五行大義

五行大義

隋の蕭吉が五行思想の諸説を集成した『五行大義』全五巻について、土御門文書編纂所による原文翻刻・句読・訓読・現代語訳を公開します。

土御門文書編纂所による公開校訂版です。元禄十二年刊本の画像を底本とし、原文翻刻、独自句読、独自訓読、独自現代語訳を分離して公開します。

自家翻刻・訓読・現代語訳

公開版 gogyo-taigi-20260818-g4-v2・全964単位・26 / 49頁

GT-300092・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

脾藏志者脾土主總四行多所趣向志以心願趣向爲目故藏於脾肝藏魂者

句読本文校了

脾藏志者,脾土主總四行,多所趣向。志以心願趣向爲目,故藏於脾。肝藏魂者,

訓読校了

脾の志を藏すは、脾土は四行を總べ主り、趣向する所多ければなり。志は心の願ひ趣向するを以て目と爲す。故に脾に藏す。肝の魂を藏すは――次文に續く。

現代語訳校了

脾が志を蔵するというのは、土である脾が他の四行を総括してつかさどり、向かう所が多いからである。志は、心の願いがある方向へ向かうことを内容とするため、脾に蔵される。肝が魂を蔵するのは――その理由は次のレコードへ続く。

GT-300093・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

魂以運動爲名肝是少陽陽性運動木性仁故魂亦主善故藏於肝焉肺藏魄者魄以相著爲名肺爲少陰陰性恬靜金主殺魄又主惡故以藏之五藏所主乃以神精志魂魄五種就陰陽論唯有二別陽曰魂陰曰魄

句読本文校了

魂以運動爲名。肝是少陽,陽性運動,木性仁,故魂亦主善,故藏於肝焉。肺藏魄者,魄以相著爲名。肺爲少陰,陰性恬靜,金主殺,魄又主惡,故以藏之。五藏所主,乃以神精志魂魄五種。就陰陽論,唯有二別,陽曰魂,陰曰魄。

訓読校了

魂は運動を以て名と爲す。肝は是れ少陽、陽性は運動し、木性は仁なり。故に魂も亦た善を主り、故に肝に藏す。肺の魄を藏すは、魄は相著を以て名と爲す。肺は少陰と爲り、陰性は恬靜にして、金は殺を主り、魄も又惡を主る。故に以て之を藏す。五藏の主る所は、乃ち神・精・志・魂・魄の五種を以てす。陰陽に就きて論ずれば、唯だ二別有り、陽を魂と曰ひ、陰を魄と曰ふ。

現代語訳校了

魂は運動することを名の意味とする。肝は少陽であり、陽の性質は運動し、木の性質は仁なので、魂も善をつかさどり、肝に蔵される。肺が魄を蔵するという場合、魄は形体に付着することを名の意味とする。肺は少陰であり、陰の性質は静かで、金は殺す働きをつかさどり、魄も悪をつかさどるため、肺に蔵される。五臓がつかさどるものは神・精・志・魂・魄の五種であるが、陰陽によって論じれば二つに分かれるだけであり、陽を魂、陰を魄という。

GT-300094・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

河上公章句云五氣清微爲精神聽明音聲五性其鬼曰魂魂者雄也主出入於鼻與天通五味濁溽爲形骸骨肉血脈六情其鬼曰魄魄者雌也出入於口與地通

句読本文校了

河上公章句云,五氣清微,爲精神聽明音聲五性,其鬼曰魂。魂者雄也,主出入於鼻,與天通。五味濁溽,爲形骸骨肉血脈六情,其鬼曰魄。魄者雌也,出入於口,與地通。

訓読校了

河上公章句に云ふ、五氣は清微にして、精神・聽明・音聲・五性と爲り、其の鬼を魂と曰ふ。魂は雄なり。鼻に出入するを主り、天と通ず。五味は濁溽にして、形骸・骨肉・血脈・六情と爲り、其の鬼を魄と曰ふ。魄は雌なり。口に出入して、地と通ず。

現代語訳校了

河上公の章句によれば、清らかで微細な五気は、精神・聴覚の明晰さ・音声・五つの性となり、その霊的存在を魂という。魂は雄であり、鼻から出入りすることをつかさどって天に通じる。一方、濁って湿った五味は、形骸・骨肉・血脈・六情となり、その霊的存在を魄という。魄は雌であり、口から出入りして地に通じる。

GT-300095・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

家語曰宰我問孔子曰聞鬼神之名而不知其所謂孔子曰人生有氣魂氣者神之盛也魄氣者鬼之盛也人生有死死必歸土此謂之鬼魂氣歸乎天此謂之神合鬼與神而享之教之至也骨肉斃乎下化爲野土其氣發揚乎上此神之著也

句読本文校了

『家語』曰,宰我問孔子曰,聞鬼神之名,而不知其所謂。孔子曰,人生有氣,魂氣者,神之盛也;魄氣者,鬼之盛也。人生有死,死必歸土,此謂之鬼;魂氣歸乎天,此謂之神。合鬼與神而享之,教之至也。骨肉斃乎下,化爲野土;其氣發揚乎上,此神之著也。

訓読校了

『家語』に曰く、宰我、孔子に問ひて曰く、『鬼神の名を聞けども、其の謂ふ所を知らず』と。孔子曰く、『人は生まれて氣有り。魂氣は、神の盛んなるものなり。魄氣は、鬼の盛んなるものなり。人は生まれて死有り、死すれば必ず土に歸る。此れを鬼と謂ふ。魂氣は天に歸る。此れを神と謂ふ。鬼と神とを合はせて之を享るは、教への至りなり。骨肉は下に斃れ、化して野土と爲る。其の氣は上に發揚す。此れ神の著れなり』と。

現代語訳校了

『家語』では、宰我が孔子に『鬼神という名は聞いていますが、その意味を知りません』と問う。孔子は次のように答える。『人は生まれると気を持つ。魂の気は神の盛んなものであり、魄の気は鬼の盛んなものである。人は生まれれば死があり、死ねば必ず土へ帰る。これを鬼という。魂の気は天へ帰る。これを神という。鬼と神を合わせて祭り、供物をささげることは教化の極致である。骨肉は下で朽ち、野の土となるが、その気は上へ発揚する。これが神の現れである』。

GT-300096・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

聖人因人物之情而明命鬼神以爲民則燔燎羶薌所以報氣也薦黍稷脩肺肝加以鬱暢所以報魄也漢書五行志云人命終而形藏精神散越聖人爲之宗廟以收魂氣春秋祭祀以修孝道尸子曰鬼歸也古者謂死人爲歸人

句読本文校了

聖人因人物之情,而明命鬼神,以爲民則。燔燎羶薌,所以報氣也;薦黍稷,脩肺肝,加以鬱暢,所以報魄也。『漢書』五行志云,人命終而形藏,精神散越。聖人爲之宗廟,以收魂氣,春秋祭祀,以修孝道。『尸子』曰,鬼,歸也。古者謂死人爲歸人。

訓読校了

聖人は人物の情に因りて、鬼神を明命し、以て民の則と爲す。燔燎して羶薌するは、氣に報ずる所以なり。黍稷を薦め、肺肝を脩め、加ふるに鬱暢を以てするは、魄に報ずる所以なり。『漢書』五行志に云ふ、人、命終りて形は藏れ、精神は散越す。聖人、之が爲に宗廟をつくり、以て魂氣を收め、春秋に祭祀して、以て孝道を脩む。『尸子』に曰く、『鬼は、歸なり』と。古は死人を謂ひて歸人と爲す。

現代語訳校了

聖人は人や物の情に基づいて鬼神の名分を明らかに定め、民の規範とした。供物を焼いて生臭い香りを立てるのは、上昇する気に報いるためである。黍や稷を供え、肺や肝を供物として差し出し、さらに香りのある酒を加えるのは、魄に報いるためである。『漢書』五行志によれば、人は命が終わると形体が地に収まり、精神は散り去る。そこで聖人は宗廟を設けて魂気を集め、春秋に祭祀して孝道を修めた。『尸子』は「鬼とは帰るという意味である」といい、古には死者を帰人と呼んだ。

GT-300097・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

淮南子曰人精神者天之有也骸骨者地之有也精氣入其門而骸骨反其根又云天氣爲魂地氣爲魄禮記郊特牲云凡祭慎諸此魂氣歸乎天形魄歸乎地故祭求諸陰陽之義故氣之清者曰神卽陽魂也

句読本文校了

『淮南子』曰、人精神者、天之有也。骸骨者、地之有也。精氣入其門、而骸骨反其根。又云、天氣爲魂、地氣爲魄。『禮記』郊特牲云、凡祭、慎諸此。魂氣歸乎天、形魄歸乎地、故祭求諸陰陽之義。故氣之清者曰神、卽陽魂也。

訓読校了

『淮南子』に曰く、人の精神は、天の有なり。骸骨は、地の有なり。精氣は其の門に入り、骸骨は其の根に反る。又た云ふ、天氣を魂と為し、地氣を魄と為す。『禮記』郊特牲に云ふ、凡そ祭は、諸を此に慎む。魂氣は天に歸り、形魄は地に歸る。故に祭は諸を陰陽に求むるの義なり。故に氣の清きものを神と曰ふ。卽ち陽魂なり。

現代語訳校了

『淮南子』は、人の精神は天に属するものであり、骸骨は地に属するものである、精気はその門へ入り、骸骨はその根へ戻るという。また、天の気を魂とし、地の気を魄とするともいう。『礼記』郊特牲篇は、すべての祭祀でこの点を慎重に扱うべきだとする。魂気は天へ帰り、形魄は地へ帰るので、祭祀とは死者を陰と陽の双方に求めるものだからである。したがって、気の清らかなものを神といい、これは陽の魂である。

GT-300098・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

氣之濁者曰鬼卽陰魄也延陵季子葬其子於嬴博之間云骨肉歸乎土命也魂氣無不之越記云王問范子曰寡人聞失其魂魄者死得其魂魄者生也物皆有之將人乎范蠡對曰魄者囊也魂者生氣之源又云魂者生氣之精魄者死氣之舍

句読本文校了

氣之濁者曰鬼,卽陰魄也。延陵季子葬其子於嬴博之間,云,骨肉歸乎土,命也;魂氣無不之。『越記』云,王問范子曰,寡人聞,失其魂魄者死,得其魂魄者生也。物皆有之,將人乎。范蠡對曰,魄者囊也,魂者生氣之源。又云,魂者生氣之精,魄者死氣之舍。

訓読校了

氣の濁れるものを鬼と曰ふ。卽ち陰魄なり。延陵季子、其の子を嬴博の間に葬りて云ふ、『骨肉は土に歸す、命なり。魂氣は之かざる無し』と。『越記』に云ふ、王、范子に問ひて曰く、『寡人聞く、其の魂魄を失ふ者は死し、其の魂魄を得る者は生く、と。物皆之有るか、將た人か』と。范蠡、對へて曰く、『魄は囊なり。魂は生氣の源なり』と。又云ふ、『魂は生氣の精、魄は死氣の舍なり』と。

現代語訳校了

気の濁ったものを鬼といい、これは陰の魄である。延陵季子は自分の子を嬴と博との間に葬った際、『骨肉が土へ帰るのは定めである。魂の気はどこへでも赴く』と述べた。『越記』では、王が范子に『魂魄を失う者は死に、魂魄を得る者は生きると聞く。万物がすべて魂魄を持つのか、それとも人だけなのか』と問う。范蠡は『魄とは身体を包む袋であり、魂とは生気の源である』と答え、また『魂は生気の精、魄は死気の宿る所である』ともいう。

GT-300099・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

韓詩云溱洧有二水三月上巳鄭國常於此水上招魂續魄左傳昭二十五年宋公讌使叔孫昭子右坐語相泣樂祁子曰今君與叔孫皆死乎心之精爽是謂魂魄魂魄去之何以能久此並明人身有魂魄二别

句読本文校了

『韓詩』云,溱洧有二水。三月上巳,鄭國常於此水上招魂續魄。『左傳』昭二十五年,宋公讌,使叔孫昭子右坐,語相泣。樂祁子曰,今君與叔孫皆死乎。心之精爽,是謂魂魄;魂魄去之,何以能久。此並明人身有魂魄二别。

訓読校了

『韓詩』に云ふ、溱洧に二水有り。三月上巳、鄭國は常に此の水上に於て魂を招き魄を續ぐ。『左傳』昭公二十五年、宋公讌し、叔孫昭子をして右に坐せしめ、語りて相ひ泣く。樂祁子曰く、『今、君と叔孫とは皆死せんか。心の精爽、是れを魂魄と謂ふ。魂魄之を去らば、何を以て能く久しからん』と。此れ竝びに人身に魂魄の二別有るを明かす。

現代語訳校了

『韓詩』は、溱と洧という二つの川があり、三月上巳の日、鄭国ではいつもその川辺で魂を招き魄をつないだと伝える。『左伝』昭公二十五年には、宋公が宴を開き、叔孫昭子を右側に座らせ、語り合って互いに泣いたため、楽祁子が『今、君と叔孫はともに死ぬのだろうか。心の清明な精を魂魄という。魂魄がその人を去れば、どうして長く生きられようか』と述べたとある。これらはいずれも、人の身体には魂と魄という二つの別があることを明らかにする。

GT-300100・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

老子經云魂藏肝魄藏肺者魂既屬天天氣爲陽陽主善尚左居肝在東方木位魄既屬地地氣爲陰陰主惡尚右故居肺在西方金位老子云吉事尚左凶事尚右

句読本文校了

『老子經』云魂藏肝、魄藏肺者,魂既屬天,天氣爲陽,陽主善,尚左,居肝,在東方木位。魄既屬地,地氣爲陰,陰主惡,尚右,故居肺,在西方金位。『老子』云,吉事尚左,凶事尚右。

訓読校了

『老子經』に魂は肝に藏し、魄は肺に藏すと云ふは、魂は既に天に屬し、天氣は陽と爲り、陽は善を主り、左を尚び、肝に居り、東方木位に在る。魄は既に地に屬し、地氣は陰と爲り、陰は惡を主り、右を尚ぶ。故に肺に居り、西方金位に在り。『老子』に云ふ、『吉事は左を尚び、凶事は右を尚ぶ』と。

現代語訳校了

『老子経』が魂は肝に蔵され、魄は肺に蔵されるというのは、魂は天に属し、天の気は陽で、陽は善をつかさどって左を尊ぶため、東方の木の位置にある肝に宿るからである。魄は地に属し、地の気は陰で、陰は悪をつかさどって右を尊ぶため、西方の金の位置にある肺に宿る。『老子』にも、『吉事では左を尊び、凶事では右を尊ぶ』とある。

GT-300101・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

亦云五氣藏於心五味藏於胃者此論氣則是陽以藏受之心爲火藏陽氣所處味則是陰以府受之胃爲五穀之府味之所處心主精神胃主受納不乖魂魄陰陽之理又云魂有三魄有七者

句読本文校了

亦云五氣藏於心、五味藏於胃者,此論氣,則是陽,以藏受之。心爲火藏,陽氣所處。味則是陰,以府受之。胃爲五穀之府,味之所處。心主精神,胃主受納,不乖魂魄陰陽之理。又云魂有三、魄有七者,

訓読校了

亦た五氣は心に藏し、五味は胃に藏すと云ふは、此に氣を論ずれば、則ち是れ陽、藏を以て之を受く。心は火藏と爲り、陽氣の處る所なり。味は則ち是れ陰、府を以て之を受く。胃は五穀の府と爲り、味の處る所なり。心は精神を主り、胃は受納を主る。魂魄陰陽の理に乖かず。又た魂に三有り、魄に七有りと云ふは――次文に續く。

現代語訳校了

また、五気は心に蔵され、五味は胃に蔵されるというのは、気は陽なので臓がこれを受け、心は火の臓で陽気の宿る所となる一方、味は陰なので腑がこれを受け、胃は五穀の腑で味の宿る所となるためである。心は精神をつかさどり、胃は受け入れて納める働きをつかさどるので、魂を陽、魄を陰とする道理に背かない。また、魂に三つ、魄に七つあるというのは――その理由は次のレコードへ続く。

GT-300102・巻3
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原文翻刻校了

陽數奇陰數偶奇數始於一一則元氣魂雖是陽非曰始元一後次三故魂數三又云因天地二氣合而生人人又一氣三材各一氣故魂有三陰數二二亦陰之始魄

句読本文校了

陽數奇,陰數偶。奇數始於一,一則元氣。魂雖是陽,非曰始元,一後次三,故魂數三。又云,因天地二氣合而生人,人又一氣,三材各一氣,故魂有三。陰數二,二亦陰之始。魄,

訓読校了

陽數は奇、陰數は偶なり。奇數は一に始まり、一は則ち元氣なり。魂は是れ陽なりと雖も、始元とは曰はず、一の後は三に次ぐ。故に魂の數は三なり。又云ふ、天地二氣の合するに因りて人を生じ、人に又一氣あり。三材各々一氣、故に魂に三有り。陰數は二、二も亦た陰の始めなり。魄は――次文に續く。

現代語訳校了

陽の数は奇数、陰の数は偶数である。奇数は一から始まり、一は元気である。魂は陽ではあるが始原そのものとはいわず、一の次の奇数は三なので、魂の数を三とする。また別に、天と地の二気が合して人を生み、人にも一気があるので、天・地・人の三才にそれぞれ一気があり、魂は三つになるともいう。陰の数は二であり、二も陰の始まりである。魄は――その数の説明が次のレコードへ続く。

GT-300103・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

雖是陰又非元始次二後四陰不孤立必資於陽就魂之三合而成七又一解云魂在東方取震數三魄居西方取兌數七三魂七魄合而爲十是應天五行地五行兩五合爲十共成人也五是天五氣地五味也春秋緯云人感十而生故十月方生也

句読本文校了

雖是陰,又非元始。次二後四,陰不孤立,必資於陽,就魂之三合而成七。又一解云,魂在東方,取震數三;魄居西方,取兌數七。三魂七魄,合而爲十。是應天五行、地五行,兩五合爲十,共成人也。五是天五氣、地五味也。『春秋緯』云,人感十而生,故十月方生也。

訓読校了

陰なりと雖も、又た元始には非ず。二に次ぐ後は四なり。陰は孤立せず、必ず陽に資り、魂の三に就け合して七を成す。又た一解に云ふ、魂は東方に在りて、震の數三を取り、魄は西方に居りて、兌の數七を取る。三魂七魄、合して十と爲る。是れ天の五行・地の五行、兩五合して十と爲り、共に人を成すに應ずるなり。五は是れ天の五氣・地の五味なり。『春秋緯』に云ふ、人は十に感じて生ず。故に十月にして方に生まるるなり。

現代語訳校了

魄は陰ではあるが、やはり始原そのものではない。二の次の偶数である四を取り、陰は単独で成立せず必ず陽に頼るため、この四を魂の三と合わせて七とし、魄の数を七とする。また別の解釈では、魂は東方にあって震の数三を取り、魄は西方にあって兌の数七を取るという。三魂と七魄を合わせると十となり、天の五行と地の五行、すなわち二つの五を合わせて十となって、ともに人を形成することに対応する。この五とは天の五気と地の五味である。『春秋緯』は、人は十に感応して生まれるため、十か月を経て初めて出生するという。

GT-300104・巻3
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原文翻刻校了

又云魂有五魄有六者此乃道家三皇經以五藏神爲五魂六府神爲六魄此亦五行六氣之義也魂魄人之本既配府藏故釋之甲乙云魂屬精魄屬神第五論五常五常者仁義禮智信也行之終久恆不可闕故名爲常亦云五德以此常行能成其德故云五德而此五德配於五行

句読本文校了

又云魂有五、魄有六者,此乃道家『三皇經』以五藏神爲五魂,六府神爲六魄。此亦五行六氣之義也。魂魄,人之本,既配府藏,故釋之。『甲乙』云,魂屬精,魄屬神。第五、論五常。五常者,仁義禮智信也。行之終久,恆不可闕,故名爲常。亦云五德,以此常行,能成其德,故云五德。而此五德配於五行。

訓読校了

又た魂に五有り、魄に六有りと云ふは、此れ乃ち道家の『三皇經』が、五藏の神を以て五魂と爲し、六府の神を六魄と爲すものなり。此れ亦た五行六氣の義なり。魂魄は、人の本なり。既に府藏に配せる故に、之を釋す。『甲乙』に云ふ、『魂は精に屬し、魄は神に屬す』と。第五、五常を論ず。五常は、仁・義・禮・智・信なり。之を行ふこと終久にして、恆に闕くべからず。故に名づけて常と爲す。亦た五德と云ふ。此の常行を以て、能く其の德を成す。故に五德と云ふ。而して此の五德を五行に配す。

現代語訳校了

また魂に五つ、魄に六つあるという説は、道家の『三皇経』が五臓の神を五魂とし、六腑の神を六魄とするもので、これも五行と六気に基づく。魂魄は人の根本であり、すでに腑と臓を魂魄に配当したので、ここで説明した。『甲乙』は、『魂は精に属し、魄は神に属する』という。第五は五常を論じる。五常とは仁・義・礼・智・信である。これらはいつまでも行い続け、常に欠いてはならないため『常』と名づける。また五徳ともいう。この常道を実践すればその徳を完成できるため、五徳という。そしてこの五徳を五行に配当する。

GT-300105・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

鄭玄注禮記中庸篇云木神則仁金神則義火神則禮水神則信土神則智詩緯等說亦同毛公傳說及京房等說皆以土爲信水爲智漢書天文志云歲星於人五常仁也五事貌也仁虧貌失逆春令傷木氣罰見歲星

句読本文校了

鄭玄注禮記中庸篇云、木神則仁、金神則義、火神則禮、水神則信、土神則智。詩緯等說亦同。毛公傳說及京房等說、皆以土爲信、水爲智。漢書天文志云、歲星於人、五常仁也、五事貌也。仁虧、貌失、逆春令、傷木氣、罰見歲星。

訓読校了

鄭玄の『礼記』中庸篇注に云う、木神は則ち仁、金神は則ち義、火神は則ち礼、水神は則ち信、土神は則ち智なり。『詩緯』等の説もまた同じ。毛公伝の説及び京房等の説は、皆、土を信となし、水を智となす。『漢書』天文志に云う、歳星は人に於て五常の仁なり、五事の貌なり。仁虧け、貌失し、春令に逆らい、木気を傷れば、罰は歳星に見わる。

現代語訳校了

鄭玄の『礼記』中庸篇注は、木の神を仁、金の神を義、火の神を礼、水の神を信、土の神を智とし、『詩緯』などの説も同じである。毛公伝の説と京房らの説は、いずれも土を信、水を智に配する。『漢書』天文志では、歳星を人の五常では仁、五事では貌に当てる。仁が欠け、貌が失われ、春の時令に逆らって木の気を傷つければ、その罰が歳星に現れる。

GT-300106・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

熒惑於人五常禮也五事視也禮虧視失逆夏令傷火氣罰見熒惑太白於人五常義也五事言也義虧言失逆秋令傷金氣罰見太白辰星於人五常智也五事聽也智虧聽失逆冬令傷水氣罰見辰星鎮星於人五常信也五事思也仁

句読本文校了

熒惑於人、五常禮也、五事視也。禮虧、視失、逆夏令、傷火氣、罰見熒惑。太白於人、五常義也、五事言也。義虧、言失、逆秋令、傷金氣、罰見太白。辰星於人、五常智也、五事聽也。智虧、聽失、逆冬令、傷水氣、罰見辰星。鎮星於人、五常信也、五事思也。仁

訓読校了

熒惑は人に於て五常の礼なり、五事の視なり。礼虧け、視失し、夏令に逆らい、火気を傷れば、罰は熒惑に見わる。太白は人に於て五常の義なり、五事の言なり。義虧け、言失し、秋令に逆らい、金気を傷れば、罰は太白に見わる。辰星は人に於て五常の智なり、五事の聴なり。智虧け、聴失し、冬令に逆らい、水気を傷れば、罰は辰星に見わる。鎮星は人に於て五常の信なり、五事の思なり。末尾の「仁」は次段に続く。

現代語訳校了

熒惑は人の五常では礼、五事では視に当たり、礼が欠け、視が失われ、夏の時令に逆らって火の気を傷つければ、その罰が熒惑に現れる。太白は五常では義、五事では言に当たり、義が欠け、言が失われ、秋の時令に逆らって金の気を傷つければ、その罰が太白に現れる。辰星は五常では智、五事では聴に当たり、智が欠け、聴が失われ、冬の時令に逆らって水の気を傷つければ、その罰が辰星に現れる。鎮星は五常では信、五事では思に当たる。末尾の「仁」は次のレコード冒頭の「義禮智」と続く。

GT-300107・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

義禮智以信爲主貌言視聽以思爲正四事皆失鎮星乃爲之動案毛公及京房漢史皆以土爲信可謂其當所以然者夫五常之義仁者以惻隱爲體博施以爲用禮者以分別爲體踐法以爲用智者以了智爲體明睿以爲用義者以合義爲體裁斷以爲用信者以不欺爲體附實以爲用

句読本文校了

義禮智、以信爲主。貌言視聽、以思爲正。四事皆失、鎮星乃爲之動。案、毛公及京房、漢史、皆以土爲信、可謂其當。所以然者、夫五常之義、仁者以惻隱爲體、博施以爲用。禮者以分別爲體、踐法以爲用。智者以了智爲體、明睿以爲用。義者以合義爲體、裁斷以爲用。信者以不欺爲體、附實以爲用。

訓読校了

仁義礼智は、信を以て主となす。貌言視聴は、思を以て正となす。四事皆失わるれば、鎮星乃ちこれがために動く。案ずるに、毛公及び京房、『漢史』は、皆、土を以て信となす。これその当を得たりと謂うべし。その然る所以は、夫れ五常の義、仁は惻隠を以て体となし、博施を以て用となす。礼は分別を以て体となし、法を践むを以て用となす。智は了知を以て体となし、明睿を以て用となす。義は義に合うを以て体となし、裁断を以て用となす。信は欺かざるを以て体となし、実に附くを以て用となす。

現代語訳校了

仁・義・礼・智は信を主とし、貌・言・視・聴は思を正とする。この四事がすべて失われると、鎮星がそのために異変を示す。考えるに、毛公・京房・『漢史』がいずれも土を信に配するのは妥当である。その理由は五常の本質と働きにある。仁は惻隠を本体とし、広く施すことを働きとする。礼は区別を本体とし、法を実践することを働きとする。智は明瞭に知ることを本体とし、明敏な知恵を働きとする。義は道義に合うことを本体とし、裁断することを働きとする。信は欺かないことを本体とし、事実に即することを働きとする。

GT-300108・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

其於五行則木有覆冒滋繁是其惻隱博施也火有滅暗昭明是其分別踐法也水有含潤流通是其了智明叡也金有堅剛利刃是其合義裁斷也土有持載含容以時生萬物是其附實不欺也

句読本文校了

其於五行、則木有覆冒滋繁、是其惻隱博施也。火有滅暗昭明、是其分別踐法也。水有含潤流通、是其了智明叡也。金有堅剛利刃、是其合義裁斷也。土有持載含容、以時生萬物、是其附實不欺也。

訓読校了

これを五行に於てすれば、則ち木には覆冒し滋繁することあり、これその惻隠博施なり。火には暗を滅し明を昭らかにすることあり、これその分別践法なり。水には含潤流通することあり、これその了知明叡なり。金には堅剛利刃あり、これその合義裁断なり。土には持載含容し、時を以て万物を生ずることあり、これその実に附き欺かざることなり。

現代語訳校了

これを五行について見ると、木が万物を覆い育てて繁茂させることは、仁の惻隠と博施に当たる。火が暗闇を消して明るさを現すことは、礼の分別と法の実践に当たる。水が潤いを含んで流れ通うことは、智の明瞭な理解と明睿に当たる。金が堅く剛く鋭い刃を持つことは、義に合うことと裁断に当たる。土が万物を支え載せて包容し、時節に従って万物を生むことは、信の事実に即して欺かないことに当たる。

GT-300109・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

鄭玄及詩緯以土爲智者以能了萬事莫過於智能生萬物莫過於土故以爲智水爲信者水之有潮依期而至故以水爲信此理寘證狹於義乖也其於五經則仁以配易其位東方禮以配火其位南方義以配傳其位西方智以配詩其位北方信以配尚書其位中央

句読本文校了

鄭玄及詩緯以土爲智者、以能了萬事、莫過於智、能生萬物、莫過於土、故以爲智。水爲信者、水之有潮、依期而至、故以水爲信。此理寘證狹、於義乖也。其於五經、則仁以配易、其位東方。禮以配火、其位南方。義以配傳、其位西方。智以配詩、其位北方。信以配尚書、其位中央。

訓読校了

鄭玄及び『詩緯』が土を智となすは、万事を了するに智に過ぐるなく、万物を生ずるに土に過ぐるなきを以て、故に智となす。水を信となすは、水に潮あり、期に依りて至るを以て、故に水を信となす。この理は寘証狭く、義に乖くなり。これを五経に於てすれば、則ち仁を『易』に配し、その位は東方。礼を火に配し、その位は南方。義を『伝』に配し、その位は西方。智を『詩』に配し、その位は北方。信を『尚書』に配し、その位は中央なり。

現代語訳校了

鄭玄と『詩緯』が土を智とするのは、万事を理解するものとして智に勝るものはなく、万物を生むものとして土に勝るものはないからである。水を信とするのは、潮が決まった時期に到来するからである。しかし、この理屈は証拠として据える例が狭すぎ、本義に背く。五経については、仁を『易』に配して東方、礼を火に配して南方、義を『伝』に配して西方、智を『詩』に配して北方、信を『尚書』に配して中央とする。

GT-300110・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

易配東方仁者易是創制之書包括萬有有變易之義東方四時之始仁化能生易故就新又帝出震始作八卦故以配仁禮配南方者禮能齊上下之法別貴賤之差君臣父子莫不以禮節之如火能成就五味明照萬物故以南方配禮傳配西方義者春秋是魯史褒貶得失是時王道既

句読本文校了

易配東方仁者、易是創制之書、包括萬有、有變易之義。東方、四時之始、仁化能生、易故就新。又帝出震、始作八卦、故以配仁。禮配南方者、禮能齊上下之法、別貴賤之差、君臣父子、莫不以禮節之。如火能成就五味、明照萬物、故以南方配禮。傳配西方義者、春秋是魯史、褒貶得失。是時王道既

訓読校了

『易』を東方の仁に配するは、『易』はこれ創制の書にして、万有を包括し、変易の義あればなり。東方は四時の始め、仁化は能く生じ、『易』は故きを新たにす。また帝は震より出で、始めて八卦を作る。故に仁に配す。礼を南方に配するは、礼は能く上下の法を斉え、貴賤の差を別ち、君臣父子、礼を以てこれを節せざるなければなり。火が能く五味を成就し、万物を明照するが如し。故に南方を以て礼に配す。『伝』を西方の義に配するは、『春秋』はこれ魯史にして、得失を褒貶す。この時、王道既に――次段へ続く。

現代語訳校了

『易』を東方の仁に配するのは、『易』が制度を創始する書で、万物を包括し、変易の意味を備えるからである。東方は四季の始まりであり、仁の教化は生命を生み、『易』は古いものを改めて新しくする。また帝は震から現れて初めて八卦を作ったので、仁に配する。礼を南方に配するのは、礼が上下の法を整え、貴賤の差を分け、君臣・父子の関係をすべて礼によって節制するからである。それは火が五味を完成させ、万物を明るく照らすことに似るため、南方を礼に配する。『伝』を西方の義に配する理由の説明は、『春秋』が魯国の歴史で得失を褒貶し、「この時、王道はすでに」と述べて次のレコードへ続く。

GT-300111・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

衰諸侯力爭戰伐之事靡不書之合義者褒失德者貶如金以義斷裁制萬物故以配義詩配北方智者詩言其志以爲風刺有陰微之辭和潤人情動鬼神感天地以善惡之事吟味於聲樂使聞者有益於行作者無咎於身如水潛流無所不潤故以智配

句読本文校了

衰、諸侯力爭、戰伐之事、靡不書之。合義者褒、失德者貶。如金以義斷、裁制萬物、故以配義。詩配北方智者、詩言其志、以爲風刺、有陰微之辭、和潤人情、動鬼神、感天地。以善惡之事吟味於聲樂、使聞者有益於行、作者無咎於身。如水潛流、無所不潤、故以智配。

訓読校了

衰え、諸侯力争し、戦伐の事、これを書さざるなし。義に合する者を褒め、徳を失う者を貶す。金が義を以て断ち、万物を裁制するが如し。故に義に配す。『詩』を北方の智に配するは、『詩』はその志を言いて風刺をなし、陰微の辞あり、人情を和潤し、鬼神を動かし、天地を感ぜしむ。善悪の事を声楽に吟味し、聞く者をして行いに益あらしめ、作る者をして身に咎なからしむ。水が潜流して潤さざる所なきが如し。故に智に配す。

現代語訳校了

前段から続き、王道が衰え、諸侯が力を争った時代には、戦争と討伐の出来事で『春秋』に書かれないものはなかった。義にかなう者を褒め、徳を失った者を貶した。それは金が義によって判断し、万物を裁き整えることに似るため、『伝』を義に配する。『詩』を北方の智に配するのは、『詩』が人の志を述べて風刺とし、奥深く微妙な言葉で人情を和らげ潤し、鬼神を動かし、天地を感応させるからである。善悪の事柄を声音・音楽の中で吟味し、聞く者の行いに益を与え、作者の身に咎が及ばないようにする。それは水がひそかに流れて潤さない所がないことに似るため、智に配する。

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