庶政利安萬有斯故至人之所逮也
若能治心靜志、研其微者、豈直怡神養性、保德全身、亦可弼諸庶政、利安萬有。斯故至人之所逮也。
若し能く心を治め志を靜め、其の微を研する者は、豈に直だ神を怡ばせ性を養ひ、德を保ち身を全くするのみならんや。亦た諸の庶政を弼け、萬有を利安す可し。斯れ故に至人の逮ぶ所なり。
心を整え志を静めて五行の微妙な理を究められるなら、精神を喜ばせ本性を養い、徳と身体を保つだけではない。諸般の政務を助け、万物を利し安んずることもできる。これは至人が到達する境地である。
昔人感物制經吉今因事述義異時而作共軌殊途嘗味道之不齊求利物之一致
昔人感物制經。吉今因事述義。異時而作、共軌殊途。嘗味道之不齊、求利物之一致。
昔人、物に感じて經を制す。吉、今事に因りて義を述ぶ。時を異にして作るも、軌を共にし途を殊にす。嘗て道の齊しからざるを味はひ、物を利するの一致を求む。
昔の人々は事物に感じて経典を作った。私、蕭吉は今、事に即してその義を述べる。作られた時代は異なり、軌道を共にしながら道筋を異にする。そこで私は、諸説の道が一様でないことを考究し、万物を利するという一つの趣旨を求めた。
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