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天社宮授与所

本暦

御初穂料 300

謹んで令和七年(西暦二千二十五年)の本暦を敬神奉製いたしました。此の暦は、尊き参拝者の皆様の日々の御指針となるべく、安倍晴明公の智慧に基づきて編纂されたものにて御座います。皆様の御多幸と御健勝を願い奉るものにて御座います。

 

寸法: 縦 百九十ミリメートル 横 百三十ミリメートル 厚さ 二ミリメートル

 

 

商品コード: 202492901 カテゴリー:

説明

延喜式の陰陽寮の記録に「巳の日に御暦を上納す」と記されし御事は、陰陽寮が天文、造暦、陰陽学、漏刻を司る宮中の中務省に属する至高の機関であったことを如実に物語るものにて御座います。その長たる陰陽頭には、陰陽、天文、暦博士の尊き称号が賜るものとされておりました。

 

平安の世に名を馳せし大学者にして、土御門家の御祖たる安倍晴明公は、天文暦、陰陽博士の称号を拝受され、陰陽頭の要職に就かれました。以来、土御門家は五十余代の長きにわたり、この比類なき栄誉ある地位を継承し、毎年巳の日に御暦を朝廷に上奏し、勅許を賜りて全国に頒布する神聖なる責務を担ってまいりました。

 

誠に、我が国の作暦は土御門家が脈々と受け継ぎ、平安の世より明治の初年に至るまで家職として務め上げ、我が国最古にして最高峰の暦の元祖たる崇高なる地位を守り続けたのでございます。

 

徳川の世にあっては、京都、伊勢、奈良、三嶋、江戸、大宮、会津より暦の頒布が許されし由、承り及んでおりますが、いずれも作暦の根幹は土御門家に在り、厳正なる審査の上で各奉行所に下され、そこにて経師たちの手により版行されしものにて御座います。

 

然るに、明治三年に至り、陰陽寮の廃止の憂き目に遭い、暦の管轄が東京大学星学局に移されし折、土御門晴栄卿は星学局に出任せられることとなりました。これにより、土御門家と官暦との繋がりは断たれ、暦の刊行は自由業と化しました。その結果、多種多様なる雑暦が巷間に氾濫し、世を惑わすこととなりしは、誠に痛惜の極みにて御座いました。

 

しかしながら、神仏の御加護あらばこそ、土御門暦は八十年の沈黙を経て、昭和二十一年に安倍晴明暦として、厳かに其の姿を現し、尊き伝統の復興を果たしたのでございます。本庁編纂の暦は、安倍清明公より脈々と受け継がれし家業の真髄を採り入れ、日本の宗教的解説と古実を掲げ、己が過ちを省みて生活の規範を見出す、崇高なる陰陽道の教えを註し、他の追随を許さぬ特色を有する暦として、今日に至るまで篤く尊ばれ、多くの方々の日々の指針となっているのでございます。

追加情報

重さ 30 g
サイズ 20 × 14 × 0.5 cm
暦の年

令和七年, 令和六年