背景

御祭神

泰山府君大神

泰山府君大神(太一)

御神名の由来と泰山

ある一つの道で最も高く仰ぎ尊ばれる人を「泰斗(たいと)」と申します。これは、天に輝く北斗七星と、地に聳える泰山という、天と地で最も揺るぎない二つを結びつけた言葉です。

京都五山送り火の「大」の字の由来とも伝わる、泰山は「太山」「大山」とも記され、中国五岳の筆頭である東岳として、古来、東洋で最も篤い崇敬を集めてきた霊山です。その神聖さゆえに、天下を治める帝が天の最高神・太一に即位を奏上する「封禅(ほうぜん)」という国家祭祀を執り行う聖域でもありました。伝説では伏羲や黄帝といった歴代の聖王が、歴史上では天下を統一した秦の始皇帝が、泰山で封禅の儀を執り行ったと伝えられています。

日本への渡来と伝承

今から千三百年以上前の養老元年(717年)、遣唐使として唐に渡った阿倍仲麻呂公は、異国の難関「科挙」に合格し、玄宗皇帝にお仕えしました。仲麻呂公の傑出した才は皇帝に深く愛され、その御恩寵により、中国で最も神聖な霊山・泰山より大元尊神(太一)の御霊代(みたましろ)を賜るという比類なき栄誉に浴します。

この御神体と、仲麻呂公が修得した多くの秘法を皇室と安倍家に伝えるという大命を帯び、同じく遣唐使であった賀茂家の祖・吉備真備公にその全てが託されました。

吉備真備公が帰国した翌年の天平八年(736年)、聖武天皇は、平城京の北方にあたる若狭国名田庄を「泰山府君祭料知行地」とお定めになりました。北は太一(北斗七星)が鎮まる最も神聖な方位とされるためです。(現在も続く若狭から東大寺への「お水送り」は、北方の聖なる水を都へ送る、この地の神聖性を今に伝える神事でございます。)

御神体を託された賀茂家は、代々これを篤くお守りしました。そして時を経て、仲麻呂公との約束は果たされ、御神体は安倍晴明公の父君・安倍保名公へと伝えられます。こうして御神体は、ついに安倍家(後の土御門家)においてお祀りされることとなったのです。

平安時代には、京の都にあった大陰陽師・安倍晴明公の邸内社にお祀りされていましたが、応仁の乱の兵火により社殿は焼失。しかし幸いにも御神体は難を免れ、祭料地である若狭名田庄へと遷されました。

信仰の広がり

太一信仰は、日本の神道や仏道の根底にも通じるため、古くから多くの神仏と同一視されてまいりました。

神道においては、天地創造の神である天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)と同一とされます。仏道においては、宇宙の根源たる大日如来や薬師如来、また冥府の閻魔大王や、死後四十九日の魂を裁く泰山王、さらには不動明王や地蔵菩薩の御姿としても崇められています。

暦の上では、太一(北斗七星)は、その年の最も縁起の良い方角を司る恵方神(歳徳神)や、万物の吉凶を司る天道神(おてんとう様)として顕現されるのでございます。

安倍仲麿公
吉備大臣入唐絵巻(楼上では衣冠姿の赤鬼(=安倍仲麿公)が吉備大臣公と対面している)
ボストン美術館

十二将神

『古事記』や『日本書紀』が記す天地開闢において、世界はまず混沌とした一つの気(一気)より始まりました。やがて一気は分かれて陰陽の神が生まれ、次に万物の元素たる木・火・土・金・水(もっかどごんすい)の五行を司る神々が誕生し、そこから八百万(やおよろず)の神々と地上の万物が生まれたと伝えられております。太一とは、この森羅万象を生み出した根源の一気そのものでございます。

その御名が示す通り、太一の「一」とは、陽たる太陽と陰たる太陰(月)、その対なる二極をも一つに包み込む、絶対的な唯一性を表しております。天に輝く日月星辰(じつげつせいしん)も、地上のあらゆる生命の魂魄(こんぱく)も、すべてはこの大いなる一つより生じ、大いなる摂理(天意)のもとに結ばれているのでございます。それは宇宙の無秩序の尺度たる「エントロピー」を全く含まない、数学的にも完璧と呼べる秩序そのものであり、天地の法則を探究する陰陽道の極致とも言えるのでございます。

さらにアインシュタインの相対性理論から導かれる自然な帰結の一つである、現代物理学が示唆する「ブロック宇宙論」の観点では、宇宙の過去から未来に至る全時空は、絶対的なものとして同時に存在するとされております。まさしく太一とは、その始まりも終わりもない完成された宇宙、森羅万象の全ての姿をその内に包含する、究極の秩序を神格化した御存在にほかなりません。我々が認識する「時間」すらも、太一という大いなる一つの内に刻まれた摂理の一部なのでございます。

天において太一の御心は北斗七星として輝き、その柄は天空を巡って万物の時を刻み、太陽や月、五行の惑星を従えて森羅万象の運命を司っております。この星々の運行やその姿に天意は宿ると、当宮に伝わってございます。

日本書紀、天地開闢の際に現れた天神七代(てんじんしちだい)の十二柱の神々は、太一の御心を受けてこの世を整える御存在、すなわち「十二将神(じゅうにしょうじん)」と称されております。この神々は、太一の偉大なる働きを地上で助けるものとして篤く崇められており、その十二将神として崇められるのが、以下の神々でございます。

【十二将神】

根源神
天御中主神(天の根源神 / 泰山府君大神)
国常立尊(地の根源神 / 鎮宅霊符尊神)

陰陽二神
高皇産霊尊(陽神)
神皇産霊尊(陰神)

五行神
国狭槌尊(水徳神)
豊斟渟尊(火徳神)
埿土煮尊・沙土煮尊(木徳神)
大戸之道尊・大苫邊尊(金徳神)
面足尊・惶根尊(土徳神)

【陰陽五行成就神】
伊弉諾尊(陽神)・伊弉冉尊(陰神)

鎮宅霊符尊神

鎮宅霊符尊神

鎮宅霊符尊神は、泰山府君大神に次ぐ陰陽道の主神の位を占める、至高にして尊き御神格でございます。天にありては太一の中心で北極星として輝き、地にありては鎮宅霊符尊神として崇め奉られ、人々の運勢を司る九星の大神として、荘厳なる御姿にてあらわれになると伝えられております。

当宮における鎮宅霊符尊神の御由緒は、遙か上古の世、聖徳太子の時代にまで遡るといわれます。土御門家文書によれば、当宮の鎮宅霊符尊神の御神体は、推古天皇時代、蘇我馬子の側近であった阿倍麻呂より篤く奉斎されてきた由が伝えられております。

また、鎮宅霊符尊神は、国常立尊(くにのとこたちのみこと)と同一神とされております。地における万物の根源神として、天の天御中主神と共に太一の神としてお祀りされているのでございます。

安倍晴明大神

安倍晴明公は、第八代・孝元天皇の御血脈を受け継がれし高貴なる御方にして、陰陽道の大成者として後世に名を遺される、誠に尊き御存在にあらせられます。幼き頃より天より授かりし比類なき才覚を遺憾なく発揮され、「太一陰陽五行」の深奥なる理を極め、天地陰陽の道を大成へと導かれました。

とりわけ、安倍家の御祖である遣唐使・阿部仲麿公に由来する泰山府君大神(太一)との尊き御縁を得られたことは、誠に意義深く、畏れ多きことでございます。晴明公は、この御縁によって陰陽道の神髄を広く世に知らしめられ、皆様にも馴染みのある週の曜日名や天体の惑星名はもとより、お正月や節分、端午の節句、七夕といった日本の年中行事にも深く影響を与えております。

また、京の都に架かる戻橋に伝わる逸話には、泰山府君大神の神法をもって死者の魂を蘇らせたと語り継がれ、さらには御母君が狐の化身であったとの神秘的な御出生の伝説も残されております。