背景

安倍晴明暦

暦の元祖 ~本邦暦の最高峰~
安倍晴明暦とは

 

延喜式の陰陽寮の記録に「巳の日に御暦を上納す」と記されし御事は、陰陽寮が天文、造暦、陰陽学、漏刻を司る宮中の中務省に属する至高の機関であったことを如実に物語るものにて御座います。その長たる陰陽頭には、陰陽、天文、暦博士の尊き称号が賜るものとされておりました。

 

平安の世に名を馳せし大学者にして、土御門家の御祖たる安倍晴明公は、天文暦、陰陽博士の称号を拝受され、陰陽頭の要職に就かれました。以来、土御門家は五十余代の長きにわたり、この比類なき栄誉ある地位を継承し、毎年巳の日に御暦を朝廷に上奏し、勅許を賜りて全国に頒布する神聖なる責務を担ってまいりました。

 

誠に、我が国の作暦は土御門家が脈々と受け継ぎ、平安の世より明治の初年に至るまで家職として務め上げ、我が国最古にして最高峰の暦の元祖たる崇高なる地位を守り続けたのでございます。

 

徳川の世にあっては、京都、伊勢、奈良、三嶋、江戸、大宮、会津より暦の頒布が許されし由、承り及んでおりますが、いずれも作暦の根幹は土御門家に在り、厳正なる審査の上で各奉行所に下され、そこにて経師たちの手により版行されしものにて御座います。

 

然るに、明治三年に至り、陰陽寮の廃止の憂き目に遭い、暦の管轄が東京大学星学局に移されし折、土御門晴栄卿は星学局に出任せられることとなりました。これにより、土御門家と官暦との繋がりは断たれ、暦の刊行は自由業と化しました。その結果、多種多様なる雑暦が巷間に氾濫し、世を惑わすこととなりしは、誠に痛惜の極みにて御座いました。

 

しかしながら、神仏の御加護あらばこそ、土御門暦は八十年の沈黙を経て、昭和二十一年に安倍晴明暦として、厳かに其の姿を現し、尊き伝統の復興を果たしたのでございます。本庁編纂の暦は、安倍清明公より脈々と受け継がれし家業の真髄を採り入れ、日本の宗教的解説と古実を掲げ、己が過ちを省みて生活の規範を見出す、崇高なる陰陽道の教えを註し、他の追随を許さぬ特色を有する暦として、今日に至るまで篤く尊ばれ、多くの方々の日々の指針となっているのでございます。

 

 

安倍晴明暦 御取扱社寺様

春日大社様 三嶋大社様 日吉大社(本社)様 伏見稲荷大社様
石上神宮様 湯殿山神社様 京都晴明神社様 阿部王子神社様
鞍馬寺様 三十三間堂様 平安神宮様 京都大神宮様
ゑびす神社様 月洲神社様 伊尼神社様 茨木神社様
若一神社様 本瀧寺様 白山神社様 神宮寺様
天河大辨財天社様 神社本教(貴船神社様含む数十社)