私たちが、生まれてから死 ぬまでの一生には、何かにつけて大なり小なりの節目が必ずあります。そして、それらはいずれも、四季の移り変わりと関わりを持ち、一つひとつが身近な年中行事として、親から子へと受け継がれ、私たちの側を通り過ぎて行きます。 心の中に生きる歳時記も、暦の上での歳時記も、常に美しい日本の季節と風土にピッ タリと調和しています。 このような年中行事には、 三月三日の上巳(ひなまつり) や五月五日の端午のような節供等の他に、七十二候・二十四節季といった季節を表現するものもあります。立春、夏至、雨水などの二十四節季は、 2000年も昔から中国では用いられていた事が、漢の時代の「前漢書律暦志」という書物に書かれています。その 二十四節季の中でも、特に重要な位置をしめるのが、春の立春と春分、そして冬の冬至なのです。
現在のように、立春を1年の始めと考えるようになったのは漢の時代以降で、それまでは冬至が1年の始まりとされてきました。 太陽が南回帰線を巡る関係 から、北半球では1年中で最も昼が短く、逆に最も夜が長く日照時間も少ないのが冬至 です。この日は、陰から陽への別れ目で、「一陽来復」の日とも言われます。また、古代の中国では、「一陽節」とも呼ばれ、すべてのものがこの日に蘇生するとして、お祝いをしたそうです。特に、冬至が 朔日 (旧暦一日)にある年は、「朔旦冬至」といって、盛大に祝宴を催した事が「史記」や「続日本紀」という書物に書かれています。また、古代の朝鮮王朝では、旧暦の11月の事を、冬至の月 (ドンジッタル)と呼んでいたようです。 たしかにこの日から、日差しが徐々に長くなり、昼も長くなっていきます。そこで、 冬至を太陽の運行の頂点とし、 1年の春がこの日から始まると考えられてきたのでしょう。 ところで、冬至にはいろいろと面白い風習が、全国各地に残っています。特に、柚子や火に関わるものが多く残っ ています。関東方面では、この日に炉木口で火を焚き、柚子を縁の下に投げ込んでおくと、その1年間は火事を防げると言われています。また、 冬至の日の火は絶やしてはいけないと言われ、昔は夜寝るときに、炉の榾に灰をかぶせ、 朝まで火種が絶えないようにしたそうです。
常夏のような沖縄でも、この風習は今も残 っている地方があります。また、反対にこれまでの古い火は冬至の日にすべて消し、新しい火にかえた時代もあり、この風習がいつの頃からか大晦日の夜の「火替えの行事」 に移行したのではないかとも 言われています。 柚子を輪切りにし、晒し布の袋に入れて風呂に浮かせる風習、南瓜を食べると健康が 保たれるという俗説。小豆粥を食べる風習等々冬至の風習は数えきれないようです。 「最後に、古代朝鮮では「この日に青く装った表紙の暦を役所から贈られ、家では中国の小俗に習って小豆粥を作る」と「れつ陽歳時記」に書かれています。