背景

御祭神

泰山府君大神

泰山府君大神(太一・泰一)

御神名の由来と泰山

古来、宮中における秘祭においても奉斎されし、 太一(泰一)大神の御名の由来は、天地を貫く太古の信仰にございます。

「 泰斗(たいと) 」という言葉は、ある道において最も尊き存在をたたえる称号であり、 天に輝く「 北斗七星 」と、地上の霊山「 泰山 」とを結び合わせたものに由来いたします。

中国の泰山(たいざん)は「 大山 」「 太山 」とも記され、東岳として東方を守護し、 また死者の霊が集う地として、紀元前より篤く信仰を集めてまいりました。 あの京都・五山送り火の「 大 」の字も、その象徴に由来すると伝えられるほど、 泰山は特別なる霊山として崇められております。

太古の中国において、天子が天下を治めるに際しては、 この泰山において「 封禅(ほうぜん) 」の大祭を斎行し、 天にまします天地開闢の大神──太一(泰一)に即位を奉告するのが、 国の大典にてございました。

伝承においては黄帝などの聖王が、 史実においては秦の始皇帝もまた、この儀礼を修めたと伝えられております。

この泰山に鎮まり坐す御方を「 泰山府君大神 」と申し上げます。 「府君」とは尊貴なる祖霊・神霊への尊称であり、 泰山府君大神とはすなわち、北斗七星として天にまします太一大神が、地上の泰山に顕現された御姿でございます。

また、暦において、「 令和 」「 平成 」「 昭和 」といった元号の「 元 」とは「 始まり 」「 根本 」を意味し、 すなわち太一大神を指す言葉にございます。 明治天皇が「 一世一元 」の制を定められた折にも、 太一大神の御神徳を仰ぎ、新たなる時代の暦を正されたのでございます。

※明治元年の一世一元の詔(明治天皇 御言宣)
太乙を体して位に登り、景命を膺けて以て元を改む。洵に聖代の典型にして、万世の標準なり。 朕、否徳と雖も、幸に祖宗の霊に頼り、祇みて鴻緒を承け、躬万機の政を親す。 乃ち元を改めて、海内の億兆と与に、更始一新せむと欲す。 其れ慶応四年を改めて、明治元年と為す。今より以後、旧制を革易し、一世一元、以て永式と為す。主者施行せよ。 明治元年九月八日

日本への渡来と伝承

太古の昔、今を去ること千三百余年前、養老元年(七一七年)のことでございます。 阿倍仲麻呂公が遣唐使として唐に渡られ、異国の難関たる「科挙」に合格し、 玄宗皇帝に仕えられました。 その卓越した才をもって皇帝の寵遇を受け、 中国における最も神聖なる霊山・泰山より、 根源神・大元尊神(太一・泰一)の御神体を賜るという、 比類なき栄誉に浴されたのでございます。

仲麻呂公の修得せられた秘法と、賜りし御神体とは、 皇室および安倍家へと伝えるべき大命として、 同じく遣唐使であられた賀茂家の祖、吉備真備公に託されたのでございます。

※下記、吉備大臣入唐絵巻参照(ボストン美術館)

吉備真備公が帰朝された翌年、天平八年(七三六年)、 聖武天皇は平城京の北にあたる若狭国名田庄を 「泰山府君祭料知行地」と定められました。 北は太一(北斗七星)の鎮まる最も尊き方位とされるゆえにございます。

今に伝わる若狭から東大寺への「お水送り」は、 この神地の霊水を都へ奉る神事であり、 その神秘の理は今なお絶えることなく受け継がれております。 また、陰陽五行の理においても、北の方位には「水」が配され、 若狭は、天意と地理とが響き合う地でございます。

御神体を託された賀茂家は代々これを篤くお守りし、 世代を経てその誓いは果たされ、 安倍晴明公の父君・安倍保名公へと御神体が伝えられました。

こうして尊き御神体は、ついに安倍家──のちの土御門家において奉斎され、 その御霊統は脈々と受け継がれ、今は当宮において厳かにお祀り申し上げております。

東洋思想の理

太一大神に始まる陰陽五行の天の理は、神道・仏道の根本にも通じてございます。 太一大神は、易における太極、道教における道(タオ)そのものにして、 古来より多くの神仏にその御姿を顕されてまいりました。

神道においては、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)と同一神でございます。また、仏道においては、宇宙の根源たる大日如来・薬師如来をはじめ、冥府を司り、死後四十九日に魂を裁く泰山王、さらには不動明王や地蔵菩薩の御姿としても崇められております。

暦の上においては、太一大神(北斗七星)はその年の最も縁起の良き方角を司る恵方神(歳徳神)、 また万象の吉凶をつかさどる天道神(おてんとう様)として顕現され、人々の暮らしを導いてこられました。

安倍仲麿公
吉備大臣入唐絵巻(楼上では衣冠姿の赤鬼(=阿倍仲麻呂)が吉備真備公と対面している)
ボストン美術館

十二将神

『古事記』や『日本書紀』に記される天地開闢のはじめ、 世界はまだ形を持たぬ混沌の中にあり、そこにただ一つの気(いっき)が存在しておりました。 やがてこの一気が動じて陰陽の神を生み、さらに万物のもととなる五行── 木・火・土・金・水(もっかどごんすい)を司る神々が現れ、 そこから八百万(やおよろず)の神々と地上のすべての生命が生まれ出たと伝えられております。 太一大神とは、まさしく森羅万象を生み出した根源の一気そのものでございます。

その御名が示す通り、「太一」の「一」とは、 陽なる太陽と陰なる太陰(月)──その二極をも包み込む、究極の「一」を表しております。 天に輝く日月星辰(じつげつせいしん)も、 地上のあらゆる生命の魂魄(こんぱく)も、 すべてはこの大いなる一つより生じ、天の御理(みち)のもとに結ばれているのでございます。



天においては、太一大神の御心は北斗七星として顕れ、 その柄は天をめぐって時を刻み、 太陽や月、そして五行の惑星を従えて、 万物の運命を司っておられます。

『日本書紀』に記される天地開闢の際、 天神七代(てんじんしちだい)の十二柱の神々は、 太一大神の御心を受けてこの世界を整える御存在── すなわち「十二将神(じゅうにしょうじん)」と称します。 これらの神々は、太一大神の偉大なる働きを地上にて助け、 世を鎮め、調和を保つ神々でございます。

【十二将神】

根源神・太一
天御中主神(根源神・陽神 / 泰山府君大神)
国常立尊(根源神・陰神 / 鎮宅霊符尊神)

陰陽二神
高皇産霊尊(陽神)
神皇産霊尊(陰神)

五行神
国狭槌尊(水徳神)
豊斟渟尊(火徳神)
埿土煮尊・沙土煮尊(木徳神)
大戸之道尊・大苫邊尊(金徳神)
面足尊・惶根尊(土徳神)

【陰陽五行成就神】
伊弉諾尊(陽神)・伊弉冉尊(陰神)

鎮宅霊符尊神

鎮宅霊符尊神

鎮宅霊符尊神は、泰山府君大神に次ぐ陰陽道の主神の位を占める、至高にして尊き御神格でございます。天にありては太一の中心で北極星として輝き、地にありては鎮宅霊符尊神として崇め奉られ、人々の運勢を司る占術の大神として、玄武の上に荘厳なる御姿にてあらわれになると伝えられております。

当宮における鎮宅霊符尊神の御由緒は、遙か上古の世、聖徳太子の時代にまで遡るといわれます。土御門家文書によれば、当宮の鎮宅霊符尊神の御神体は、推古天皇時代、蘇我馬子の側近であった阿倍麻呂より篤く奉斎されてきた由が伝えられております。

また、鎮宅霊符尊神は、国常立尊(くにのとこたちのみこと)と同一神でございます。

安倍晴明大神

安倍晴明公は、第八代・孝元天皇の御血脈を受け継がれし高貴なる御方にして、陰陽道の大成者として後世に名を遺される、誠に尊き御存在にあらせられます。幼き頃より天より授かりし比類なき才覚を遺憾なく発揮され、「太一陰陽五行」の深奥なる理を極め、天地陰陽の道を大成へと導かれました。

とりわけ、安倍家の御祖である遣唐使・阿部仲麿公に由来する泰山府君大神(太一)との尊き御縁を得られたことは、誠に意義深く、畏れ多きことでございます。晴明公は、この御縁によって陰陽道の神髄を広く世に知らしめられ、皆様にも馴染みのある週の曜日名(日月火水木金土)はもとより、お正月や節分、端午の節句、七夕といった日本の年中行事にも深く影響を与えております。