五行大義

五行大義

隋の蕭吉が五行思想の諸説を集成した『五行大義』全五巻について、土御門文書編纂所による原文翻刻・句読・訓読・現代語訳を公開します。

土御門文書編纂所による公開校訂版です。元禄十二年刊本の画像を底本とし、原文翻刻、独自句読、独自訓読、独自現代語訳を分離して公開します。

自家翻刻・訓読・現代語訳

公開版 gogyo-taigi-20260818-g4-v2・全964単位・24 / 49頁

食性の結びと臓腑論序

第3冊 第14画像を開く(新しいタブ)
GT-300052・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

食肉者勇敢食氣者神明而壽食穀者惠巧不食者不死而神此皆氣味之類故附而述之五味所解例多不舉語經所明可解者如此第四論配藏府藏府者由五行六氣而成也藏則有五稟自五行爲五性府則有六因乎六氣是曰六情

句読本文校了

食肉者勇敢、食氣者神明而壽、食穀者惠巧、不食者不死而神。此皆氣味之類、故附而述之。五味所解、例多不舉。語經所明、可解者如此。第四、論配藏府。藏府者、由五行六氣而成也。藏則有五、稟自五行、爲五性。府則有六、因乎六氣、是曰六情。

訓読校了

肉を食ふ者は勇敢、氣を食ふ者は神明にして壽、穀を食ふ者は惠巧、食はざる者は死せずして神なり。此れ皆氣味の類、故に附して之を述ぶ。五味の解する所、例多くして舉げず。經に明らかなる所を語り、解すべき者は此の如し。第四、藏府を配するを論ず。藏府は、五行六氣に由りて成るなり。藏は則ち五有り、五行より稟け、五性を爲す。府は則ち六有り、六氣に因り、是を六情と曰ふ。

現代語訳校了

肉を食べるものは勇敢であり、気を食べるものは霊妙で長寿であり、穀物を食べるものは知恵があって巧みであり、何も食べないものは死なず、神霊である。これらもすべて気味の類なので、付け加えて述べた。五味について解説すべき例は多いため、すべては挙げない。経典に明らかにされ、解釈できるものを述べると以上のとおりである。第四に、臓腑の配当を論じる。臓腑は五行と六気によって成る。臓は五つあり、五行から性質を受けて五性となる。腑は六つあり、六気に基づいて六情と呼ばれる。

GT-300053・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

情性及氣別於後解今論藏府所配合義五藏者肝心脾肺腎也六府者大腸小腸膽胃三焦膀胱也肝以配木心以配火脾以配土肺以配金腎以配水膀胱爲陽小腸爲陰膽爲風大腸爲雨三焦爲晦胃爲明故杜子

句読本文校了

情性及氣別於後解今論藏府所配合義五藏者肝心脾肺腎也。六府者大腸小腸膽胃三焦膀胱也。肝以配木心以配火脾以配土肺以配金腎以配水膀胱爲陽小腸爲陰膽爲風大腸爲雨三焦爲晦胃爲明故杜子。

訓読校了

情性及び氣は後解に別つ。今、藏府の配合する義を論ず。五藏は肝心脾肺腎なり。六府は大腸、小腸、膽、胃、三焦、膀胱なり。肝を以て木に配し、心を以て火に配し、脾を以て土に配し、肺を以て金に配し、腎を以て水に配す。膀胱を陽と爲し、小腸を陰と爲し、膽を風と爲し、大腸を雨と爲し、三焦を晦と爲し、胃を明と爲す。故に杜子……。

現代語訳校了

情・性および気は後で別に説明する。ここでは臓腑の配合の意味を論じる。五臓は肝・心・脾・肺・腎、六腑は大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱である。肝を木、心を火、脾を土、肺を金、腎を水に配する。また膀胱を陽、小腸を陰、胆を風、大腸を雨、三焦を晦、胃を明とする。そこで杜子……と次頁へ続く。

六気の病と臓腑の名義

第3冊 第15画像を開く(新しいタブ)
GT-300054・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

春秋醫和云陰淫寒疾陽淫熱疾風淫末疾末四支也雨淫腹疾晦淫惑疾明淫心疾夫藏者以其藏於形體之內故稱爲藏亦能藏受五氣故名爲藏府者以其傳流受納謂之曰府白虎通云肝之爲言扞也肺之爲言費也情動得序也

句読本文校了

春秋醫和云、陰淫寒疾、陽淫熱疾、風淫末疾。末、四支也。雨淫腹疾、晦淫惑疾、明淫心疾。夫藏者、以其藏於形體之內、故稱爲藏。亦能藏受五氣、故名爲藏。府者、以其傳流受納、謂之曰府。白虎通云、肝之爲言、扞也。肺之爲言、費也。情動得序也。

訓読校了

春秋の醫和云はく、陰淫すれば寒疾、陽淫すれば熱疾、風淫すれば末疾。末は四支なり。雨淫すれば腹疾、晦淫すれば惑疾、明淫すれば心疾。夫れ藏は、其の形體の內に藏るを以て、故に稱して藏と爲す。亦た能く五氣を藏受す、故に名づけて藏と爲す。府は、其の傳流受納を以て、之を府と謂ふ。白虎通に云はく、肝の言爲るは扞なり。肺の言爲るは費なり。情動きて序を得るなり。

現代語訳校了

前頁末の『杜子』と続く『杜子春秋』において、医和は、陰が過度なら寒疾、陽が過度なら熱疾、風が過度なら末疾になるという。末とは四肢である。雨が過度なら腹疾、晦が過度なら惑疾、明が過度なら心疾となる。臓は身体内部に蔵されるため臓と称し、また五気を蔵し受けることができるため臓と名づける。腑は物を伝え流し受け納れるため腑という。『白虎通』は、肝という語は防ぐことをいい、肺という語は費やすことをいい、情が動いて秩序を得ると述べる。

GT-300055・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

心之爲言任也任於思也腎之爲言寫也以竅寫脾之爲言辨也所以積精稟氣元命苞云脾者弁也心得之而貴肝得之而興肺得之而大腎得之以化肝仁肺義心禮腎智脾信肝所以仁者何肝木之精仁者好生東方者陽也萬物始生故肝象木色青而有柔

句読本文校了

心之爲言、任也。任於思也。腎之爲言、寫也。以竅寫。脾之爲言、辨也。所以積精稟氣。元命苞云、脾者弁也。心得之而貴、肝得之而興、肺得之而大、腎得之以化。肝仁、肺義、心禮、腎智、脾信。肝所以仁者何。肝、木之精。仁者好生。東方者、陽也。萬物始生。故肝象木、色青而有柔。

訓読校了

心の言爲るは任なり。思に任ずるなり。腎の言爲るは寫なり。竅を以て寫す。脾の言爲るは辨なり。精を積み氣を稟くる所以なり。元命苞に云はく、脾は弁なり。心、之を得て貴く、肝、之を得て興り、肺、之を得て大なり、腎、之を得て以て化す。肝は仁、肺は義、心は禮、腎は智、脾は信。肝の仁なる所以は何ぞ。肝は木の精。仁者は生を好む。東方は陽なり。萬物始めて生ず。故に肝は木を象り、色青くして柔有り。

現代語訳校了

心という語は『任』を意味し、思考を担う。腎という語は『写』を意味し、孔から排出する。脾という語は『辨』を意味し、精を蓄えて気を受ける所以である。『元命苞』は脾を『弁』とし、心はこれを得て貴くなり、肝はこれを得て盛んになり、肺はこれを得て大きくなり、腎はこれを得て変化するという。肝は仁、肺は義、心は礼、腎は智、脾は信に配する。肝が仁であるのはなぜか。肝は木の精であり、仁者は生命を好む。東方は陽であり、万物が生じ始める。そのため肝は木に象り、色は青く、柔らかさを持つ。

GT-300056・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

肺所以義者何肺金之精義者能斷西方殺成萬物故肺象金色白而有剛心所以禮者何心者火之精南方尊陽在上卑陰在下禮有尊卑故心象火色赤而光腎所以智者何腎水之精智者進而不止無所疑惑水亦進而不惑故腎象水色黑水陰故腎雙

句読本文校了

肺所以義者何。肺、金之精。義者能斷。西方殺成萬物、故肺象金、色白而有剛。心所以禮者何。心者、火之精。南方尊陽在上、卑陰在下。禮有尊卑、故心象火、色赤而光。腎所以智者何。腎、水之精。智者進而不止、無所疑惑。水亦進而不惑、故腎象水、色黑。水陰、故腎雙。

訓読校了

肺の義なる所以は何ぞ。肺は金の精。義者は能く斷ず。西方は萬物を殺成す。故に肺は金を象り、色白くして剛有り。心の禮なる所以は何ぞ。心は火の精。南方は陽を尊びて上に在らしめ、陰を卑しみて下に在らしむ。禮に尊卑有り。故に心は火を象り、色赤くして光る。腎の智なる所以は何ぞ。腎は水の精。智者は進みて止まらず、疑惑する所無し。水も亦た進みて惑はず。故に腎は水を象り、色黑し。水は陰なり。故に腎は雙なり。

現代語訳校了

肺が義であるのはなぜか。肺は金の精であり、義なる者は物事を断つことができる。西方は万物を殺して完成させるため、肺は金に象り、色は白く、剛さを持つ。心が礼であるのはなぜか。心は火の精である。南方は陽を尊んで上に置き、陰を卑しんで下に置き、礼にも尊卑がある。そのため心は火に象り、色は赤く、光を持つ。腎が智であるのはなぜか。腎は水の精である。智者は進んで止まらず、疑い惑うことがない。水もまた進んで惑わない。そのため腎は水に象り、色は黒い。水は陰であるため、腎は二つ一組である。

GT-300057・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

脾所以信者何脾土之精土主信任養萬物爲之象生物無所私信之至也故脾象土色黃翼奉云肝性靜甲己主之心性躁丙辛主之脾性力戊癸主之肺性堅乙庚主之腎性敬丁壬主之許慎五經異義尚書夏侯歐陽說云肝木心火脾土肺金腎水此與前同古文尚書說云脾木肺火心

句読本文校了

脾所以信者何。脾、土之精。土主信、任養萬物、爲之象。生物無所私、信之至也。故脾象土、色黃。翼奉云、肝性靜、甲己主之。心性躁、丙辛主之。脾性力、戊癸主之。肺性堅、乙庚主之。腎性敬、丁壬主之。許慎五經異義、尚書夏侯歐陽說云、肝木、心火、脾土、肺金、腎水。此與前同。古文尚書說云、脾木、肺火、心。

訓読校了

脾の信なる所以は何ぞ。脾は土の精。土は信を主り、萬物を任養し、之が象と爲る。物を生ずるに私する所無く、信の至りなり。故に脾は土を象り、色は黃なり。翼奉云はく、肝性は靜、甲己之を主る。心性は躁、丙辛之を主る。脾性は力、戊癸之を主る。肺性は堅、乙庚之を主る。腎性は敬、丁壬之を主る。許慎の五經異義、尚書の夏侯・歐陽の說に云はく、肝は木、心は火、脾は土、肺は金、腎は水。此れ前と同じ。古文尚書の說に云はく、脾は木、肺は火、心は……。

現代語訳校了

脾が信であるのはなぜか。脾は土の精である。土は信をつかさどり、万物を引き受けて養い、その象徴となる。物を生じさせるのに私するところがなく、信の極致である。そのため脾は土に象り、色は黄色い。翼奉は、肝の性は静で甲己がつかさどり、心の性は躁で丙辛がつかさどり、脾の性は力で戊癸がつかさどり、肺の性は堅で乙庚がつかさどり、腎の性は敬で丁壬がつかさどるという。許慎の『五経異義』が引く『尚書』夏侯・欧陽説は、肝を木、心を火、脾を土、肺を金、腎を水とし、前説と同じである。古文尚書説は、脾を木、肺を火、心を……とし、次頁へ続く。

古文尚書説と月令五祭

第3冊 第16画像を開く(新しいタブ)
GT-300058・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

土肝金此四藏不同案禮記月令云春祭以脾夏祭以肺季夏祭以心秋祭以肝冬祭以腎皆五時自相得則古尚書是也鄭玄駁曰此文異事乖未察其本意月令五祭皆言先無言後者凡言先有後之辭春祀戶其祭也先脾後腎

句読本文校了

土、肝金。此四藏不同。案禮記月令云、春祭以脾、夏祭以肺、季夏祭以心、秋祭以肝、冬祭以腎。皆五時自相得、則古尚書是也。鄭玄駁曰、此文異事乖、未察其本意。月令五祭皆言先、無言後者、凡言先、有後之辭。春祀戶、其祭也、先脾後腎。

訓読校了

土、肝は金。此の四藏同じからず。禮記月令を案ずるに云ふ、春祭は脾を以てし、夏祭は肺を以てし、季夏祭は心を以てし、秋祭は肝を以てし、冬祭は腎を以てす。皆五時自ら相得れば、則ち古尚書是なり。鄭玄駁して曰く、此の文、事と乖きて異なるは、未だ其の本意を察せざるなり。月令の五祭は皆先と言ひ、後と言ふ無きは、凡そ先と言へば後有るの辭なればなり。春、戶を祀り、其の祭は脾を先にし、腎を後にす。

現代語訳校了

前頁末の『心』と合わせ、古文尚書説は心を土、肝を金とし、通常説と異なる臓は四つである。『礼記』月令を調べると、春祭では脾、夏祭では肺、季夏祭では心、秋祭では肝、冬祭では腎を用いる。五季がそれぞれ対応するため、古文尚書説が正しいことになる。鄭玄は、本文を事実と食い違うものとするのは、その本意をまだ理解していないためだと反論した。月令の五祭がすべて『先』といい『後』を明記しないのは、そもそも『先』という語には後があることが含意されるからである。春に戸を祭るときは、脾を先にし、腎を後にする。

GT-300059・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

夏祀竃其祭也先肺後心肝季夏祀中霤其祭也先心後肺秋祀門其祭也先肝後心肺冬祀行其祭也先腎後脾凡此之義以四時之位五藏之上下次之耳冬位在後而腎在下夏位在前而肺在上春位小前故祭先脾秋位小却故祭先肝

句読本文校了

夏祀竃、其祭也、先肺後心肝。季夏祀中霤、其祭也、先心後肺。秋祀門、其祭也、先肝後心肺。冬祀行、其祭也、先腎後脾。凡此之義、以四時之位、五藏之上下次之耳。冬位在後而腎在下。夏位在前而肺在上。春位小前、故祭先脾。秋位小却、故祭先肝。

訓読校了

夏、竃を祀り、其の祭は肺を先にし、心肝を後にす。季夏、中霤を祀り、其の祭は心を先にし、肺を後にす。秋、門を祀り、其の祭は肝を先にし、心肺を後にす。冬、行を祀り、其の祭は腎を先にし、脾を後にす。凡そ此の義は、四時の位と五藏の上下とを以て之を次するのみ。冬の位は後に在りて腎は下に在り。夏の位は前に在りて肺は上に在り。春の位は小しく前、故に祭は脾を先にす。秋の位は小しく却く、故に祭は肝を先にす。

現代語訳校了

夏に竈を祭るときは、肺を先にし、心と肝を後にする。季夏に中霤を祭るときは、心を先にし、肺を後にする。秋に門を祭るときは、肝を先にし、心と肺を後にする。冬に行の神を祭るときは、腎を先にし、脾を後にする。これらの意味は、四季の位置と五臓の上下によって順序づけたものにすぎない。冬の位置は後ろで腎は下にあり、夏の位置は前で肺は上にある。春の位置はやや前なので祭では脾を先にし、秋の位置はやや後ろなので肝を先にする。

GT-300060・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

肝腎脾俱在鬲下肺心俱在鬲上祭者必三故有先後焉此義不與行氣同也八十一問云五藏俱等心肺獨在鬲上何對曰心主氣肺主血血行脈中氣行脈外相隨上下故曰營衛故令心肺在鬲上也甲乙經云黃帝問岐伯曰人有五藏藏有五變

句読本文校了

肝腎脾俱在鬲下、肺心俱在鬲上。祭者必三、故有先後焉。此義不與行氣同也。八十一問云、五藏俱等、心肺獨在鬲上何。對曰、心主氣、肺主血。血行脈中、氣行脈外、相隨上下、故曰營衛。故令心肺在鬲上也。甲乙經云、黃帝問岐伯曰、人有五藏、藏有五變。

訓読校了

肝腎脾は俱に鬲下に在り、肺心は俱に鬲上に在り。祭る者は必ず三、故に先後有り。此の義、行氣と同じからざるなり。八十一問に云はく、五藏俱に等しきに、心肺獨り鬲上に在るは何ぞ。對へて曰く、心は氣を主り、肺は血を主る。血は脈中を行き、氣は脈外を行き、相隨ひて上下す。故に營衛と曰ふ。故に心肺をして鬲上に在らしむるなり。甲乙經に云はく、黃帝、岐伯に問ひて曰く、人に五藏有り、藏に五變有り。

現代語訳校了

肝・腎・脾はすべて横隔膜の下にあり、肺・心はともに横隔膜の上にある。祭る臓は必ず三つなので、先後がある。この意味は気の運行とは同じでない。『八十一問』は、五臓はすべて同等なのに、心と肺だけが横隔膜の上にあるのはなぜかと問う。答えは、心は気をつかさどり、肺は血をつかさどり、血は脈の中を、気は脈の外を巡り、互いに伴って上下するため営衛といい、このため心と肺を横隔膜の上に置く、というものである。『甲乙経』では、黄帝が岐伯に、人には五臓があり、臓には五つの変化があると問う。

GT-300061・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

肝爲牡藏其色青其時春其日甲乙心爲牡藏其色赤其時夏其日丙丁脾爲牝藏其色黃其時季夏其日戊己肺爲牝藏其色白其時秋其日庚辛腎爲牝藏其色黑其時冬其日壬癸素問曰肝者魂之所居陰中之小陽故通春氣

句読本文校了

肝爲牡藏、其色青、其時春、其日甲乙。心爲牡藏、其色赤、其時夏、其日丙丁。脾爲牝藏、其色黃、其時季夏、其日戊己。肺爲牝藏、其色白、其時秋、其日庚辛。腎爲牝藏、其色黑、其時冬、其日壬癸。素問曰、肝者、魂之所居、陰中之小陽、故通春氣。

訓読校了

肝を牡藏と爲し、其の色は青、其の時は春、其の日は甲乙。心を牡藏と爲し、其の色は赤、其の時は夏、其の日は丙丁。脾を牝藏と爲し、其の色は黃、其の時は季夏、其の日は戊己。肺を牝藏と爲し、其の色は白、其の時は秋、其の日は庚辛。腎を牝藏と爲し、其の色は黑、其の時は冬、其の日は壬癸。素問に曰く、肝は魂の居る所、陰中の小陽、故に春氣に通ず。

現代語訳校了

肝は牡臓で、色は青、季節は春、日は甲乙である。心は牡臓で、色は赤、季節は夏、日は丙丁である。脾は牝臓で、色は黄、季節は季夏、日は戊己である。肺は牝臓で、色は白、季節は秋、日は庚辛である。腎は牝臓で、色は黒、季節は冬、日は壬癸である。『素問』は、肝は魂の居所であり、陰の中の小陽であるため、春の気に通じるという。

GT-300062・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

心者生之本神之所處爲陽中之大陽故通夏氣脾者倉廪之本名曰興化能化糟粕

句読本文校了

心者、生之本、神之所處、爲陽中之大陽、故通夏氣。脾者、倉廪之本、名曰興化、能化糟粕。

訓読校了

心は生の本、神の處る所、陽中の大陽と爲す。故に夏氣に通ず。脾は倉廪の本、名づけて興化と曰ひ、能く糟粕を化す。

現代語訳校了

心は生命の根本であり、神が宿る所であり、陽の中の大陽に当たるため、夏の気に通じる。脾は倉廩の根本で、『興化』と名づけられ、糟粕を変化させることができる。

GT-300063・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

轉味出入至陰之類故通土氣肺者氣之本魄之所處陽中之少陰故通秋氣腎者主蟄封藏之本精之所處陰中之太陰故通冬氣又云春無食肝夏無食心季夏無食脾秋無食肺冬無食腎周禮疾醫掌養萬人之疾病者以肝爲木心爲火脾爲土肺爲金腎爲水則疾多瘳反其術則死

句読本文校了

轉味出入,至陰之類,故通土氣。肺者,氣之本,魄之所處,陽中之少陰,故通秋氣。腎者,主蟄封藏之本,精之所處,陰中之太陰,故通冬氣。又云:「春無食肝,夏無食心,季夏無食脾,秋無食肺,冬無食腎。」『周禮』疾醫掌養萬人之疾病者,以肝爲木,心爲火,脾爲土,肺爲金,腎爲水,則疾多瘳;反其術,則死。

訓読校了

味を転じて出入せしむ。至陰の類なり、故に土気に通ず。肺は、気の本、魄の処る所、陽中の少陰なり、故に秋気に通ず。腎は、蟄を主り、封蔵の本、精の処る所、陰中の太陰なり、故に冬気に通ず。また云う、「春は肝を食らうことなく、夏は心を食らうことなく、季夏は脾を食らうことなく、秋は肺を食らうことなく、冬は腎を食らうことなし」と。『周礼』の疾医、万人の疾病を養うことを掌る者は、肝を木となし、心を火となし、脾を土となし、肺を金となし、腎を水となせば、則ち疾多く瘳え、その術に反すれば、則ち死す。

現代語訳校了

味を変化させて出入りさせる。これは至陰の類に属するため、土の気に通じる。肺は気の根本で、魄が宿る所であり、陽の中の少陰に当たるため、秋の気に通じる。腎は蟄伏をつかさどり、封じ蔵する働きの根本で、精が宿る所であり、陰の中の太陰に当たるため、冬の気に通じる。また、春には肝を、夏には心を、季夏には脾を、秋には肺を、冬には腎を食べないという。『周礼』で万人の疾病を治療することを職掌とする疾医は、肝を木、心を火、脾を土、肺を金、腎を水として扱えば病の多くは治り、その術に反すれば死に至るとする。

GT-300064・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

月令中霤之禮以陰陽遂退爲次白虎通及素問醫治之書用行實爲驗故其所配是也白虎通又云木所以浮金所以沈者何子生於母義肝以沈肺以浮何有知者尊其母也一說云甲木畏金以乙妻庚受庚之化木法其本直甲故浮肝法其化直乙故沈

句読本文校了

『月令』中霤之禮,以陰陽遂退爲次。『白虎通』及『素問』,醫治之書,用行實爲驗,故其所配是也。『白虎通』又云:「木所以浮,金所以沈者,何?子生於母義。肝以沈,肺以浮,何?有知者尊其母也。」一說云:「甲木畏金,以乙妻庚,受庚之化。木法其本,直甲,故浮;肝法其化,直乙,故沈。」

訓読校了

『月令』の中霤の礼は、陰陽の遂に退くを以て次となす。『白虎通』及び『素問』は、医治の書にして、行実を用いて験となす、故にその配する所は是なり。『白虎通』また云う、「木の浮かぶ所以、金の沈む所以は何ぞ。子は母より生ずるの義なり。肝は以て沈み、肺は以て浮くは何ぞ。知有る者はその母を尊べばなり」と。一説に云う、「甲木は金を畏れ、乙を以て庚に妻わし、庚の化を受く。木はその本に法り、甲に直る、故に浮く。肝はその化に法り、乙に直る、故に沈む」と。

現代語訳校了

『月令』の中霤の礼では、陰陽が次第に退く順序を配列の基準とする。『白虎通』と『素問』は医治の書であり、実際の働きを用いて検証するため、その配当を正しいものとする。『白虎通』はさらに、「木が浮き、金が沈むのはなぜか。それは子が母から生まれるという関係による。ところが肝が沈み、肺が浮くのはなぜか。知覚をもつものは、その母を尊ぶからである」と説く。別説では、甲の木は金を畏れ、乙を庚の妻として庚の変化を受けるので、木はその本来の性質に従って甲に当たり、それゆえ浮き、肝は変化後の性質に従って乙に当たり、それゆえ沈むとする。

GT-300065・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

庚金畏火以辛妻丙受丙之化金法其本直庚故沈肺法其化直辛故浮河上公注老子云肝藏魂肺藏魄心藏神腎藏精脾藏志五藏盡傷則五神去矣道經義云魂居肝魄在肺神處心精藏腎志託脾此與素問同魂爲木氣神爲火氣志爲土氣魄爲金氣精爲水氣

句読本文校了

庚金畏火,以辛妻丙,受丙之化。金法其本,直庚,故沈;肺法其化,直辛,故浮。河上公注『老子』云:「肝藏魂,肺藏魄,心藏神,腎藏精,脾藏志。五藏盡傷,則五神去矣。」『道經義』云:「魂居肝,魄在肺,神處心,精藏腎,志託脾。」此與『素問』同。魂爲木氣,神爲火氣,志爲土氣,魄爲金氣,精爲水氣。

訓読校了

庚金は火を畏れ、辛を以て丙に妻わし、丙の化を受く。金はその本に法り、庚に直る、故に沈む。肺はその化に法り、辛に直る、故に浮く。河上公の『老子』注に云う、「肝は魂を蔵し、肺は魄を蔵し、心は神を蔵し、腎は精を蔵し、脾は志を蔵す。五蔵尽く傷つけば、則ち五神去る」と。『道経義』に云う、「魂は肝に居り、魄は肺に在り、神は心に処り、精は腎に蔵され、志は脾に託す」と。此れ『素問』と同じ。魂は木気となり、神は火気となり、志は土気となり、魄は金気となり、精は水気となる。

現代語訳校了

庚の金は火を畏れ、辛を丙の妻として丙の変化を受けるので、金はその本来の性質に従って庚に当たり、それゆえ沈み、肺は変化後の性質に従って辛に当たり、それゆえ浮く。河上公の『老子』注は、肝は魂、肺は魄、心は神、腎は精、脾は志を蔵し、五臓がすべて傷つけば、魂・魄・神・精・志という五神も去ると説く。『道経義』も、魂は肝に居り、魄は肺に在り、神は心に居り、精は腎に蔵され、志は脾に託されるとし、これは『素問』と同じである。さらに、魂は木の気、神は火の気、志は土の気、魄は金の気、精は水の気に当たる。

GT-300066・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

魂通於目神通於舌志通於口魄通於鼻精通於耳甲乙經云鼻爲肺之官目爲肝之官口唇爲脾之官舌爲心之官耳爲腎之官故肺病喘息鼻張肝病目閉眥青脾病口唇黃乾心病舌卷短顏赤腎病權與顏黑黃耳聾此名

句読本文校了

魂通於目,神通於舌,志通於口,魄通於鼻,精通於耳。『甲乙經』云:「鼻爲肺之官,目爲肝之官,口唇爲脾之官,舌爲心之官,耳爲腎之官。故肺病,喘息鼻張;肝病,目閉眥青;脾病,口唇黃乾;心病,舌卷短顏赤;腎病,權與顏黑黃,耳聾。」此名

訓読校了

魂は目に通じ、神は舌に通じ、志は口に通じ、魄は鼻に通じ、精は耳に通ず。『甲乙経』に云う、「鼻は肺の官となり、目は肝の官となり、口唇は脾の官となり、舌は心の官となり、耳は腎の官となる。故に肺病めば、喘息して鼻張る。肝病めば、目閉じて眥青し。脾病めば、口唇黄ばみて乾く。心病めば、舌巻き短くして顔赤し。腎病めば、権と顔と黒黄にして、耳聾す」と。此れを名づくるに、

現代語訳校了

魂は目に、神は舌に、志は口に、魄は鼻に、精は耳に通じる。『甲乙経』によれば、鼻は肺の官、目は肝の官、口と唇は脾の官、舌は心の官、耳は腎の官である。そのため、肺が病めば喘息して鼻孔が張り、肝が病めば目を閉じて目尻が青くなり、脾が病めば口と唇が黄色く乾き、心が病めば舌が巻いて短くなり顔が赤くなり、腎が病めば頬骨と顔が黒黄色になって耳が聞こえなくなる。これを、

GT-300067・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

五官相書亦名五候以鼻人中爲一官主心餘竝同候者以五藏善惡色出五官可占候吉凶也鼻人中猶是口之分也孝經援神契云肝仁故目視肺義故鼻候心禮故耳司腎信故竅寫脾智故口誨

句読本文校了

五官,相書亦名五候。以鼻人中爲一官,主心,餘竝同。候者,以五藏善惡色出五官,可占候吉凶也。鼻人中,猶是口之分也。『孝經援神契』云:「肝仁,故目視;肺義,故鼻候;心禮,故耳司;腎信,故竅寫;脾智,故口誨。」

訓読校了

五官とす。相書にはまた五候と名づく。鼻と人中とを以て一官となし、心を主り、余は並びに同じ。候とは、五蔵の善悪の色、五官に出で、吉凶を占候すべきを以てなり。鼻と人中とは、猶お是れ口の分なり。『孝経援神契』に云う、「肝は仁、故に目視る。肺は義、故に鼻候う。心は礼、故に耳司る。腎は信、故に竅写す。脾は智、故に口誨う」と。

現代語訳校了

「五官」と名づけ、相術の書では「五候」とも名づける。鼻と人中を一つの官として心をつかさどらせ、その他の配当は同じである。「候」というのは、五臓の善悪を示す色が五官に現れ、それによって吉凶をうかがい判断できるからである。鼻と人中も、なお口の領域に属する。『孝経援神契』は、肝は仁であるから目が見、肺は義であるから鼻が徴候をうかがい、心は礼であるから耳がつかさどり、腎は信であるから孔が排出し、脾は智であるから口が教えると説く。

GT-300068・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

元命苞曰目肝使肝氣仁而外照管子曰脾發爲鼻肝發爲目腎發爲耳肺發爲口心發爲下竅道家太平經云肝神不在目無光明心神不在唇青白肺神不在鼻不通腎神不在耳聾脾神不在舌不知甘味又一說云目主肝耳主腎鼻主心舌主脾口主肺

句読本文校了

『元命苞』曰:「目,肝使。肝氣仁而外照。」『管子』曰:「脾發爲鼻,肝發爲目,腎發爲耳,肺發爲口,心發爲下竅。」道家『太平經』云:「肝神不在,目無光明;心神不在,唇青白;肺神不在,鼻不通;腎神不在,耳聾;脾神不在,舌不知甘味。」又一說云:「目主肝,耳主腎,鼻主心,舌主脾,口主肺。」

訓読校了

『元命苞』に曰く、「目は肝の使なり。肝気は仁にして外を照らす」と。『管子』に曰く、「脾発して鼻となり、肝発して目となり、腎発して耳となり、肺発して口となり、心発して下竅となる」と。道家の『太平経』に云う、「肝神在らざれば、目に光明なし。心神在らざれば、唇青白し。肺神在らざれば、鼻通ぜず。腎神在らざれば、耳聾す。脾神在らざれば、舌は甘味を知らず」と。また一説に云う、「目は肝を主り、耳は腎を主り、鼻は心を主り、舌は脾を主り、口は肺を主る」と。

現代語訳校了

『元命苞』は、目を肝の使者とし、肝の気は仁であって外を照らすと説く。『管子』は、脾が発現して鼻となり、肝が発現して目となり、腎が発現して耳となり、肺が発現して口となり、心が発現して下の孔となると説く。道家の『太平経』は、肝の神が不在なら目に光明がなく、心の神が不在なら唇が青白くなり、肺の神が不在なら鼻が通らず、腎の神が不在なら耳が聞こえず、脾の神が不在なら舌が甘味を知らないとする。さらに別説では、目は肝、耳は腎、鼻は心、舌は脾、口は肺をつかさどる。

GT-300069・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

肝腎二藏諸經竝同肝主目者肝木藏也木是陽東方顯明之地眼目亦光顯照了故通乎目道家太式經云天曰洞視主目目主肝天陽也肝亦陽目精明亦陽目光顯見兼有常法如日陽精無缺而明也腎主耳者腎水藏水陰也北方陰暗之地耳能聽聲聲是陰微之象故通乎耳

句読本文校了

肝腎二藏,諸經竝同。肝主目者,肝木藏也。木是陽,東方顯明之地,眼目亦光顯照了,故通乎目。道家『太式經』云:「天曰洞視,主目;目主肝。天陽也,肝亦陽,目精明亦陽。目光顯見,兼有常法,如日陽精,無缺而明也。」腎主耳者,腎水藏,水陰也。北方陰暗之地,耳能聽聲,聲是陰微之象,故通乎耳。

訓読校了

肝腎の二蔵は、諸経並びに同じ。肝の目を主るは、肝は木蔵なればなり。木は是れ陽、東方は顕明の地、眼目もまた光顕にして照了す、故に目に通ず。道家の『太式経』に云う、「天を洞視と曰い、目を主る。目は肝を主る。天は陽なり、肝もまた陽、目の精明もまた陽なり。目の光は顕見し、兼ねて常法有ること、日の陽精、欠くることなくして明らかなるが如し」と。腎の耳を主るは、腎は水蔵にして、水は陰なればなり。北方は陰暗の地、耳は能く声を聴き、声は是れ陰微の象なり、故に耳に通ず。

現代語訳校了

肝と腎という二臓の配当は、諸経で一致している。肝が目をつかさどるのは、肝が木の臓だからである。木は陽であり、東方は明るく現れる場所であり、眼も光を明らかに現して物をはっきり照らすため、肝は目に通じる。道家の『太式経』は、天を「洞視」と呼んで目をつかさどらせ、目に肝をつかさどらせる。天も肝も目の澄んだ明るさも陽であり、目の光がはっきり現れて一定の法則をもつことは、太陽の陽精が欠けることなく明るいのと同じだという。腎が耳をつかさどるのは、腎が水の臓で、水が陰だからである。北方は陰暗の地であり、耳が聴く声は陰微の象であるため、腎は耳に通じる。

GT-300070・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

太式經曰地曰洞聽主耳耳主腎地陰也耳法虛則納聲水主虛陰主虛陰主幽陰聲又非恒如月盈虛也脾心肺三藏及候各有異說甲乙以鼻應肺道家以鼻應心管子以鼻應脾甲乙應肺者鼻以空虛納氣肺亦虛而受氣故也道家鼻主心者陽也老子經云天以五行氣從鼻入藏於心鼻以空

句読本文校了

『太式經』曰:「地曰洞聽,主耳;耳主腎。地陰也。耳法虛則納聲,水主虛,陰主虛,陰主幽,陰聲又非恒,如月盈虛也。」脾心肺三藏及候,各有異說。『甲乙』以鼻應肺,道家以鼻應心,『管子』以鼻應脾。『甲乙』應肺者,鼻以空虛納氣,肺亦虛而受氣,故也。道家鼻主心者,陽也。『老子經』云:「天以五行氣從鼻入,藏於心。」鼻以空

訓読校了

『太式経』に曰く、「地を洞聴と曰い、耳を主る。耳は腎を主る。地は陰なり。耳は虚に法れば則ち声を納れ、水は虚を主り、陰は虚を主り、陰は幽を主り、陰声もまた恒ならざること、月の盈虚の如し」と。脾・心・肺の三蔵及びその候には、各々異説有り。『甲乙経』は鼻を以て肺に応じ、道家は鼻を以て心に応じ、『管子』は鼻を以て脾に応ず。『甲乙経』の肺に応ずるは、鼻は空虚を以て気を納れ、肺もまた虚にして気を受くればなり。道家の鼻の心を主るは、陽なればなり。『老子経』に云う、「天は五行の気を以て鼻より入り、心に蔵す」と。鼻は空を以て、

現代語訳校了

『太式経』は、地を「洞聴」と呼んで耳をつかさどらせ、耳に腎をつかさどらせる。地は陰である。耳は虚のあり方に従うから声を受け入れ、水は虚をつかさどり、陰も虚と幽暗をつかさどり、陰に属する声も月の満ち欠けのように一定しないという。脾・心・肺の三臓とその徴候の配当には、それぞれ異説がある。『甲乙経』は鼻を肺に、道家は鼻を心に、『管子』は鼻を脾に配する。『甲乙経』が鼻を肺に配するのは、鼻が空虚であることによって気を受け入れ、肺も虚であって気を受けるからである。道家が鼻を心に配するのは、鼻が陽に属するからである。『老子経』は、天が五行の気を鼻から入れて心に蔵すると説く。鼻は空虚であることによって、

GT-300071・巻3
本文 校了
原文翻刻校了

通出入息高象天故與天通而氣藏於心也管子以脾是土鼻在面之中故爲其候甲乙以脾應口道家以肺應口與管子同甲乙以脾應口者口是出納之門脾爲受盛之所口能論說脾能消化故以相通

句読本文校了

通,出入息,高象天,故與天通,而氣藏於心也。『管子』以脾是土,鼻在面之中,故爲其候。『甲乙』以脾應口,道家以肺應口,與『管子』同。『甲乙』以脾應口者,口是出納之門,脾爲受盛之所,口能論說,脾能消化,故以相通。

訓読校了

通じ、息を出入し、高くして天に象る、故に天と通じて、気は心に蔵さるるなり。『管子』は、脾は是れ土にして、鼻は面の中に在るを以て、故にその候となす。『甲乙経』は脾を以て口に応じ、道家は肺を以て口に応じ、『管子』と同じ。『甲乙経』の脾を以て口に応ずるは、口は是れ出納の門、脾は受盛の所となり、口は能く論説し、脾は能く消化す、故に以て相通ず。

現代語訳校了

通じて呼吸を出入りさせ、顔の高い位置にあって天をかたどる。そのため鼻は天に通じ、鼻から入った気は心に蔵される。『管子』は、脾が土であり、鼻が顔の中央にあるため、鼻を脾の徴候とする。『甲乙経』は口を脾に配し、道家は口を肺に配し、その道家の説は『管子』と同じである。『甲乙経』が口を脾に配するのは、口が出し入れの門で、脾が受け入れて収める場所であり、口は論説することができ、脾は消化することができるため、両者が通じ合うからである。

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