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暦想雑記

重陽の節供

「重陽の節供」は、旧暦九月九日に行われた行事です。 人日・上巳・端午・七夕と共に江戸時代に定められた「五節句」のうちのひとつで、この「五節句」の中でも重陽の節供は特に重要な行事とされてきました。 別称も多く「重陽の宴」「菊花の宴」「菊の女」や「菊の節供」「栗節供」などがあり、 地方によっては「オクンチ」、「お九日」とよばれている所があります。この重陽の節供も、他の五節供と同様に古代中国から朝鮮を経て日本に伝来してきたものですが、それ以前から日本にあったこの種の行事と習合されたものです。 平安朝頃よりだんだんと日本化されてしまったのですが、これは日本化というよりも、中国経由文化の模倣といったほうが適切でしょう。

 

ところで、古代中国では、菊の花と茎や葉を米に混ぜて醸造し、それを翌年の重陽の日に飲んでいたようです。 しかし、日本の菊酒は、中国の菊酒のように醸造したものではなく、酒を満たした益に菊の花弁を浮かべるといっ た非常に風流なものであったようです。「菊」は昔から延命長寿に効果があるとされており、菊の花を煎じて飲むと強壮・造血作用があるといわれてきました。これは、菊の花に鉄分が多く含まれているからだとされています。 こうした古代中国の「菊酒」 等の習俗が日本に伝来し、天武天皇 (686)年の白風時代に初めて朝廷で「菊花の宴」が催されたのです。

 

また、重陽の節供に「菊」 とならんでもうひとつ欠かせないものとして「栗」があります。平安時代には貴族の間でこの日、神前に栗を供え、その栗を直会で神人共食(相嘗)し、親しい知人にもそれを贈るという習俗がありました。 民間でも江戸時代になってこの重陽が一般に広がってきたのですが、菊の花びらを浮かべた菊酒を飲み、蒸し栗や栗子飯を食べたり、知人にそれを贈ったりしたことがあったようです。「栗節供」という呼び名の由来もこのあたりから起こったようです。

 

五節句の中でも、一番大切とされたこの「重陽の節供」 も、新しい時代の波に押されて明治に入り正式な行事から外されてしまいました。 しかし、正式な行事から外されたとはいえ、暦の年中行事欄から消えることなく現在でもその名は残っています。 もちろんこの節供を祝う行事や習俗は今も各地に現存しています。ところが、現在では本来の 旧暦九月九日ではなく、太陽暦(新暦)の九月九日に行われているところが多いようなのです。 ところで、菊の花を食べる風習は日本でも現在いたるところで見られます。ちょっとした料理屋さんでもお目にか かれますが、特に新潟県の村上地方では、この風習が根強く残っており、菊はこの地方の特産品ともなっています。 現在、菊の花は年中手に入れることができますが、菊の季節に行われるのは、わずか各地の「菊人形展」と「菊の品評会」などくらいになって しまったようです。