土御門文書編纂所 · 古典籍 · 密教の典籍

般若心経秘鍵

空海(遍照金剛)撰

般若心経を密教の立場から読み解いた書です。経題、経文を内容に応じて分けた五つの区分(科判)、真言の意味を順にたどります。

校了

明治42年刊『弘法大師全集 巻3』を底本とした注付き読解版です。原本との照合と独立した校閲を経て、原文・句読・訓読・現代語訳・注記の確認を終えました(2026年9月13日)。梵字は底本の原字図を収録し、参照用の読みを別に添えています。各区分の注記と原本画像を併せてご覧ください。

本文に続く上表と、後世の編者注は別の資料として区別しています。ここに記す説明は本書の読解であり、天社宮の教義・作法として定めるものではありません。

本文・序

題・撰者

HK-001 · 底本 138頁 · 校了

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現代語訳

『般若心経秘鍵』序を併せる。遍照金剛(空海)著。

原文翻刻
般若心經秘鍵幷序 遍照金剛撰
句読本文
般若心經秘鍵、幷序。 遍照金剛撰。
訓読
般若心経秘鍵、并びに序。遍照金剛撰。
編纂注
  • 遍照金剛を空海とする説明を訳で補った。
序偈

HK-002 · 底本 138頁 · 校了

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現代語訳

文殊の鋭い剣は、実体のない議論への執着を断ち切る。諸仏を生む母である般若を表す梵字は、人々を導く師である。ここに示す二つの梵字の真言を種子として、あらゆる教えをそのうちに収める陀羅尼である。果てしない生と死の繰り返しを、どうすれば断ち切れるのか。それには、心を静める禅定と、正しい思惟とがある。この尊の三昧を説くにあたり、私は人々への慈しみから、先師に遠慮して退くことはしない。私はいま、その徳と教えを讃えて述べる。どうか慈悲を垂れていただきたい。

原文翻刻
文殊利劒絕諸戲 覺母梵文調御師 〔梵字図1〕眞言爲種子 含藏諸敎陀羅尼 無邊生死何能斷 唯有禪那正思惟 尊者三摩仁不讓 我今讚述垂哀悲
句読本文
文殊利劒絕諸戲、覺母梵文調御師。 〔梵字図1〕眞言爲種子、含藏諸敎陀羅尼。 無邊生死何能斷、唯有禪那正思惟。 尊者三摩仁不讓、我今讚述垂哀悲。
訓読
文殊の利剣は諸の戯を絶ち、覚母の梵文は調御師なり。〔梵字図1〕の真言を種子と為し、諸教を含蔵する陀羅尼なり。無辺の生死、何ぞ能く断たん。唯だ禅那の正思惟有り。尊者の三摩、仁に譲らず。我今讚述す、哀悲を垂れたまえ。

梵字の原字図

図版は底本の字形です。添えたローマ字は読解用の参照読みで、底本の厳密な翻字とは区別しています。

序偈の二つの種子字(底本原字図)
梵字図1

参照読み:dhiḥ・maṃ

般若菩薩と文殊の種子字。参照研究注31はdhiḥ/dhī/dhīḥ等の異綴りを説明する。底本の長短母音を一律に改めず原字図を正本とする。

底本画像
編纂注
  • 覚母は般若、諸戯は実体視に基づく戯論として読んだ。
  • 「尊者三摩仁不讓」は「尊の三昧を説くことについて、慈しみから先師に遠慮しない」と読む。『論語』衛霊公篇「當仁不讓於師」と後段の顕密問答に対応する読解で、Dreitlein(高野山大学密教文化研究所紀要24、12頁注34)もこの理解を採る。
  • 古注には「尊者」を般若菩薩または文殊とする説、「不讓」を教えをみだりに授けないとする説もある。本訳は異説を唯一の意味に統一せず、上記の読解を採用した。
  • 梵字は底本の原字図を収録し、参照用の読みを別に添えた。ローマ字は底本の厳密な翻字ではない。
序・佛法は心中にある

HK-003 · 底本 138頁 · 校了

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現代語訳

仏の教えは、遠くにあるのではない。自分の心のうちに、すぐ近くにある。真実そのもののあり方である真如も、自分の外にあるのではない。この身を捨てて、いったいどこに求めようというのか。迷うか悟るかは自分にかかっているから、悟りを求める心を起こせば、そこに到る。心が明るいか暗いかも他人のことではないから、信じて修めれば、たちまちその真実を証しうる。ああ、哀れなことだ、長く眠り続ける子らよ。ああ、苦しく痛ましいことだ、狂ったように酔う人々よ。ひどく酔い狂った人は酔わない人を笑い、深く眠りこむ人は目覚めた人を嘲る。医王である仏の薬を尋ねようともしないで、いつ大日如来の光を見ることができよう。心を覆う障りには軽重があり、悟りに到るにも遅速がある。教えを受け取る資質は同じではなく、性質や求めるものも異なっている。そこで二つの教えは異なる道筋を取り、金剛と蓮華の場に分かれることになった。また五つの乗り物に譬えられる教えは、くつわを並べて進みながら、幻影のような世界の囲いのうちで足取りをとどめている。それぞれの毒を解くため、与えられる薬も異なる。慈しみ深い父が子を導く方法、その大筋はここにあるのであろう。

原文翻刻
夫佛法非遙心中卽近眞如非外弃身何求迷悟在我則發心卽到明暗非他則信修忽證哀哉哀哉長眠子苦哉痛哉狂醉人痛狂笑不醉酷睡嘲覺者不曾訪醫王之藥何時見大日之光至若翳障輕重覺悟遲速機根不同性欲卽異遂使二敎殊轍分手金蓮之場五乘並鑣踠跡幻影之埒隨其解毒得藥卽別慈父導子之方大綱在此乎
句読本文
夫佛法非遙、心中卽近。眞如非外、弃身何求。迷悟在我、則發心卽到。明暗非他、則信修忽證。哀哉哀哉長眠子、苦哉痛哉狂醉人。痛狂笑不醉、酷睡嘲覺者。不曾訪醫王之藥、何時見大日之光。至若翳障輕重、覺悟遲速、機根不同、性欲卽異。遂使二敎殊轍、分手金蓮之場。五乘並鑣、踠跡幻影之埒。隨其解毒、得藥卽別。慈父導子之方、大綱在此乎。
訓読
夫れ仏法は遥かに非ず、心中に即ち近し。真如は外に非ず、身を弃てて何くにか求めん。迷悟は我に在れば、則ち発心して即ち到る。明暗は他に非ざれば、則ち信修して忽ち証す。哀しいかな、哀しいかな、長眠の子。苦しいかな、痛ましいかな、狂酔の人。痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲る。曾て医王の薬を訪わず、何れの時にか大日の光を見ん。翳障の軽重、覚悟の遅速のごときに至りては、機根同じからず、性欲即ち異なり。遂に二教をして轍を殊にし、金蓮の場に手を分かたしむ。五乗は鑣を並べ、幻影の埒に跡を踠る。その解毒に随いて、薬を得ること即ち別なり。慈父の子を導く方、大綱ここに在るか。
編纂注
  • 医王は仏を指す譬えとして訳した。
  • 「二教」「金蓮」には古注の異説がある。覚鑁『秘鍵略註』(大正57、14頁上)は金剛・胎蔵の両部として、顕密二宗とは区別する。一方、済暹『開門訣』は顕密二教に即して解釈する。本訳は「二つの教え」「金剛と蓮華」とし、いずれかの配当を原文そのものとして断定しない。
  • 「隨其解毒」は、毒に譬えられる迷いを除くのに応じて薬としての教えが異なる、と読む。『開門訣』は顕密の利益の相違をまとめる句とする。
  • 踠跡は馬の歩みをとどめる意の譬えとして読んだ。
心經に含まれる諸敎

HK-004 · 底本 139頁 · 校了

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現代語訳

『大般若波羅蜜多心経』とは、大般若菩薩の大心真言による三昧の法門である。文章は紙一枚にも満たず、行数は十四行である。簡潔で要点を備え、短くても深い、といってよい。五蔵に収まる般若の教えも、この経の一句を味わって飽きることがない。七宗それぞれの修行とその成果も、この経の一行を讃え尽くせない。「観自在菩薩」という語では、諸々の乗り物として説かれる教えを実践する人々をまとめて挙げる。「苦しみを渡り、涅槃に至る」という内容では、それぞれの教えによって安楽を得ることを讃える。五蘊は迷いの対象世界を横に広く示し、三仏は悟りの心を縦の筋道に沿って示す。色と空を説けば、普賢は、すべてが妨げなく融け合うという意味に笑みを浮かべる。不生を論じれば、文殊は、戯論を断つ観察に顔をほころばせる。識の領域を説けば、識を選び取り保つ教えの側は手を打つ。対象とそれを知る智慧との区別を消し去れば、一つに帰する教えの側は心を喜ばせる。十二因縁は、犀の一本角に譬えられる独覚に、生起と消滅の道理を示す。四諦という教えの車輪は、羊の車に譬えられる声聞に、苦と空を気づかせる。まして、ここに示す「揭帝」に当たる二つの梵字は諸蔵の修行と成果を包み込み、続く二つの梵字は顕教と密教の教えをそのうちに宿す。一つ一つの音声と文字は、途方もない長い時間をかけて説いても尽きない。一つ一つの名とその内容は、塵や水滴ほど数多い仏でさえ究め尽くせない。このため、唱えて保ち、講じ、供養すれば、苦を除き、安楽を与える。修め習い、思いを凝らせば、道を得て、自在なはたらきを起こす。「きわめて深い」との呼び名は、まことにふさわしい。私は童子を教える機会に、ひとまず大綱と要点を取り、この経を五つに分けて解釈する。解釈した人は多いが、まだこの奥深い意味を汲み上げていない。翻訳の異同と、顕教・密教の違いは、後で述べるとおりである。

原文翻刻
大般若波羅蜜多心經者卽是大般若菩薩大心眞言三摩地法門文欠一紙行則十四可謂簡而要約而深五藏般若嗛一句而不飽七宗行果歎一行而不足觀在薩埵則擧諸乘之行人度苦涅槃則褒諸敎之得樂五蘊橫指迷境三佛豎示悟心言色空則普賢解頤圓融之義談不生則文殊破顏絕戲之觀說之識界簡持拍手泯之境智歸一快心十二因緣指生滅於麟角四諦法輪驚苦空於羊車況復〔梵字図2〕二字吞諸藏之行果〔梵字図3〕兩言孕顯密之法敎一一聲字歷劫之談不盡一一名實塵滴之佛無極是故誦持講供則拔苦與樂修習思惟則得道起通甚深之稱誠宜可然余敎童之次聊撮綱要釋彼五分釋家雖多未鉤此幽翻譯同異顯密差別並如後釋
句読本文
大般若波羅蜜多心經者、卽是大般若菩薩大心眞言三摩地法門。文欠一紙、行則十四。可謂簡而要、約而深。五藏般若嗛一句而不飽、七宗行果歎一行而不足。觀在薩埵、則擧諸乘之行人。度苦涅槃、則褒諸敎之得樂。五蘊橫指迷境、三佛豎示悟心。言色空、則普賢解頤圓融之義。談不生、則文殊破顏絕戲之觀。說之識界、簡持拍手。泯之境智、歸一快心。十二因緣、指生滅於麟角。四諦法輪、驚苦空於羊車。況復〔梵字図2〕二字、吞諸藏之行果。〔梵字図3〕兩言、孕顯密之法敎。一一聲字、歷劫之談不盡。一一名實、塵滴之佛無極。是故誦持講供、則拔苦與樂。修習思惟、則得道起通。甚深之稱、誠宜可然。余敎童之次、聊撮綱要、釋彼五分。釋家雖多、未鉤此幽。翻譯同異、顯密差別、並如後釋。
訓読
大般若波羅蜜多心経とは、即ちこれ大般若菩薩の大心真言三摩地の法門なり。文は一紙に欠け、行は則ち十四。簡にして要、約にして深しと謂うべし。五蔵の般若は一句を嗛みて飽かず、七宗の行果は一行を歎じて足らず。観在薩埵は、則ち諸乗の行人を挙ぐ。度苦涅槃は、則ち諸教の得楽を褒む。五蘊は横に迷境を指し、三仏は竪に悟心を示す。色空を言えば、則ち普賢、円融の義に頤を解く。不生を談ずれば、則ち文殊、絶戯の観に顔を破る。これを識界に説けば、簡持、手を拍つ。これを境智に泯ずれば、帰一、心を快くす。十二因縁は、生滅を麟角に指し、四諦の法輪は、苦空を羊車に驚かす。況んや復た〔梵字図2〕の二字は、諸蔵の行果を吞み、〔梵字図3〕の両言は、顕密の法教を孕む。一一の声字は、劫を歴るの談も尽きず。一一の名実は、塵滴の仏も極むること無し。この故に誦持講供すれば、則ち苦を抜き楽を与う。修習思惟すれば、則ち道を得、通を起こす。甚深の称、誠に宜しく然るべし。余、童を教うるの次でに、聊か綱要を撮り、彼の五分を釈す。釈家多しと雖も、未だこの幽を鉤らず。翻訳の同異、顕密の差別は、並びに後の釈のごとし。

梵字の原字図

図版は底本の字形です。添えたローマ字は読解用の参照読みで、底本の厳密な翻字とは区別しています。

修行とその果を含む二字(底本原字図)
梵字図2

参照読み:ga・te

参照読みgate。gaとteの二字を示す。

底本画像
顕密の法教を含む二字(底本原字図)
梵字図3

参照読み:pāra-・pārasaṃ-(文脈上の参照読み)

底本にはpra・su型の字形が見られます。ここでは、文脈と古注に基づき、波羅・波羅僧に対応する語として読みます。底本の字形は原字図に示し、参照読みと区別しています。

底本画像
編纂注
  • 「十四行」は空海本文の説明であり、現在の表示行数ではない。
  • 観在薩埵を観自在菩薩、麟角を独覚、羊車を声聞と説明した。
  • 「簡持」「帰一」は教えとそれを体現する菩薩の両方にかかわる語。覚鑁『秘鍵略註』(大正57、14頁下〜15頁上)は簡持を唯識・法相、人物では弥勒、帰一を天台法華、人物では観音とする。本訳は教えの側を主語として補った。
  • 覚鑁『秘鍵略註』(大正57、14頁中)は五蔵を経・律・論・般若・陀羅尼、七宗を律・倶舎・成実・法相・三論・天台・華厳と説明する。本文中の「七宗」そのものに宗名は列記されていないため、現代語訳は七宗の語を保った。
  • 三仏の分類は訳で断定せず、修行の効能は本文の宗教的主張として訳した。
  • 梵字は底本の原字図を収録し、参照用の読みを別に添えた。ローマ字は底本の厳密な翻字ではない。
諸敎を含むことへの問答

HK-005 · 底本 139–140頁 · 校了

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現代語訳

ある人が問う。「般若は第二の段階に当たる、まだ究極を明かし尽くしていない教えである。それが、どうして第三の段階に当たる、真意を明らかにした経典を包み込めるのか。」これに対し、如来の説法は、一字のうちに五乗の意味を含み、一念のうちに三蔵の教えを説く。まして、一部の経典、一つの品であれば、何が欠け、何が含まれないというのか。亀甲の兆し、卦、爻、筮に用いる蓍草は、あらゆる事象を含んで尽きることがない。帝釈天の宝の網も、帝釈天に由来するとされる声論という言語の学も、あらゆる意味を含んで尽きることがない。反論する人はいう。「そうであるなら、以前の優れた仏法の師たちは、なぜそのように語らなかったのか。」答える。「聖なる人が薬を与えるのは、受け取る人の資質の深さ浅さに応じてのことである。賢い人が語るか沈黙するかは、時と人を待って決める。私には、以前の師が語らなかった事情はまだわからない。おそらく、語るべきことと語るべきでないことがあり、語るべきでないことは語らないのである。語るべきでないことを語る過失については、判断を智慧ある人に委ねるほかない。」

原文翻刻
或問云般若第二未了之敎何能吞三顯之經如來說法一字含五乘之義一念說三藏之法何況一部一品何匱何無龜卦爻蓍含萬象而無盡帝網聲論吞諸義而不窮難者曰若然前來法匠何不吐斯言答聖人投藥隨機深淺賢者說默待時待人吾未知蓋可言不言不言不言不言言之失智人斷而已
句読本文
或問云、般若第二未了之敎、何能吞三顯之經。如來說法、一字含五乘之義、一念說三藏之法。何況一部一品、何匱何無。龜卦爻蓍、含萬象而無盡。帝網聲論、吞諸義而不窮。難者曰、若然、前來法匠何不吐斯言。答、聖人投藥、隨機深淺。賢者說默、待時待人。吾未知。蓋可言不言、不言不言。不言言之失、智人斷而已。
訓読
或るひと問いて云く、般若は第二未了の教なり。何ぞ能く三顕の経を吞まん。如来の説法は、一字に五乗の義を含み、一念に三蔵の法を説く。何に況んや一部一品、何ぞ匱しく何ぞ無からん。亀・卦・爻・蓍は、万象を含みて尽くること無し。帝網・声論は、諸義を吞みて窮まらず。難者曰く、若し然らば、前来の法匠は何ぞこの言を吐かざる。答う、聖人の薬を投ずるは機の深浅に随い、賢者の説黙は時を待ち人を待つ。吾未だ知らず。蓋し言うべきと言うべからざると、言うべからざるは言わず。言うべからざるを言うの失、智人の断ずるのみ。
編纂注
  • 「第二未了」「三顕」は問う側の法相の三時教判に即した語。「三顕」を三乗の顕教とせず、第三時の顕了の教えと読む。覚鑁『秘鍵略註』の当該注による。
  • 「帝網」「声論」は別々の譬え。前者は帝釈天の宝網、後者は帝釈天に由来すると伝えられる言語学。済暹『開門訣』(大正57、33頁中)に両語を分けた説明がある。
  • 「可言不言/不言不言/不言言之失」は底本の反復を維持し、済暹『開門訣』(大正57、33頁下–34頁上)の読みを採る。言うべきことと言うべからざることを区別し、後者を説く過失を智者の判断に委ねる、という構文。
  • 原寸画像で「龜卦爻蓍」と確認した。亀甲・卦・爻・蓍草を挙げる句として訳した。
經題・梵漢の別

HK-006 · 底本 140–141頁 · 校了

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現代語訳

「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」。この題名を考えると、二種類の語がある。梵語と漢語の違いである。いま「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」と呼ぶのは、インドの語の音写と漢語とを交えて挙げたものである。「説」「心」「経」の三文字は漢語の名で、残る九文字はインドの語を写した呼び名である。梵語の名をすべて示すと、底本に掲げる一行の梵字となる。最初の二字は、完全に悟った者を表す名である。次の二字は、秘密の教えの蔵を開いて悟らせ、甘露を与えることを表す呼び名である。次の二字は「大きい」「多い」「すぐれている」という意味を立てる。次の二字は、心の安定と智慧に基づいて名を立てる。次の三字は、なすべきことをすでに成し遂げたという意味で名づける。次の二字は、中央に位置するという意味を表す。次の二字は、糸で貫くこと、収めて保つことといった意味で、その語を明らかにする。全体の意味から説けば、これらにはいずれも「人」「法」「譬え」が備わる。この題名は大般若波羅蜜多菩薩の名であるから、それが「人」である。この菩薩は、法曼荼羅としての真言による三昧の法門を備え、その一字一字が「法」である。そして一つ一つの名は、世間で用いる浅い意味の名によって、法そのものの性質にかかわる深い名を表す。その点が「譬え」である。

原文翻刻
佛說摩訶般若波羅蜜多心經 佛說摩訶般若波羅蜜多心經者就此題額有二別梵漢別故今謂佛說摩訶般若波羅蜜多心經者胡漢雜擧說心經三字漢名餘九字胡號若具梵名曰〔梵字図4〕初二字圓滿覺者之名次二字開悟密藏施甘露之稱次二字就大多勝立義次二字約定慧樹名次三就所作已辨爲號次二據處中表義次二以貫線攝持等顯字若以總義說皆具人法喩斯則大般若波羅蜜多菩薩之名卽是人此菩薩具法曼荼羅眞言三摩地門一一字卽法此一一名皆以世間淺名表法性深號卽是喩
句読本文
佛說摩訶般若波羅蜜多心經。 佛說摩訶般若波羅蜜多心經者、就此題額、有二別。梵漢別故。今謂佛說摩訶般若波羅蜜多心經者、胡漢雜擧。說心經三字漢名、餘九字胡號。若具梵名曰、〔梵字図4〕。初二字、圓滿覺者之名。次二字、開悟密藏施甘露之稱。次二字、就大多勝立義。次二字、約定慧樹名。次三、就所作已辨爲號。次二、據處中表義。次二、以貫線攝持等顯字。若以總義說、皆具人法喩。斯則大般若波羅蜜多菩薩之名、卽是人。此菩薩具法曼荼羅眞言三摩地門、一一字卽法。此一一名、皆以世間淺名表法性深號、卽是喩。
訓読
仏説摩訶般若波羅蜜多心経。仏説摩訶般若波羅蜜多心経とは、この題額に就きて二別有り。梵漢別なるが故なり。今、仏説摩訶般若波羅蜜多心経と謂うは、胡漢雑えて挙ぐ。「説」「心」「経」の三字は漢名、余の九字は胡号なり。若し梵名を具さにせば、〔梵字図4〕と曰う。初めの二字は円満覚者の名、次の二字は密蔵を開悟し甘露を施す称、次の二字は大・多・勝に就きて義を立つ。次の二字は定慧に約して名を樹て、次の三は所作已に辨ずるに就きて号と為す。次の二は処中に拠りて義を表し、次の二は貫線・摂持等を以て字を顕す。若し総義を以て説けば、皆人・法・喩を具す。これは則ち大般若波羅蜜多菩薩の名にして、即ちこれ人なり。この菩薩は法曼荼羅真言三摩地門を具し、一一字は即ち法なり。この一一の名は、皆世間の浅名を以て法性の深号を表す。即ちこれ喩なり。

梵字の原字図

図版は底本の字形です。添えたローマ字は読解用の参照読みで、底本の厳密な翻字とは区別しています。

経題を記した梵字一行(底本原字図)
梵字図4

参照読み:Buddhabhāṣā-mahā-prajñāpāramitā-hṛdaya-sūtraṃ(参照読み)

図版に底本の全梵字を保存した。参照研究注63は別表記buddhābhasa/pramita/hṛda等と標準形の差を指摘する。ここに添えるのは読解用の参照読みであり底本の厳密翻字ではない。

底本画像
編纂注
  • 本文にある梵漢分類・字群の数・語義解釈を訳し、現代の言語学的語源解釈と同一視しない。
  • 「此菩薩具法曼荼羅眞言三摩地門」は、この菩薩が法曼荼羅である真言による三摩地の法門を具える、と読んだ。直後の「一一字卽法」が法を文字と結び付け、前段「大心眞言三摩地法門」とも対応するためである。法曼荼羅・真言・三摩地を無関係な三項目には分けない。
  • 覚鑁『秘鍵略註』の種子字の説明は、各文字を法曼荼羅あるいは法智印とも呼ぶ。これを文脈の補助とし、題名の人・法・喩の三義を保持した。
  • 梵字は底本の原字図を収録し、参照用の読みを別に添えた。ローマ字は底本の厳密な翻字ではない。
異譯と出典

HK-007 · 底本 141頁 · 校了

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現代語訳

この三昧の法門は、仏が鷲峯山において、舎利弗らのために説いたものである。この経は、何度か翻訳されている。第一は鳩摩羅什三蔵の訳であり、いまここで解説する本文がそれに当たる。次は唐の遍覚三蔵の訳である。題名に「仏説摩訶」の四字がなく、「五蘊」の後に「等」を加え、「遠離」の後から「一切」を除いている。また陀羅尼の後に効能の記述がない。次は大周の義浄三蔵の訳で、もとの題名から「摩訶」を省き、真言の後に効能の記述を加えている。さらに、法月三蔵と般若三蔵の訳には、いずれも序の部分と、教えを後に伝える流通の部分がある。また『陀羅尼集経』第三巻にも、この真言の法が説かれており、その経題は羅什の訳と同じである。「般若心」というのは、この菩薩に、身や心などを表す陀羅尼があるためである。この経にある真言は、そのうちの大心呪に当たる。この心真言に由来して「般若心」の名がつく。これに対し、ある人は「大般若経の核心を短く取り出したから『心』と名づけたのであって、別の説法の会座で説かれたものではない」といっている。それは、龍に蛇と似た鱗があるからといって、龍を蛇とみなすような見方である。この経は、全体を五つに分けられる。

原文翻刻
此三摩地門佛在鷲峯山爲鶖子等說之此經數翻譯第一羅什三藏謂今所說本是次唐遍覺三藏翻題無佛說摩訶四字五蘊下加等字遠離下除一切字陀羅尼後無功能次大周義淨三藏本題省摩訶字眞言後加功能又法月及般若兩三藏翻並有序分流通又陀羅尼集經第三卷說此眞言法經題與羅什同言般若心者此菩薩有身心等陀羅尼是經眞言卽大心呪依此心眞言得般若心名或云略出大般若經心要故名心不是別會說云云所謂如有龍之虵鱗此經總有五分
句読本文
此三摩地門、佛在鷲峯山、爲鶖子等說之。此經數翻譯。第一羅什三藏、謂今所說本是。次唐遍覺三藏翻、題無佛說摩訶四字、五蘊下加等字、遠離下除一切字、陀羅尼後無功能。次大周義淨三藏、本題省摩訶字、眞言後加功能。又法月及般若兩三藏翻、並有序分流通。又陀羅尼集經第三卷說此眞言法、經題與羅什同。言般若心者、此菩薩有身心等陀羅尼。是經眞言卽大心呪。依此心眞言得般若心名。或云、略出大般若經心要故名心、不是別會說、云云。所謂如有龍之虵鱗。此經總有五分。
訓読
この三摩地門は、仏、鷲峯山に在りて、鶖子等の為にこれを説く。この経は数たび翻訳せらる。第一は羅什三蔵、謂く今説く所の本これなり。次に唐の遍覚三蔵翻ず。題に「仏説摩訶」の四字無く、「五蘊」の下に「等」の字を加え、「遠離」の下に「一切」の字を除き、陀羅尼の後に功能無し。次に大周の義浄三蔵、本題に「摩訶」の字を省き、真言の後に功能を加う。また法月及び般若の両三蔵の翻には、並びに序分・流通有り。また陀羅尼集経の第三巻に、この真言の法を説く。経題は羅什と同じ。「般若心」と言うは、この菩薩に身・心等の陀羅尼有り。この経の真言は即ち大心呪なり。この心真言に依りて、般若心の名を得。或いは云く、大般若経の心要を略出するが故に心と名づく、これ別会の説にあらず、と云云。いわゆる龍の虵鱗を有するがごとし。この経は総じて五分有り。
編纂注
  • 鶖子を舎利弗、羅什を鳩摩羅什と補った。遍覚は玄奘の尊称だが訳文では本文表記を保持した。
  • 翻訳者への帰属、説法の場所、独立した説法としての成立は、空海本文の説明として訳した。現代書誌学に基づく事実確定ではない。
  • 龍と蛇の譬えは、文章の共通性だけで両経を同一視することへの批判として読んだ。杲宝『宝冊鈔』(大正77、815頁上)に「龍有蛇之鱗。龍名不可云蛇」と説明される。
五分の科判

HK-008 · 底本 141–142頁 · 校了

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現代語訳

第一の「人法総通分」は、「観自在」から「度一切苦厄」までである。第二の「分別諸乗分」は、「色不異空」から「無所得故」までである。第三の「行人得益分」は、「菩提薩埵」から「三藐三菩提」までである。第四の「総帰持明分」は、「故知般若」から「真実不虚」までである。第五の「秘蔵真言分」は、〔梵字図5〕から〔梵字図6〕までである。

第一の人法総通分には、因・行・証・入・時の五つがある。「観自在」という語は、修行を行う人を指す。その人にもともと備わる覚りである本覚菩提を「因」とする。「深般若」は、観察する智慧と観察される対象の法を示し、これが「行」である。空を照らし見ることは、覚りを証する智慧、すなわち「証」である。苦を超えることは、得られる成果であり、その成果が「入」である。その教えによれば、人と智慧は無数にあり、智慧の違いに応じて、修行に要する時も多様である。三生、三劫、六十劫、百劫など、教えに応じた修行の期間がある。また、妄執の違いを「時」と捉えるのである。

詩にいう。

観察する人は智慧を修め、五つの集まりである五蘊が空であることを深く照らし見る。

幾劫もの時を経て観念を修める者は、煩いを離れ、一つの心に通達する。

原文翻刻
第一人法總通分觀自在至度一切苦厄是第二分別諸乘分色不異空至無所得故是第三行人得益分菩提薩埵至三藐三菩提是也第四總歸持明分故知般若至眞實不虛是也第五秘藏眞言分〔梵字図5〕至〔梵字図6〕是也第一人法總通分有五因行證入時是也言觀自在能行人卽此人本覺菩提爲因深般若能所觀法卽是行照空則能證智度苦則所得果果卽入也依彼敎人智無量依智差別時亦多三生三劫六十百妄執差別是名時頌曰 觀人修智慧 深照五衆空 歷劫修念者 離煩一心通
句読本文
第一人法總通分、觀自在至度一切苦厄是。第二分別諸乘分、色不異空至無所得故是。第三行人得益分、菩提薩埵至三藐三菩提是也。第四總歸持明分、故知般若至眞實不虛是也。第五秘藏眞言分、〔梵字図5〕至〔梵字図6〕是也。 第一人法總通分有五。因、行、證、入、時是也。言觀自在、能行人。卽此人本覺菩提爲因。深般若、能所觀法、卽是行。照空則能證智。度苦則所得果。果卽入也。依彼敎、人智無量。依智差別、時亦多。三生、三劫、六十、百、妄執差別、是名時。頌曰、 觀人修智慧、深照五衆空。 歷劫修念者、離煩一心通。
訓読
第一、人法総通分は、「観自在」より「度一切苦厄」に至る、これなり。第二、分別諸乗分は、「色不異空」より「無所得故」に至る、これなり。第三、行人得益分は、「菩提薩埵」より「三藐三菩提」に至る、これなり。第四、総帰持明分は、「故知般若」より「真実不虚」に至る、これなり。第五、秘蔵真言分は、〔梵字図5〕より〔梵字図6〕に至る、これなり。 第一の人法総通分に五あり。因・行・証・入・時、これなり。「観自在」と言うは、能行の人なり。すなわちこの人の本覚菩提を因となす。「深般若」は能所観の法、すなわちこれ行なり。空を照らすは、すなわち能証の智なり。苦を度するは、すなわち所得の果なり。果はすなわち入なり。かの教に依るに、人と智とは無量なり。智の差別に依りて、時もまた多し。三生・三劫・六十・百、妄執の差別、これを時と名づく。頌に曰く、 観ずる人、智慧を修し、深く五衆の空を照らす。 劫を歴て修念する者は、煩いを離れて一心に通ず。

梵字の原字図

図版は底本の字形です。添えたローマ字は読解用の参照読みで、底本の厳密な翻字とは区別しています。

第五分の始まりを示す四字(底本原字図)
梵字図5

参照読み:gate gate

揭帝揭帝。原字と印刷上の訓点を図版に保存する。

底本画像
第五分の終わりを示す二字(底本原字図)
梵字図6

参照読み:svāhā

娑婆訶に対応する参照読み。

底本画像
編纂注
  • 五つの区分・因行証入時の五項は底本に従う。
  • 「三生・三劫・六十・百」は期間の列挙と読み、六十と百には「劫」を補って訳した。覚鑁『秘鍵略註』(大正57、15頁下)は三生を華厳、三劫を三阿僧祇劫、六十を声聞、百を縁覚の時劫とし、続く妄執を別項として釈す。
  • 劫には年月による期間のほか、妄執の段階としての密教的解釈があるため、妄執の差別も「時」と呼ぶという趣旨を訳に残した。
  • 梵字は底本の原字図を収録し、参照用の読みを別に添えた。ローマ字は底本の厳密な翻字ではない。
第二分・建立如來

HK-009 · 底本 142頁 · 校了

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現代語訳

第二の分別諸乗分も、建・絶・相・二・一の五つに分かれる。最初の「建」は、建立如来の三摩地の門である。「色不異空」から「亦復如是」までがこれに当たる。建立如来とは、普賢菩薩の秘密の名である。普賢の完全な因の境地では、三つの法が互いに妨げ合わず一体となることを根本の趣旨とするため、このように名づける。また普賢は、すべての如来の、覚りを求める心と、実践しようとする誓願とを体現する身である。

詩にいう。

色と空は、もともと二つに分かれず、個々の現象とその真理も、本来は同じである。

三種は妨げなく融け合い、金と水をたとえとして、その根本の趣旨が示される。

原文翻刻
第二分別諸乘分亦五建絕相二一是也初建者所謂建立如來三摩地門是色不異空至亦復如是是也建立如來卽普賢菩薩秘號普賢圓因以圓融三法爲宗故以名之又是一切如來菩提心行願之身頌曰 色空本不二 事理元來同 無礙融三種 金水喩其宗
句読本文
第二分別諸乘分亦五。建、絕、相、二、一是也。初建者、所謂建立如來三摩地門是。色不異空至亦復如是是也。建立如來、卽普賢菩薩秘號。普賢圓因、以圓融三法爲宗、故以名之。又是一切如來菩提心行願之身。頌曰、 色空本不二、事理元來同。 無礙融三種、金水喩其宗。
訓読
第二の分別諸乗分もまた五なり。建・絶・相・二・一、これなり。初めの建とは、いわゆる建立如来三摩地門、これなり。「色不異空」より「亦復如是」に至る、これなり。建立如来は、すなわち普賢菩薩の秘号なり。普賢の円因は、円融の三法を宗となすがゆえに、もってこれを名づく。またこれ、一切如来の菩提心・行願の身なり。頌に曰く、 色と空とは本より不二、事と理とは元来同じ。 無礙に三種を融じ、金と水とはその宗を喩う。
編纂注
  • 三法・三種の具体的な内訳および金・水の比喩の詳細は、この区分の原文には列挙されないため、訳文では補っていない。
第二分・無戲論如來

HK-010 · 底本 142–143頁 · 校了

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現代語訳

第二の「絶」は、無戯論如来の三摩地の門である。「是諸法空相」から「不増不減」までがこれに当たる。無戯論如来という名は、文殊菩薩の秘密の名である。文殊の鋭い剣は、八つの否定である「八不」を自在に働かせ、誤った執着の心を断ち切るではないか。そのため、この名がある。

詩にいう。

八不は、実を離れたさまざまな議論を断ち切る。文殊こそ、それを行う人である。

独空は、究極の真理であり、その意味と働きは、きわめて奥深く真実である。

原文翻刻
二絕者所謂無戲論如來三摩地門是也是諸法空相至不增不減是言無戲論如來卽文殊菩薩密號文殊利劒能揮八不絕彼妄執之心乎是故以名頌曰 八不絕諸戲 文殊是彼人 獨空畢竟理 義用最幽眞
句読本文
二絕者、所謂無戲論如來三摩地門是也。是諸法空相至不增不減是。言無戲論如來、卽文殊菩薩密號。文殊利劒、能揮八不、絕彼妄執之心乎。是故以名。頌曰、 八不絕諸戲、文殊是彼人。 獨空畢竟理、義用最幽眞。
訓読
二の絶とは、いわゆる無戯論如来三摩地門、これなり。「是諸法空相」より「不増不減」に至る、これなり。無戯論如来と言うは、すなわち文殊菩薩の密号なり。文殊の利剣、よく八不を揮い、かの妄執の心を絶つか。このゆえにもって名づく。頌に曰く、 八不は諸戯を絶つ。文殊はこれ、かの人なり。 独空は畢竟の理、義用は最も幽真なり。
編纂注
  • 八不は、原文では八項目を列挙していない。独空はこの著作の術語として保持し、単なる「何も存在しない」という意味に置き換えていない。
第二分・彌勒菩薩

HK-011 · 底本 143頁 · 校了

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現代語訳

第三の「相」は、摩訶梅多羅冒地薩怛嚩、すなわち弥勒菩薩の三摩地の門である。「是故空中無色」から「無意識界」までがこれに当たる。大いなる慈しみの三昧は、安楽を与えることを根本の趣旨とする。原因と結果を示して理解を促し、現れと本性とを分けて論じる。認識だけがあると説き、認識の外に独立した対象があるという捉え方を退ける。その心は、まさにここにあるのではないか。

詩にいう。

人と法についての二つの我への執着は、いつ断たれるのか。三阿僧祇劫を経て法身を証する。

阿陀、すなわち阿陀那識が識の本性であり、幻のような影は、客と呼ばれる。

原文翻刻
三相者所謂摩訶梅多羅冒地薩怛嚩三摩地門是也是故空中無色至無意識界是也大慈三昧以與樂爲宗示因果爲識相性別論唯識遮境心只在此乎頌曰 二我何時斷 三祇證法身 阿陀是識性 幻影卽名賓
句読本文
三相者、所謂摩訶梅多羅冒地薩怛嚩三摩地門是也。是故空中無色至無意識界是也。大慈三昧、以與樂爲宗。示因果爲識。相性別論。唯識遮境。心只在此乎。頌曰、 二我何時斷、三祇證法身。 阿陀是識性、幻影卽名賓。
訓読
三の相とは、いわゆる摩訶梅多羅冒地薩怛嚩三摩地門、これなり。「是故空中無色」より「無意識界」に至る、これなり。大慈三昧は、楽を与うるをもって宗となす。因果を示すは識らしめんが為なり。相と性とを別に論ず。唯識もて境を遮す。心はただここに在るか。頌に曰く、 二我は何の時にか断ずる。三祇に法身を証す。 阿陀はこれ識の性、幻影はすなわち賓と名づく。
編纂注
  • 底本の「示因果爲識」の「識」は原寸画像で確認した字形を保持する。「爲識」を、知ることを促すためという目的の表現と読み、前の「示因果」に係けた独自読解である。
  • 「相性別論」「唯識遮境」を各々一まとまりに切り、現れと本性を別々に論じ、唯識によって外に独立する対象を退ける、と読む。Dreitleinの掲げる本文は「爲誡」だが、本訳の原文欄をその字に改めてはいない。
  • 二我は人我・法我、三祇は三阿僧祇劫、阿陀は阿陀那識として説明した。
第二分・唯蘊無我

HK-012 · 底本 143頁 · 校了

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現代語訳

第四の「二」は、「ただ五蘊があって我はない」と観ずることと、「業の原因となる種を抜き去る」ことである。これが二乗の三摩地の門である。「無無明」から「無老死尽」までは、因縁を観察して覚る仏の三昧に当たる。

詩にいう。

風に動く葉から因縁を知り、輪廻から目覚めるには、どれほどの年月を要するのだろうか。

露や花から、迷いを生む種を取り除く。羊と鹿という二つの名は、互いに連なっている。

「無苦集滅道」は、一句五字であり、教えの声によって道を得る三昧である。

詩にいう。

白骨を見れば、我はどこにあるのか。青黒く変色した遺体を見れば、実体としての人は、もともと存在しない。

私の師となるのは四念処である。阿羅漢もまた、実体としてどこにあるというのか。

原文翻刻
四二者唯蘊無我拔業因種是也是卽二乘三摩地門也無無明至無老死盡卽是因緣佛之三昧頌曰 風葉知因緣 輪迴覺幾年 露花除種子 羊鹿號相連 無苦集滅道此是一句五字卽依聲得道之三昧頌曰 白骨我何在 靑瘀人本無 吾師是四念 羅漢亦何處
句読本文
四二者、唯蘊無我、拔業因種是也。是卽二乘三摩地門也。無無明至無老死盡、卽是因緣佛之三昧。頌曰、 風葉知因緣、輪迴覺幾年。 露花除種子、羊鹿號相連。 無苦集滅道、此是一句五字、卽依聲得道之三昧。頌曰、 白骨我何在、靑瘀人本無。 吾師是四念、羅漢亦何處。
訓読
四の二とは、唯蘊無我・抜業因種、これなり。これすなわち二乗三摩地門なり。「無無明」より「無老死尽」に至るは、すなわちこれ因縁仏の三昧なり。頌に曰く、 風葉に因縁を知り、輪迴、幾年にか覚る。 露花に種子を除き、羊鹿の号は相連なる。 「無苦集滅道」、これはこれ一句五字、すなわち声に依りて道を得る三昧なり。頌に曰く、 白骨に我いずくにか在る。青瘀に人本より無し。 吾が師はこれ四念、羅漢もまた何れの処ぞ。
編纂注
  • 二乗は声聞・縁覚をいう。唯蘊無我と抜業因種は二つの立場を示す語として訳した。
  • 羊・鹿は二乗に関わる比喩として保持した。「白骨」「青瘀」は身体の不浄・無我を観ずる文脈であり、訳文の「遺体」は青瘀の対象を補ったもの。「実体として」は無我を述べる文脈を明確にする訳補。
  • 「輪迴覺幾年」は「輪迴、幾年にか覚る」と訓み、覚りまでに要する期間を問う句とした。前段「二我何時断」とも対応する。Dreitlein(高野山大学密教文化研究所紀要24、30頁)および小淵尊史『秘蔵宝鑰』研究の当該頌の訓読とも整合する。
第二分・一道清淨

HK-013 · 底本 143–144頁 · 校了

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現代語訳

第五の「一」は、阿哩也嚩路枳帝胃地薩怛嚩、すなわち聖観自在菩薩の三摩地の門である。「無智」から「無所得故」までがこれに当たる。この得自性清浄如来は、一つの道が清浄であることと、妙なる蓮が汚れに染まらないこととを、生きとし生けるものに開き示し、その苦しみと災厄を取り除く。「智」は到達する側の智慧を挙げ、「得」は証し得られる境地を指す。すでに真理と智慧の区別が消えるので、あえて「一」と名づける。『法華経』『涅槃経』等の、枝末をまとめて根本へ帰す教えは、この十字のうちに含まれている。諸々の乗の違いは、智慧ある者がよく考察すべきである。

詩にいう。

蓮を観察して、自分の本性の清らかさを知り、その実を見て、心に備わる徳に気づく。

一つの道において、働きかける側とその対象との区別は消え、三つの車も、言葉を離れた静けさへ帰る。

原文翻刻
五一者阿哩也嚩路枳帝胃地薩怛嚩之三摩地門也無智至無所得故是也此得自性淸淨如來以一道淸淨妙蓮不染開示衆生拔其苦厄智擧能達得名所證旣泯理智强以一名法華涅槃等攝末歸本敎唯含此十字諸乘差別智者察之頌曰 觀蓮知自淨 見菓覺心德 一道泯能所 三車卽歸默
句読本文
五一者、阿哩也嚩路枳帝胃地薩怛嚩之三摩地門也。無智至無所得故是也。此得自性淸淨如來、以一道淸淨、妙蓮不染、開示衆生、拔其苦厄。智擧能達、得名所證。旣泯理智、强以一名。法華涅槃等攝末歸本敎、唯含此十字。諸乘差別、智者察之。頌曰、 觀蓮知自淨、見菓覺心德。 一道泯能所、三車卽歸默。
訓読
五の一とは、阿哩也嚩路枳帝胃地薩怛嚩の三摩地門なり。「無智」より「無所得故」に至る、これなり。この得自性清浄如来は、一道清浄・妙蓮不染をもって衆生に開示し、その苦厄を抜く。智は能達を挙げ、得は所証を名づく。すでに理智を泯ずれば、強いて一をもって名づく。法華・涅槃等の摂末帰本の教は、ただこの十字に含む。諸乗の差別は、智者これを察せよ。頌に曰く、 蓮を観て自らの浄きを知り、菓を見て心の徳を覚る。 一道は能所を泯じ、三車はすなわち黙に帰す。
編纂注
  • 「無智」から「無所得故」までの十字は「無智亦無得以無所得故」を指すものとして読解した。
  • 阿哩也嚩路枳帝胃地薩怛嚩は、聖観自在菩薩の音写として訳した。三車は『法華経』の羊車・鹿車・牛車の比喩に関わる語だが、この区分の原文では内訳を列挙していない。
第三分・行人得益

HK-014 · 底本 144頁 · 校了

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現代語訳

第三の行人得益分には、「人」と「法」の二つがある。まず人には七種がある。前の六種と後の一種であり、乗の違いに応じて、薩埵にも違いがあるからである。また薩埵には、愚・識・金・智の四種がある。次に法にも四つがある。因・行・証・入である。般若は、因となり、実践となるものである。心のとらわれがなく、妨げを離れることは、涅槃に入ることである。覚りの智慧を証し得ることは、成果を証することである。経文に即して考え、理解すべきである。

詩にいう。

修行する人の数は七、その法は二を重ねた四である。

円寂と菩提があり、正報と依報には、いったい何の不足があろうか。

原文翻刻
第三行人得益分有二人法是也初人有七前六後一隨乘差別薩埵有異故又薩埵有四愚識金智是也次又法四謂因行證入也般若卽能因能行無罣離障卽入涅槃能證覺智卽證果如文思知頌曰 行人數是七 重二彼之法 圓寂將菩提 正依何事乏
句読本文
第三行人得益分有二。人、法是也。初人有七。前六後一、隨乘差別、薩埵有異故。又薩埵有四。愚、識、金、智是也。次又法四。謂因、行、證、入也。般若卽能因能行。無罣離障卽入涅槃。能證覺智卽證果。如文思知。頌曰、 行人數是七、重二彼之法。 圓寂將菩提、正依何事乏。
訓読
第三の行人得益分に二あり。人・法、これなり。初めの人に七あり。前六・後一、乗の差別に随いて薩埵に異なりあるがゆえなり。また薩埵に四あり。愚・識・金・智、これなり。次にまた法に四あり。いわく因・行・証・入なり。般若はすなわち能因・能行なり。罣り無く障りを離るるは、すなわち涅槃に入るなり。よく覚智を証するは、すなわち証果なり。文のごとく思いて知れ。頌に曰く、 行人の数はこれ七、その法は二を重ぬ。 円寂と菩提と、正依何事か乏しき。
編纂注
  • 人の七種、薩埵の四種、因行証入の四項を原文どおり保持した。
  • 「能證覺智」は「よく覚智を証す」と訓む。覚鑁『秘鍵略註』(大正57、17頁中)は「能證」を経の三世から得まで、「覺智」を阿耨から菩提までに配当する。現訳は証するはたらきと覚りの智慧を区別する。
  • 「正依」は正報・依報の略。『秘鍵略註』は依を仏の住む浄土など、正をそこに住む仏身などと説明する。
第四分・總歸持明

HK-015 · 底本 144–145頁 · 校了

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現代語訳

第四の総帰持明分も、「名」「体」「用」の三つに分かれる。四種の呪と明を述べるところは名称を挙げ、「真実不虚」はその本体を指し、「能除諸苦」はその働きを示す。名称を挙げる部分では、第一の「是大神呪」は声聞の真言、第二は縁覚の真言、第三は大乗の真言、第四は秘蔵の真言である。ただし、共通する意味からいえば、一つ一つの真言が、いずれも四つの名を備えている。ここでは、その一面を略して示した。円満な智慧を持つ人なら、残る三つの隅についても、この一つに即して理解できる。

詩にいう。

総持には、文と義とがあり、忍と呪も、すべて持明である。

音声と文字、人と法、その真実のあり方は、こうした名を備えている。

原文翻刻
第四總歸持明分又三名體用四種呪明擧名眞實不虛指體能除諸苦顯用擧名中初是大神呪聲聞眞言二緣覺眞言三大乘眞言四秘藏眞言若以通義一一眞言皆具四名略示一隅圓智之人三卽歸一頌曰 總持有文義 忍呪悉持明 聲字與人法 實相具此名
句読本文
第四總歸持明分又三。名、體、用。四種呪明、擧名。眞實不虛、指體。能除諸苦、顯用。擧名中、初是大神呪、聲聞眞言。二緣覺眞言。三大乘眞言。四秘藏眞言。若以通義、一一眞言皆具四名。略示一隅。圓智之人、三卽歸一。頌曰、 總持有文義、忍呪悉持明。 聲字與人法、實相具此名。
訓読
第四の総帰持明分もまた三なり。名・体・用なり。四種の呪明は名を挙げ、「真実不虚」は体を指し、「能除諸苦」は用を顕す。名を挙ぐる中、初めの「是大神呪」は声聞の真言なり。二は縁覚の真言、三は大乗の真言、四は秘蔵の真言なり。もし通義をもってすれば、一一の真言はみな四名を具す。略して一隅を示す。円智の人は、三すなわち一に帰す。頌に曰く、 総持に文と義とあり、忍と呪とはことごとく持明なり。 声字と人法と、実相はこの名を具す。
編纂注
  • 四つの呪明の経文上の名称は大神呪・大明呪・無上呪・無等等呪。本段の原文は第一だけを明記するため、第二以下の経文名は編纂注に留めた。
  • 文・義・忍・呪は、陀羅尼(総持)の分類を踏まえた表現。「忍」は単なる忍耐に狭めず、理解を確かに受け止める仏教術語として保持した。
  • 「一隅」「三即帰一」は『論語』述而篇の、一隅から他の三隅を推し知る譬えを踏まえると読み、三つの教えを一つにまとめるという説明を補わない。
第五分・秘藏眞言

HK-016 · 底本 145頁 · 校了

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現代語訳

第五の秘蔵真言分には、五つの部分がある。第一の〔梵字図7〕は、声聞の実践と成果を表す。第二の〔梵字図8〕は、縁覚の実践と成果を示す。第三の〔梵字図9〕は、諸々の大乗の、もっとも優れた実践と成果を指す。第四の〔梵字図10〕は、真言の曼荼羅において、すべてが備わって円満である実践と成果を明らかにする。第五の〔梵字図11〕は、ここまで挙げた諸々の乗が、究極の覚りを証してそこへ入る、という意味を説く。句ごとの意味は以上のとおりである。もし文字の表面的な意味である字相や、深い意味である字義などに即して解釈するなら、人や法等について無量の意味があり、幾劫を費やしても説き尽くすことは難しい。それを聞きたいなら、法に従って、さらに問いなさい。

詩にいう。

真言は思慮を超えたものであり、観想し、唱えれば、無明が取り除かれる。

一つの文字に千の道理が含まれ、この身のままで、法のありのままの真実を証する。

進みに進んで円寂に至り、行きに行って、もとの始まりへ入る。

三界は旅の宿のようなものであり、一つの心こそ、本来の住まいである。

原文翻刻
第五秘藏眞言分有五初〔梵字図7〕顯聲聞行果二〔梵字図8〕擧緣覺行果三〔梵字図9〕指諸大乘最勝行果四〔梵字図10〕明眞言曼荼羅具足輪圓行果五〔梵字図11〕說上諸乘究竟菩提證入義句義如是若約字相義等釋之有無量人法等義歷劫難盡若要聞者依法更問頌曰 眞言不思議 觀誦無明除 一字含千理 卽身證法如 行行至圓寂 去去入原初 三界如客舍 一心是本居
句読本文
第五秘藏眞言分有五。初〔梵字図7〕顯聲聞行果。二〔梵字図8〕擧緣覺行果。三〔梵字図9〕指諸大乘最勝行果。四〔梵字図10〕明眞言曼荼羅具足輪圓行果。五〔梵字図11〕說上諸乘究竟菩提證入義。句義如是。若約字相義等釋之、有無量人法等義、歷劫難盡。若要聞者、依法更問。頌曰、 眞言不思議、觀誦無明除。 一字含千理、卽身證法如。 行行至圓寂、去去入原初。 三界如客舍、一心是本居。
訓読
第五の秘蔵真言分に五あり。初めの〔梵字図7〕は声聞の行果を顕す。二の〔梵字図8〕は縁覚の行果を挙ぐ。三の〔梵字図9〕は諸大乗の最勝の行果を指す。四の〔梵字図10〕は真言曼荼羅の具足輪円の行果を明かす。五の〔梵字図11〕は、上の諸乗の究竟菩提に証入する義を説く。句義はかくのごとし。もし字相・義等に約してこれを釈せば、無量の人法等の義あり、劫を歴とも尽くし難し。もし聞かんことを要せば、法に依りてさらに問え。頌に曰く、 真言は不思議なり、観誦すれば無明除かる。 一字に千理を含み、即身に法如を証す。 行き行きて円寂に至り、去り去りて原初に入る。 三界は客舎のごとし、一心はこれ本居なり。

梵字の原字図

図版は底本の字形です。添えたローマ字は読解用の参照読みで、底本の厳密な翻字とは区別しています。

第一の揭帝を示す二字(底本原字図)
梵字図7

参照読み:gate

声聞の行果に配当される箇所。

底本画像
第二の揭帝を示す二字(底本原字図)
梵字図8

参照読み:gate

縁覚の行果に配当される箇所。

底本画像
諸大乗の行果に配当される梵字(底本原字図)
梵字図9

参照読み:pāragate(参照読み)

底本はpragate型である。標準的な参照読みに合わせて梵字図を改めない。

底本画像
真言曼荼羅の行果に配当される梵字(底本原字図)
梵字図10

参照読み:pārasaṃgate(参照読み)

底本はprasugate型である。標準的な参照読みに合わせて梵字図を改めない。

底本画像
究竟菩提への証入を示す梵字(底本原字図)
梵字図11

参照読み:bodhi svāhā

菩提娑婆訶に対応する参照読み。

底本画像
編纂注
  • ここでの五分の意味づけは著者の解釈であり、梵語そのものの逐語訳ではない。
  • 「字相義等」は密教の字相・字義等の解釈法として読む。覚鑁『秘鍵略註』は淺略深祕・字相字義などを十六門として列挙する。字相は文字の見た目だけを指す語としては訳さない。
  • 梵字は底本の原字図を収録し、参照用の読みを別に添えた。ローマ字は底本の厳密な翻字ではない。
眞言を釋することへの問答

HK-017 · 底本 145–146頁 · 校了

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現代語訳

問い。陀羅尼は如来の秘密の言葉である。そのため、昔の三蔵や諸々の注釈家は、みな口を閉じ、筆を置いて説明しなかった。今、この解釈を作ることは、聖なる教えの趣旨に深く背くのではないか。

答え。如来の説法には二種ある。第一が顕、第二が秘である。顕教を受ける能力を持つ者には多くの名称と句を説き、密教を受ける根機を持つ者には総持の文字を説く。そのため、如来みずから、〔梵字図12〕字や〔梵字図13〕字等のさまざまな意味を説いた。これは密教を受ける能力を持つ者のために説いたのである。龍猛・無畏・広智等も、その意味を説いている。説くことができるか否かは、教えと、それを受ける者の能力とによるだけである。説くことも、黙することも、ともに仏の意にかなう。

問い。顕教と密教の二つは、その趣旨が天ほどにかけ離れている。今、この顕教の経典の中に秘密の意味を説くのは、適切ではないのではないか。

答え。すぐれた医師の目には、道で触れるものがすべて薬となる。宝を見分ける人は、鉱石の中に宝を見る。知ることと知らないこと、その過ちは、いったい誰にあるのか。また、この尊の真言・儀軌・観法を、仏は『金剛頂』の中で説いている。これは秘密の中でも、もっとも奥深い秘密である。人々に応じて姿を現した釈迦が、給孤園で、菩薩・天人のために画像・壇の作法・真言・手印等を説いたのも、秘密の教えである。『陀羅尼集経』第三巻がそれである。顕と密の違いは人にあり、音声や文字そのものにあるのではない。そのうえでなお、顕教の中の秘密、秘密の中のもっとも深い秘密というように、浅深が重なり合っているのである。

原文翻刻
問陀羅尼是如來秘密語所以古三藏諸疏家皆閉口絕筆今作此釋深背聖旨如來說法有二種一顯二秘爲顯機說多名句爲秘根說總持字是故如來自說〔梵字図12〕字〔梵字図13〕字等種種義是則爲秘機作此說龍猛無畏廣智等亦說其義能不之間在敎機耳說之默之並契佛意問顯密二敎其旨天懸今此顯經中說秘義不可醫王之目觸途皆藥解寶之人礦石見寶知與不知何誰罪過又此尊眞言儀軌觀法佛金剛頂中說此秘中極秘應化釋迦在給孤園爲菩薩天人說畫像壇法眞言手印等亦是秘密陀羅尼集經第三卷是顯密在人聲字卽非然猶顯中之秘秘中極秘淺深重疊耳
句読本文
問、陀羅尼是如來秘密語。所以古三藏諸疏家、皆閉口絕筆。今作此釋、深背聖旨。 如來說法有二種。一顯、二秘。爲顯機說多名句、爲秘根說總持字。是故如來自說〔梵字図12〕字〔梵字図13〕字等種種義。是則爲秘機作此說。龍猛、無畏、廣智等亦說其義。能不之間、在敎機耳。說之默之、並契佛意。 問、顯密二敎、其旨天懸。今此顯經中說秘義、不可。 醫王之目、觸途皆藥。解寶之人、礦石見寶。知與不知、何誰罪過。又此尊眞言儀軌觀法、佛金剛頂中說。此秘中極秘。應化釋迦在給孤園、爲菩薩天人說畫像壇法眞言手印等、亦是秘密。陀羅尼集經第三卷是。顯密在人、聲字卽非。然猶顯中之秘、秘中極秘、淺深重疊耳。
訓読
問う、陀羅尼はこれ如来の秘密の語なり。このゆえに、古の三蔵・諸疏家、みな口を閉じ筆を絶つ。今この釈を作るは、深く聖旨に背く。 如来の説法に二種あり。一は顕、二は秘なり。顕機のためには多くの名句を説き、秘根のためには総持の字を説く。このゆえに如来みずから、〔梵字図12〕字・〔梵字図13〕字等の種々の義を説く。これすなわち秘機のためにこの説をなすなり。龍猛・無畏・広智等もまたその義を説く。能不の間は、教機に在るのみ。これを説き、これを黙する、並びに仏意に契う。 問う、顕密二教は、その旨、天懸なり。今この顕経の中に秘義を説くは、不可なり。 医王の目には、途に触れてみな薬なり。宝を解する人は、礦石に宝を見る。知ると知らざると、いずれ誰の罪過ぞ。またこの尊の真言・儀軌・観法は、仏、金剛頂の中に説く。これ秘中の極秘なり。応化の釈迦、給孤園に在りて、菩薩・天人のために画像・壇法・真言・手印等を説くも、またこれ秘密なり。『陀羅尼集経』第三巻、これなり。顕密は人に在り、声字はすなわち非なり。しかもなお、顕中の秘、秘中の極秘、浅深重畳するのみ。

梵字の原字図

図版は底本の字形です。添えたローマ字は読解用の参照読みで、底本の厳密な翻字とは区別しています。

如来自説の字義例・阿字(底本原字図)
梵字図12

参照読み:a

阿字。図版は底本の印刷字形を保存する。

底本画像
如来自説の字義例・嚩字(底本原字図)
梵字図13

参照読み:va

嚩字。図版は底本の印刷字形を保存する。

底本画像
編纂注
  • 原文には「問」が二か所あり、応答の内容は続くが「答」の字はない。現代語訳だけに、発言の区別を明確にする「答え」を補った。
  • 「能不」は説くことの可否として読解。「此尊」は本書の本尊を指す文脈だが、ここでは固有名を断定補入せず「この尊」を保持した。
  • 三蔵は経・律・論に通じた僧への称号としての用法。引用される経典の所在は原文の主張として訳し、経典側との内容照合を済ませたという意味ではない。
  • 梵字は底本の原字図を収録し、参照用の読みを別に添えた。ローマ字は底本の厳密な翻字ではない。
結偈・尾題

HK-018 · 底本 146頁 · 校了

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現代語訳

私は秘密の真言の意味に基づき、『般若心経』の五つの区分を手短に讃えた。一字一文は法界のすべてに及び、終わりも始まりもない、私自身の心のあり方を表している。目を覆われた衆生は、盲いたようにそれを見ることができないが、文殊の般若の智慧は、もつれを解くことができる。この甘露を注いで迷う者を潤し、ともに無明を断ち、悟りを妨げる魔の軍勢を打ち破ろう。

以上、『般若心経秘鍵』。

原文翻刻
我依秘密眞言義 略讚心經五分文 一字一文遍法界 無終無始我心分 翳眼衆生盲不見 曼儒般若能解紛 灑斯甘露霑迷者 同斷無明破魔軍 般若心經秘鍵
句読本文
我依秘密眞言義、略讚心經五分文。一字一文遍法界、無終無始我心分。翳眼衆生盲不見、曼儒般若能解紛。灑斯甘露霑迷者、同斷無明破魔軍。 般若心經秘鍵
訓読
我、秘密真言の義に依り、略して心経五分の文を讃ず。一字一文、法界に遍じ、無終無始、我が心の分なり。翳眼の衆生は盲いて見ず、曼儒般若は能く紛を解く。斯の甘露を灑ぎて迷者を霑し、同じく無明を断ち、魔軍を破らん。 般若心経秘鍵。
編纂注
  • 「曼儒般若」は「文殊の般若の智慧」と読む。覚鑁『秘鍵略註』(大正57、18頁中)は「文殊の般若」「文殊と般若」「文殊即般若」という三系統の解釈を列挙し、第一系統に文殊の智慧という読みを明記する。本訳はその読みを採用した。
  • 底本146頁の「曼儒」を原寸画像で確認した。

付載の上表

附載上表

HK-019 · 底本 147頁 · 校了

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現代語訳

その時、弘仁九年の春、天下に大きな疫病が流行した。そこで天皇は御自ら筆の先に金を含ませ、紺色の紙を御手にお持ちになり、『般若心経』一巻を書写してお供えになった。私はその講読を担当し、経の趣旨の根本を文章にまとめた。結願の言葉をまだ口にしないうちに、生き返った者が道に群れ集まり、夜が変わって、日の光が明々と輝いた。

これは私のような愚かな者の戒律を守る徳によるものではなく、天皇の御信仰の力がもたらしたものである。ただ、神の社に参る者たちは、この『秘鍵』をお唱え申し上げよ。かつて私は霊鷲山での説法の席に列し、この深い教えを直接聞いた。どうしてその意味に通じていないことがあろうか。

唐に渡った沙門、空海が上表する。

原文翻刻
于時弘仁九年春天下大疫爰帝皇自染黃金於筆端握紺紙於爪掌奉書寫般若心經一卷予範講讀之撰綴經旨之宗未吐結願詞蘇生族于途夜變而日光赫赫是非愚身戒德金輪御信力所爲也但詣神舍輩奉誦此秘鍵昔予陪鷲峯說法之筵親聞是深文豈不達其義而已 入唐沙門空海上表
句読本文
于時弘仁九年春、天下大疫。爰帝皇自染黃金於筆端、握紺紙於爪掌、奉書寫般若心經一卷。予範講讀之撰、綴經旨之宗。未吐結願詞、蘇生族于途、夜變而日光赫赫。是非愚身戒德、金輪御信力所爲也。但詣神舍輩、奉誦此秘鍵。昔予陪鷲峯說法之筵、親聞是深文、豈不達其義而已。 入唐沙門空海上表
訓読
時に弘仁九年の春、天下大いに疫す。爰に帝皇、自ら黄金を筆端に染め、紺紙を爪掌に握り、般若心経一巻を書写し奉る。予、講読の撰に範りて、経旨の宗を綴る。未だ結願の詞を吐かざるに、蘇生、途に族まり、夜変じて日光赫赫たり。是れ愚身の戒徳に非ず、金輪の御信力の為す所なり。但だ神舍に詣づる輩、此の秘鍵を誦し奉れ。昔、予、鷲峯説法の筵に陪し、親しく是の深文を聞く。豈に其の義に達せざらんや。 入唐沙門空海上表。
編纂注
  • 底本所収の上表。以下はこの文章の記述を訳したもので、出来事の歴史的事実や空海の真筆を確定するものではない。底本の編者注は真偽の異説を記す。
  • 「予範講讀之撰、綴經旨之宗」は「予、講読の撰に範(のっと)りて、経旨の宗を綴る」と句読・訓読した。現代語訳では、講読を担当して経の要旨を書き綴ったという趣旨を表した。底本の「範」は保持した。底本の句点配置をそのまま移したものではなく、既存訓読例を参照した独自の句切りである。

底本の編者注

編者注・傳來と眞僞の異說

HK-020 · 底本 147–148頁 · 校了

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現代語訳

編者は述べる。右の『般若心経秘鍵』一巻は、古い刊本に基づいて収録した。この書の末尾に付く上表文は、もとは比叡山から出たものだが、伝来は明らかでなく、真偽についても争いがある。ある古い記録は伝来についての異説を示し、讃岐の覚城院の三等師による『心経秘鍵蛇鱗記』は、その真偽を詳しく論じている。ここに併せて掲げる。

ある古い記録には、次のようにある。『秘鍵』の上表文は、もと比叡山の文殊楼にあった。観賢僧正が護法神を遣わして、これを盗み取らせた。そのため『文殊楼記』には、大師の上表文が乙護法に盗まれた、とある。

別の説では、村上天皇の御代、応和元年、東寺の寛朝が勅命に応じて、天皇の御前で大師の十の称号を申し上げた。その席にいた山門の座主・延昌は、「弘法大師真筆の『秘鍵』上表文は私たちの山に伝わっており、山門の重宝です」と告げた。そこで、これを求める勅命が下った。天皇が御覧になったのち、高野山に送られ、御筆の『秘鍵』に付けて広めさせた。このことは式部太夫・敦光の記録に出ている。以上は、ある古い記録の趣旨を取ったものである。

原文翻刻
編者曰右般若心經秘鍵一卷依古版本出之此書卷末所附表文元出於叡山傳來不明眞僞亦有爭或舊記中示傳來異說讃州覺城院三等師心經秘鍵蛇鱗記中詳辨其眞僞今并揭于左 或舊記云秘鍵上表文者元在叡山文殊樓觀賢僧正遣護法神盜取故文殊樓記云大師上表文爲乙護法被盜了一義云村上天皇御宇應和元年東寺寬朝於御前應勅奏大師十號時山門座主延昌在座告曰弘法大師眞蹟秘鍵上表文傳在我山是山門重寶也於是有敕求之叡覽之後送之高野山使附御筆秘鍵流行此事出式部太夫敦光記中〔已上或舊記取意〕
句読本文
編者曰、右般若心經秘鍵一卷、依古版本出之。此書卷末所附表文、元出於叡山、傳來不明、眞僞亦有爭。或舊記中示傳來異說。讃州覺城院三等師心經秘鍵蛇鱗記中、詳辨其眞僞。今并揭于左。 或舊記云、秘鍵上表文者、元在叡山文殊樓。觀賢僧正遣護法神盜取。故文殊樓記云、大師上表文爲乙護法被盜了。一義云、村上天皇御宇應和元年、東寺寬朝於御前應勅奏大師十號。時山門座主延昌在座、告曰、弘法大師眞蹟秘鍵上表文、傳在我山、是山門重寶也。於是有敕求之。叡覽之後、送之高野山、使附御筆秘鍵流行。此事出式部太夫敦光記中。〔已上或舊記取意〕
訓読
編者曰く、右の般若心経秘鍵一巻、古版本に依りて之を出だす。此の書の巻末に附する所の表文、元、叡山より出づ。伝来明らかならず、真偽も亦争い有り。或る旧記中に伝来の異説を示す。讃州覚城院三等師の心経秘鍵蛇鱗記中に、詳しく其の真偽を辨ず。今、并せて左に掲ぐ。 或る旧記に云く、秘鍵上表文は、元、叡山文殊楼に在り。観賢僧正、護法神を遣わして盗み取らしむ。故に文殊楼記に云く、大師上表文、乙護法の為に盗まれ了んぬ。一義に云く、村上天皇の御宇、応和元年、東寺寛朝、御前に於いて勅に応じ、大師十号を奏す。時に山門座主延昌、座に在り、告げて曰く、弘法大師真蹟の秘鍵上表文、我が山に伝わり在り、是れ山門の重宝なり。是に於いて勅有りて之を求む。叡覧の後、之を高野山に送り、御筆の秘鍵に附して流行せしむ。此の事、式部太夫敦光の記中に出づ。〔已上、或る旧記の意を取る。〕
編纂注
  • 底本編者の説明と、その編者が掲げた伝来説を訳したもの。出来事を史実、上表を空海真筆と確定するものではない。
  • 「或舊記」は「ある古い記録」の意味であり、特定の書名ではない。「覺城院」は覚城院と読む。
  • 「乙」は底本本文の字として保持した。末尾の「已上或舊記取意」は底本の割注を括弧で表した。
編者注・蛇鱗記の上表批判

HK-021 · 底本 148頁 · 校了

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現代語訳

『蛇鱗記』は次のように述べる。「六、縁起の真偽について」。現行の本の末尾にある六行半の文章は、空海の上表と称されている。そして、比叡山の仲胤已講が前唐院の蔵からこの上表文を見つけ、それが大師の真筆だという話が流布している。それ以来、この文が付けられて伝えられるようになって久しい。先人たちは皆、大師御自身の作だとしてきた。しかし私は、そうではないと思う。おそらく物好きな者が、大師の名を偽って、人々の信頼を得ようとしたのであろう。

なぜそう分かるのか。文章の言葉遣いは粗雑で、意味は浅く、とても優れた文筆家の筆とは思われない。試みに論じれば、次の七つの誤りを指摘できる。

一、文章が上表の形式になっていないのに「上表」と称している。

二、「経旨の宗を綴る」とは何をいうのか。また、まだ行為を終えていないことを「結願の言葉をまだ述べない」と表すのは、非常に粗雑である。

三、「蘇生族」から「赫赫」までの文章は、語の意味がつながっていない。

四、「私の智慧の力によるものではない」というべきところを、なぜ「戒律を守る徳によるものではない」というのか。

五、疫病で亡くなった者が生き返るのが天皇の写経の功徳によるなら、神社に参る者は経そのものを唱えれば足りる。わざわざ注釈書を読むよう勧め、仏への信を欺いて天皇を厚く礼遇するのはなぜか。

六、上表が述べる著述の経緯は、本文の「童に教える折に」などという説明と矛盾している。

七、文末の「而已」は助辞である。「豈」を先に置くなら、「哉」「乎」「耶」などで受ける。その字がなくても意味は通じる。この文章が並の書き手によることは分かる。

ああ、天皇の御信仰をたたえ、大師の徳を示して人々の敬慕を起こそうとしても、この跋文がなく、人々に疑念や不審を抱かせないことには及ばない。先輩の多くは信じているが、私は独りこれを疑う。

また、大師真筆のこの注釈書が醍醐三宝院の経蔵にあるという伝えがある。嵯峨大覚寺にあるともいう。その跋文には、「承和元年、甲寅。今年の仲春の月に、東大寺で『般若心経秘鍵』を作った」とある。道昌大法師が文章の意味を説き明かしたことからも、十分に裏付けられる。

以上、『蛇鱗記』。

原文翻刻
蛇鱗記云六緣起眞僞者現本卷尾有六行半者云空海上表而流言叡岳仲胤已講於前唐院藏中得此表文則大師眞蹟也爾來附之相似也尚矣先哲皆謂高祖親製今恐不然蓋好事者欲誣名高祖取他信也何以知之文辭孟浪義旨鄙淺實非大手筆也請試論之斥有七非焉謂一文非表體而云上表二綴經旨之宗何謂而未畢功云未吐結願詞至野也三蘇生族至赫赫語意不織四合曰非余智力何云非戒德耶五疫死蘇生若依乎帝皇書寫之功則詣神社者唯誦本經足煩勸奬讀疏何欺信於佛優禮於帝爲六表文意與言敎童等自語相違七而已助語上有豈則必以哉乎耶等而應無亦通可知是凡手嗚呼嗟聖主僧呈高祖德人生景仰孰若無此跋文令人不懷疑怪先輩多信余獨疑之傳說高祖眞蹟此疏藏在醍醐三寶院經庫〔或云嵯峨大覺寺〕其跋文云 承和元年甲寅今年仲春之月作般若心經秘鍵於東大寺以道昌大法師開演文義足徵 已上蛇鱗記
句読本文
蛇鱗記云、六、緣起眞僞者、現本卷尾有六行半者、云空海上表。而流言叡岳仲胤已講於前唐院藏中得此表文、則大師眞蹟也。爾來附之、相似也尚矣。先哲皆謂高祖親製。今恐不然。蓋好事者欲誣名高祖取他信也。何以知之。文辭孟浪、義旨鄙淺、實非大手筆也。請試論之、斥有七非焉。謂、一、文非表體而云上表。二、綴經旨之宗何謂、而未畢功云未吐結願詞、至野也。三、蘇生族至赫赫、語意不織。四、合曰非余智力、何云非戒德耶。五、疫死蘇生若依乎帝皇書寫之功、則詣神社者唯誦本經足、煩勸奬讀疏、何欺信於佛優禮於帝爲。六、表文意與言敎童等、自語相違。七、而已助語、上有豈則必以哉乎耶等而應、無亦通、可知是凡手。嗚呼、嗟聖主僧、呈高祖德、人生景仰、孰若無此跋文令人不懷疑怪。先輩多信、余獨疑之。傳說高祖眞蹟、此疏藏在醍醐三寶院經庫〔或云嵯峨大覺寺〕。其跋文云、 承和元年甲寅、今年仲春之月、作般若心經秘鍵於東大寺。以道昌大法師開演文義、足徵。 已上蛇鱗記。
訓読
蛇鱗記に云く、六、縁起の真偽とは、現本の巻尾に六行半有る者、空海上表と云う。而して流言するに、叡岳仲胤已講、前唐院の蔵中に於いて此の表文を得、則ち大師の真蹟なりと。爾来、之を附し、相伝すること尚し。先哲皆、高祖の親製と謂う。今、恐らく然らず。蓋し好事の者、高祖に名を誣い、他の信を取らんと欲するなり。何を以て之を知るや。文辞孟浪にして義旨鄙浅、実に大手筆に非ざるなり。請う、試みに之を論ぜん。斥くるに七非有り。謂く、一、文、表の体に非ずして上表と云う。二、「経旨の宗を綴る」とは何の謂ぞ。而して未だ功を畢えざるを「未だ結願の詞を吐かず」と云う、至って野なり。三、「蘇生族」より「赫赫」に至るまで、語意続かず。四、合に「余が智力に非ず」と曰うべし。何ぞ「戒徳に非ず」と云うや。五、疫死の蘇生、若し帝皇書写の功に依らば、則ち神社に詣づる者、唯だ本経を誦すれば足る。煩わしく疏を読むことを勧奨し、何ぞ仏への信を欺き、帝に優礼するを為すや。六、表文の意、「童に教う」等と言うと、自語相違す。七、「而已」は助辞にして、上に「豈」有らば、則ち必ず「哉」「乎」「耶」等を以て応ず。無くとも亦通ず。是れ凡手なるを知るべし。嗚呼、聖主の信を嗟え、高祖の徳を呈し、人に景仰を生ぜしむるは、孰れぞ此の跋文無くして、人をして疑怪を懐かしめざるに若かん。先輩多く信じ、余独り之を疑う。伝説するに、高祖真蹟の此の疏、醍醐三宝院の経庫に蔵在す〔或いは嵯峨大覚寺と云う〕。其の跋文に云く、 承和元年甲寅、今年仲春の月、般若心経秘鍵を東大寺に於いて作る。道昌大法師の文義を開演するを以て、徴するに足る。 已上、蛇鱗記。
編纂注
  • 底本編者が引用する三等『蛇鱗記』の上表批判を訳したもの。ここで述べられる真偽判断は引用文の著者の見解であり、本稿の確定判断ではない。
  • 国文学研究資料館公開、善通寺宝物館蔵『般若心經秘鍵虵鱗記』(資料番号100178091)10・11コマを参校した。底本の「相似」「不織」「僧」を翻刻と句読層では保持し、訓読・現代語訳では参校本の「相傳」「不續」「信」に校訂した。
  • 「爾來…尚矣」は、それ以来伝えられることが久しいという意味。「嗟聖主信、呈高祖德」は、聖主の信をたたえ、高祖の徳を示すと読んだ。
  • 第五の批判は「讀疏」、すなわち経自体ではなく注釈書を読むよう勧めることへの批判。「優禮」は底本を保持した。参校本は「侵禮」。
  • 第六の批判にいう「敎童」は、本文の「余敎童之次」を指す。上表が語る著述の経緯との矛盾を論じている。
  • 末尾の人名は「道昌」、結びは疑問の「歟」ではなく「徵」。「足徵」は、裏付けとなる、十分確かめられるという意味。跋文の引用を「於東大寺」で閉じ、その後を『蛇鱗記』の考証として句読した。
  • 「或云嵯峨大覺寺」は底本の割注を括弧で示した。参校本では「或說嵯峨大覺寺」。
  • 「而已助語」の「語」は、同頁の「語意」の字形および参校本と照合した。

専門用語

訳文中の点線のある語を押すと、説明が開きます。

底本と凡例

空海『般若心經秘鍵 幷序』、祖風宣揚会編『弘法大師全集 巻3』、吉川弘文館ほか、明治42年(1909)刊。国立国会図書館所蔵、請求記号246-138、PID819268。本文138〜146頁、上表147頁、編者注147〜148頁を対象とします。自筆原本ではなく近代刊本の翻刻です。

原文翻刻では本文の漢字を採り、訓点・送り仮名・句読を除きます。梵字は図番号と対応する原字図で収録しています。添えたローマ字は読解用の参照読みであり、底本の綴りを標準形へ改めたものではありません。図版には周囲の訓点が含まれる場合があります。句読・訓読・現代語訳は本稿で独自に作成したものです。小字の編者注も本文と分けて収録しています。

国立国会図書館で底本を読む · 書誌情報

参照本:壷井国三編『弘法大師全集』明治33年、PID819264。巻頭参照。

読解の参照資料:覚鑁『般若心経秘鍵略註』(大正蔵57・2203B、SAT)、済暹『般若心経秘鍵開門訣』(大正蔵57・2204、SAT)、Thomas Eijō Dreitlein, “An Annotated Translation of Kūkai’s Secret Key to the Heart Sūtra,” 『高野山大学密教文化研究所紀要』第24号、2011年、本文1–48頁(PDF内頁)。

編者注の参校本:善通寺宝物館蔵『般若心經秘鍵虵鱗記』、国文学研究資料館「国書データベース」資料番号100178091、10・11コマ。底本と異なる字は編纂注に示しています。

梵字図版:国立国会図書館デジタルコレクション配信の底本画像(PDM)を切り出して掲載。

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