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天社土御門神道本庁内にある本殿に泰山府君尊神、鎮宅霊符尊神、安倍晴明公をお祀りしています。本庁にて、御守、お札、御祈祷のお申し込みができます。
ある時晴明は瀕死の状態に陥り、冥府に赴いた事がありました。閻魔王の前まで行くと不動明王が現れ、晴明を助けるように命乞いをしてくれました。それを聞き届けた閻魔王は、人々を横死より救い極楽往生を約束するという宝印として五芒星を晴明に授けました。晴明が蘇生すると懐には宝印があり、以後晴明は不動尊を信仰し、宝印を授けて人々を救ったと言います。
陰陽道の主神である「泰山府君尊神」を祀った社跡です。「源平盛衰記」に桜町中納言が泰山府君に桜の花の延命を祈願した話もあり、金剛流の能「泰山府君」でも伝承されています。 「博物誌」に「泰山の神は人の人生の長短を司る」と記されており、歴代天皇や将軍が新しく即位や、宣下に必ず「泰山府君祭」(天冑地府祭)を行っていました。
陰陽道とも関係がある七福神。日本の正月の風習の一つに「七福神めぐり」があります。土御門殿天社宮では、1ヶ所に七福神が集まっており、不老長寿、商売繁盛など、さまざまな効験があると言われています。
泰山府君が、この名田庄の地に奉祀されたのは、吉備真備が唐より帰国し、安倍仲麻呂から託された「大行暦」を朝廷に献上した翌年にあたる天平八年(七三六年) 12月13日付けの「若狭國名田庄を泰山府君祭料知行地とする」という聖武天皇の御倫旨に始まります。
土御門(安倍)家墓所の前には、北斗七星を表す石のオブジェがあります。
この墓所には陰陽師安倍晴明の子孫3代(安倍有宣(1514年没)、安倍有春(1569年没)、安倍有脩(1577年没))が祀られています。墓所は小字小谷の山麓にあり、2基の五輪塔とその中間に自然石の墓標が建てられています。祖先を安倍晴明とする土御門家は、代々陰陽師として朝廷に出仕してきましたが、応仁の乱(1467年)の戦火を避けて、京都から所領の名田庄に住まいを移し、この地で陰陽道及び、天文・暦・易の三道を司っていました。